旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

2021-01-01から1年間の記事一覧

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)31・・・土佐路(37番→36番)

東へ 足摺岬を後にして、海岸近くの国道を、一路東へと向かいます。この先は、思いもかけず、道路整備が進んでいて、快適なドライブです。 以前訪れた段階では、まだ、自動車専用道路区間も限られていましたが、ここ数年で大きく状況が改善された様子です。 …

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)30・・・土佐路(38番と足摺岬)

足摺岬の霊場 四国八十八か所の、38番目の霊場である金剛福寺(こんごうふくじ)は、四国の最南端にある、足摺岬にある古刹です。足摺岬灯台へのアクセス道の入口が、金剛福寺の門前のすぐ前となっているため、時期によっては、この辺り、多くの観光客で賑…

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)29・・・土佐路(39番→38番)

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)の再開 今回から、「巡り旅のスケッチ(四国巡拝)」の再開です。四国八十八か所の霊場巡りは、弘法大師ゆかりの古刹を訪ねるもの。阿波の国の1番札所、霊山寺から、讃岐の国の山中にある、88番大窪寺まで、88か所の寺院の…

歩き旅のスケッチ[東海道]37・・・二川宿から遠州へ

三河から遠州へ 今回で、「歩き旅のスケッチ[東海道]」の第1章を終わります。最終回の今回は、三河の国の二川宿(ふたがわじゅく)。東海道の宿場の中では、珍しく、往時の面影がよく残るところです。 このシリーズで、何度も触れてきたように、東海道の…

歩き旅のスケッチ[東海道]36・・・吉田宿から二川宿へ

三河の国の最後の宿場 いよいよ、三河の国の最終章。豊橋市にある2つの宿場、吉田宿と二川宿を訪ねます。 近江の国の草津宿から出発して、伊勢、尾張へとつなぎ歩いて、三河の国へ。そして、愛知県の最東端の豊橋です。静岡の遠江の国を目前にして、三河最…

歩き旅のスケッチ[東海道]35・・・吉田宿へ

豊橋平野 街道は、御油の宿場を出た後は、豊橋の平野の道を一路南東に向かいます。次の宿場の吉田宿は、豊橋市の市街地にある宿場です。元は、城下町として発展し、東西の往き来の中で、街道や宿場町が形づくられたのだと思います。 三河の国も、いよいよ終…

歩き旅のスケッチ[東海道]34・・・御油宿と姫街道

松並木から豊橋の街へ 街道は、山間の道を通り抜け、次第に平地へと向かいます。辺りの景色も変化して、徐々に市街地の空気を感じる街並みへ。 赤坂の次の宿場の御油宿は、東海道の脇街道として有名な、姫街道との分岐です。東海道と姫街道。何れの道を選ぶ…

歩き旅のスケッチ[東海道]33・・・本宿から赤坂宿と御油宿へ

豊橋の平野へ 間の宿(あいのしゅく)の本宿(もとじゅく)と、36番赤坂宿、35番御油宿は、山地を通る街道にある宿場です。この区間の街道は、一部を除いて、かつての道筋が良く残り、山間の景色を楽しみながら歩けます。 街道筋が保存された理由として…

歩き旅のスケッチ[東海道]32・・・藤川宿から間の宿の本宿へ

三河の山地越え 街道は、しばらくの間、小高く広がる山間の道に入ります。この山地、愛知県の北部から、三河湾の蒲郡(がまごおり)にかけて連なるため、豊橋に向かうには、この山間を通り抜けなければなりません。 久々の山間の道と、ひっそりと佇む、間の…

歩き旅のスケッチ[東海道]31・・・岡崎宿から藤川宿へ

三河の街道 三河の国の2つの都市、岡崎市と豊橋市の間には、三河の山地が横たわります。境川を越えてから、三河の国の街道は、比較的平坦な道でした。見晴らしも良く、平地が広がる地形の中を、街道は一筋の流れをつくります。 岡崎の宿場を後にして、まだ…

歩き旅のスケッチ[東海道]30・・・岡崎宿

二十七曲がりの町 岡崎は、徳川家康の本拠地とも言える場所。岡崎城が優雅に構え、その周りを城下町が取り巻きます。 街道は、城下では、右に左に複雑に屈曲を重ねます。この折れ曲がった道筋は、二十七曲がりと名付けられ、岡崎の代名詞でもあるようです。…

歩き旅のスケッチ[東海道]29・・・岡崎宿へ

安城市 知立市から岡崎の宿場に向かう時、街道は、安城市の北部を通ります。この道中には、今も多くの区間に松並木が残されて、風情を感じるところです。 安城市は、かつては農業が盛んだったようですが、今では、たくさんの工場も見られます。東海道新幹線…

歩き旅のスケッチ[東海道]28・・・池鯉鮒宿と松並木

池鯉鮒 東海道を歩きつつ、今後訪れる宿場の名前を調べていた時、「池鯉鮒宿」を知りました。初めは、その読み方がわからずに、「いけこいふな」と読むのかどうか、不思議な名前の宿場町もあったのかと、新鮮な気持ちになりました。 調べてみると、「ちりゅ…

歩き旅のスケッチ[東海道]27・・・池鯉鮒宿へ

尾張から三河へ 街道は、尾張の国の東の外れ。道筋は、郊外の街中の風景が続きます。今では、何れも愛知県の領域ですが、かつては、尾張の先は三河の国。尾張の織田信長と、三河の徳川家康の性格などでも語られるほど、二つの国は、風土の違いがあるようです…

歩き旅のスケッチ[東海道]26・・・有松と桶狭間

間の宿有松 有松(ありまつ)は、東海道の間の宿(あいのしゅく)として発展し、有松絞り(しぼり)など、伝統工芸の町としても有名です。名鉄名古屋本線を利用すれば、名古屋駅からわずか20分ほどの距離。国道1号線と名鉄の軌道に挟まれたこの町は、都市…

歩き旅のスケッチ[東海道]25・・・笠寺から鳴海宿、有松へ

鳴海宿へ 街道は、笠寺の街を通りすぎ、鳴海宿へと向かいます。この辺りは、尾張の国の東部にあって、三河の国につながるところ。戦国の時代には、織田家が治めた国でした。恐らく、群雄割拠の時代には、戦や陰謀などの出来事がこの地を舞台に繰り返されたこ…

歩き旅のスケッチ[東海道]24・・・宮宿から笠寺へ

東国へ 宮宿は、東国への入口と言っても良いところ。幾つかの主要な道が収れんし、この先、三河・遠州・駿河など、東の国への拠点です。 宮宿を後にした東海道は、名古屋市南部の街並みを南東方向に延びていき、次の宿場の鳴海宿へと向かいます。 道標 熱田…

歩き旅のスケッチ[東海道]23・・・宮宿と七里の渡し、熱田の宮

東海道随一の宿場町 宮宿は、東海道で最大規模の宿場であったと言われています。どうして、この宿場が賑わったのか。その理由は幾つかあるようです。 その一つが、七里の渡し。桑名宿と宮宿を海路で結んだ東海道の、東の湊がここ宮宿にあったのです。 二つ目…

歩き旅のスケッチ[東海道]22・・・宮宿への道(後編)

国道歩き 桑名宿と宮宿の間は、今は陸路でつながります。七里の渡しの海路があれば、さぞかし優雅な旅ができたのではと思いながら、国道をひたすら歩き続けます。 国道1号線が通るあたりは、かつては、伊勢湾の汀線近くだったのだと思います。あるいは、干…

歩き旅のスケッチ[東海道]21・・・宮宿への道(前編)

迂回路 七里の渡しから先の行程は、今では陸路を進むしかありません。そのルートは、国道1号線の利用です。 江戸時代には、伊勢湾の海岸線は、今よりもさらに陸地側にあったということで、国道の道沿いは、海だったのかも知れません。それでも今は、国道を進…

歩き旅のスケッチ[東海道]20・・・桑名宿と七里の渡し

宿場町・湊町・城下町 桑名の街は、古くから交通の要衝であったため、まずは宿場町として発展したのだと思います。そして、この街は、東国へとつなぐ渡船の湊が設置され、湊町としても賑わいをみせました。 さらに、江戸期になると、桑名城の城下町としても…

歩き旅のスケッチ[東海道]19・・・四日市宿から桑名宿へ(後編)

桑名へ 四日市市を過ぎた後、街道は、朝日町(あさひちょう)という小さな町を通り過ぎ、桑名市へと入ります。この辺り、鉄道は、JR関西本線と近鉄名古屋線などが往来し、道路も、東名阪自動車道路や伊勢湾岸道路などが交差していて、交通の便は良好です。 …

歩き旅のスケッチ[東海道]18・・・四日市宿から桑名宿へ(前編)

伊勢路の長丁場 四日市の次の宿場は桑名宿。2つの宿場の間隔は、3里を越える長丁場です。かつては、桑名に着いたその先は、船の渡しが中心でした。船に乗れば、疲れた足を休めることができるため、長丁場であったとしても、旅人の心は弾んでいたかも知れま…

歩き旅のスケッチ[東海道]17・・・日永の追分から四日市宿へ

追分 追分(おいわけ)は、街道が分岐するところではありますが、裏を返すと、2つの街道が交わる場所でもあるのです。東海道と伊勢街道がひとつに交わる、四日市市の日永の追分。かつては、伊勢参りの旅人と東海道を往来する人馬などで、たいそう賑わってい…

歩き旅のスケッチ[東海道]16・・・日永の追分へ

四日市へ 石薬師の宿場を過ぎると、まもなく四日市市に入ります。鈴鹿峠を越えた後、鈴鹿川の流れと共に歩きつないだ街道も、この辺りで鈴鹿川とはお別れです。これまでの、のどかな農地や落ち着いた集落の先には、伊勢湾沿いの工業の街が近づきます。 石薬…

歩き旅のスケッチ[東海道]15・・・庄野宿から石薬師宿へ

鈴鹿市の2宿 庄野宿とそれに続く石薬師宿は、伊勢の国、鈴鹿市にある宿場です。いずれの宿場も、国道1号線のすぐ傍にあるために、機会があれば、気軽に立ち寄ることが可能です。 かつては賑わっていたであろう2つの宿場。今はひっそりと佇む感じの町並み…

歩き旅のスケッチ[東海道]14・・・亀山宿から庄野宿へ

鈴鹿市へ 亀山市の東隣は鈴鹿市です。鈴鹿峠を越えた後、48番坂下宿から関宿へ、そして、亀山宿までが亀山市。続く、45番庄野宿とその先の石薬師宿の2つの宿場が鈴鹿市です。 鈴鹿市の中心部は、伊勢湾へと流れを運ぶ鈴鹿川の南側。一方の、東海道は鈴…

歩き旅のスケッチ[東海道]13・・・関宿から亀山宿へ

伊勢路 東海道は、鈴鹿の難所を越えた後、伊勢の国の北側を通って尾張へと向かいます。伊勢と言えば伊勢神宮。何となく、厳かであり華やかな響きもありますが、国の北部は、静かで落ち着いたところです。 左手に鈴鹿の山並みを望みつつ、右手には川幅が広が…

歩き旅のスケッチ[東海道]12・・・関宿

東海道の宿場町 関宿は、東海道の中では随一と言っても過言でないほど、往時の姿を良く残している宿場です。この町は、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定され、宿場町を味わうために、多くの観光客が訪れます。 私のブログ、「歩き旅のスケッチ[中…

歩き旅のスケッチ[東海道]11・・・坂下宿から関宿へ

伊勢路の下り坂 鈴鹿峠は、近江から伊勢へと向かう場合は、それほど険しい道ではありません。ところが、峠から坂下宿への下りの道は、結構な急坂です。私たちとは反対に、伊勢から近江の国を目指すときには、さぞかし難渋することでしょう。 東海道随一の難…