旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[甲州道中]61・・・日本橋へ

 終着地へ

 

 いよいよ、五街道の結節点、江戸日本橋が迫ります。私たちの街道歩きも、今回で3回目。お馴染みの、日本橋の光景を、思い描いて進みます。

 思えば、最初に歩いた中山道は、本郷から神田を通り、日本橋の北側へ。2回目の東海道は、新橋から銀座を通り、南側から日本橋に着きました。今回は、銀座の東、日本橋の交差点で、東海道と合流し、再び、南側から日本橋に入ります。

 街道の終着の地が迫る道。江戸城の外周を辿りつつ、”甲州道中歩き旅”の最終章を迎えます。

 

 

 三宅坂

 半蔵門から南に進むと、次は、三宅坂の交差点。幅広い堀伝いの国道に、右方向から、幾つかの大きな道路が合流します。

 この、右方向に続く街は、永田町や赤坂です。政治の舞台の中心地。どこか、仰々しい空気が流れています。

 

三宅坂交差点

 

 国会前

 堀に沿った国道の歩道に沿って進んでいくと、次は、国会前の交差点が現れます。この交差点の右奥に国会議事堂があるようです。

 ただ、街道の右側は、一段高くなっていて、斜面に続く傾斜のところは、緑地帯が続いています。辺りは木々に覆われて、議事堂の姿は見えません。

 一方で、右前の一帯は、高層ビルが並んでいます。ここは、霞が関の官庁街。国交省や外務省など、行政の要の施設が並んでいます。

 

※国会前交差点。ビル群は霞が関の官庁街。

 

 桜田門

 三宅坂の交差点から振り返ってみたところ、わずかに、国会議事堂の姿が見えました。この一帯は、議事堂や、官庁の建物など、まさに日本の国の舵取りが行われているところです。地方に住む者にとっては、表現しようもないぐらい、神聖で厳格な場所のように思えます。

 かたや左方向には、相変らず、優雅な堀が続いています。この先に見えるのは、桜田門の白壁です。街道は、歴史で揺れた、ひとつの舞台に近づきます。

 

桜田門に向かう街道は、優雅な堀伝いに続きます。

 

 やがて、桜田門が近づくと、堀の様子が変わります。これまでの土塁から、石垣へと姿を変えて、堅固な城の姿に変貌します。

 石垣と白壁の塀が鮮やかな、桜田門。外と内、2か所の門があるようです。

 ここで少し、道端に置かれていた、案内板の内容を紹介したいと思います。

 

 「桜田の名は、この地が古代に桜田郷と呼ばれていたことに由来し、江戸の主要道が通過する場所でした。徳川家康入国直後の絵図には「小田原口」と記載されています。」

 「1860年(万延元年)の桜田門外の変は、彦根藩(現在の滋賀県)藩主で大老井伊直弼が屋敷から登城中に水戸浪士に襲撃された事件です。」

 

 鎖国を続けた江戸幕府。海外に門戸を開く歴史的な決断は、どのようなものだったのか。私などには、分かるはずもありません。

 ただ、この時の緊張感は、今の世では、想像もできない世界だったに違いなく、為政者の力量が、まさに試された時代だったのだと思います。

 井伊大老の、命をかけた選択は、やがて、安政の大獄や、桜田門外の変へとつながって、幕末の世を迎えることになるのです。

 

桜田門

 

 官庁街

 桜田門を過ぎた後、右手を見ると、ニュースやテレビドラマによく登場する、警視庁の建物が見えました。車が往き交う広い道。官庁街はまだ続きます。

 

※警視庁の建物(右)と霞が関の官庁街。

 日比谷

 街道は、日比谷公園を右に見て、南東の方角へ。正面には、有楽町界隈の建物が見られます。

 やがて、祝田橋の交差点を迎えると、内堀通りが街道を横切ります。有名な二重橋は、この交差点を左折して、しばらく進んだところです。

 

※祝田橋。左折した先に二重橋があります。

 

 内堀通を渡った先は、日比谷の交差点。街道は、直角に屈折する、堀の水面を取り巻くように、この交差点を左折です。

 

※日比谷交差点。正面奥に延びる道が街道です。街道の左には堀が続きます。

 丸の内から大手町へ

 日比谷交差点で方向を変えた街道は、今度は、北向きに進みます。道は、広々とした国道で、絶え間なく、多くの車が往き交います。

 左手の国道の向こうには、江戸城の堀の石垣が続く中、右手には、丸の内の高層ビルを仰ぎます。

 やがて、次の大きな交差点に近づくと、左奥には、伏見櫓の優雅な姿が見えました。二重橋と共に写る、櫓の辺りの光景は、皇居を象徴するシーンです。

 この交差点、馬場先門と呼ばれています。街道は、真っ直ぐに交差点を渡るのですが、右に向かうと、東京駅がもう間近のところです。

 

※馬場先門。

 

 馬場先門を過ぎた後、次は、和田倉門の交差点。ここから、右方向を見てみると、東京駅丸の内の、美しいレンガ造りの駅舎が見えました。

 高層ビルが林立する、首都の駅の周辺は、そのスケールの大きさに圧倒されてしまいます。

 

※左、和田倉門交差点。右、和田倉門交差点から右を見ると、東京駅の駅舎が真正面です。

 

 和田倉門を越えた先で、街道は、大手町に入ります。次の交差点の左手奥が大手門。江戸城の正面の入口です。

 ”大手”とは、”追手”と書く場合が多いように思うのですが、江戸城は”大手”と書くのでしょうか。何れにしても、ここが、江戸城の玄関口ということです。

 街道は、次の信号で、一旦国道20号線に別れを告げて、東京駅丸の内北口へと向かう道に入ります。

 

※大手町を進む街道。この先で右折して、東京駅へと向かいます。