旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]17・・・日永の追分から四日市宿へ

 追分

 

 追分(おいわけ)は、街道が分岐するところではありますが、裏を返すと、2つの街道が交わる場所でもあるのです。東海道と伊勢街道がひとつに交わる、四日市市の日永の追分。かつては、伊勢参りの旅人と東海道を往来する人馬などで、たいそう賑わっていたことでしょう。

 日永の追分と伊勢の間は18里半(約74Km)、京の都とは、25里(約100Km)という地点です。「東海道中膝栗毛」の”やじさん”と”きたさん”も、四日市の宿場を発って、この日永の追分に差し掛かり、ここの茶屋で餅をたらふく食べて、南に下る伊勢街道に向かったということです。

 

 

 日永の追分

 日永の追分のところには、今も立派な鳥居が建てられ、伊勢神宮に向かう入口の役目を果たしています。先に紹介した関宿では、伊勢別街道との追分があり、そこにも鳥居がありました。

 伊勢神宮から70Km以上も離れた場所に、鳥居が設けられているということは、何とも信じ難いことですが、それこそ信心の深さを表しているように感じます。ただ、日永の追分の鳥居は「二の鳥居」。「一の鳥居」は、まだこの先の、桑名の宿場にあるようです。

 

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※日永の追分と二の鳥居。

 

 日永へ

 日永の追分を後にして、わずかに国道1号線の歩道を進むと、国道を横断する歩道橋の交差点が現れます。この交差点から左手にそれる道が東海道。ここから再び旧道を歩きます。

 この先は、道幅がやや広くなっていているところもあって、住宅地のような地域です。街道の香りは感じませんが、ところどころに見られる松の木は、それだけで、風情を感じてしまいます。

 

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※左、四日市市泊の歩道橋。左にそれる道が東海道。右、旧道の様子。

 日永の一里塚

 道幅がやや狭くなり、木造の住宅が立ち並ぶ景色の中を進んで行くと、やがて、日永の一里塚跡の石碑が現れました。住宅に挟まれた、僅かな空間に建つこの石碑。そこそこの年代を感じるような史跡です。

 石碑の傍には、四日市市教育委員会による説明板が掲げられ、この位置が、江戸から100里の地点であると記しています。東海道の延長が124里余りとされているため、江戸までは、まだ4/5の行程が残されているということです。

 この一里塚、元は、5間四方で高さが2.5間の塚があったと書かれています。明治2年に壊されて、その位置が分からなくなった時期もあったとのこと。歴史遺産も、後世の人々に受け継がれることが叶わなければ、いとも簡単に消え失せてしまうものなのかも知れません。

 

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※左、一里塚の石碑。右、一里塚の解説。

 この先の街道は、道幅が狭いわりには交通量が頻繁です。道路の右端に沿うように、注意しながら歩きます。道路が坂道へと変わった先には河川が流れ、橋を渡ると、今度は坂道を下ります。

 この辺り、川は天井川のようになっていて、住宅地は川よりも低い位置。昔から、洪水などに悩まされることはなかったのか、憂いを感じてしまいます。

 

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天井川を通過する東海道

 

 この辺り、街道の左側の少し離れたところには、四日市あすなろう鉄道が走ります。交差点のところどころで、左方向を確認すると、鉄道の軌道や駅が確認できて、街道と並行して延びている鉄道の存在がわかります。

 やがて、あすなろう鉄道の日永の駅を通過して、幾つかの小さな川を越えていき、赤堀駅へと進んで行くと、街並みは、次第に近代的な雰囲気に変わります。

 

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※左、日永駅近くの街道。右、四日市市街地に近づきます。

 

 諏訪栄の商店街

 街の様子が変わってくると、ところどころに東海道四日市宿と記された、緑色の幟旗が目に入ります。いよいよ、四日市宿の入口のようですが、宿場町の名残をそれほど感じるところはありません。

 ゆるやかに曲線を描く街道と、かすかに残る木造家屋が、僅かに往時を偲ばせます。

 

 やがて、街道は、大通りに差し掛かり、正面には諏訪栄商店街のアーケードが見えました。この大通り。中央通りと呼ばれていて、左手すぐのところに、四日市あすなろう鉄道近鉄四日市駅が位置しています。

 

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※左、先に中央通り、その先に商店街が見えてきます。右、商店街。

 

 中央通りを渡った後、諏訪栄商店街の中に入ります。かつての宿場町が、アーケードの商店街になっているところは、これまでは、見たことがなかったような気がします。東海道の板橋も規模の大きな商店街ではありますが、さすがにアーケードまではいきません。四日市の宿場町。街道筋では、少しユニークなところです。

 

 大入道

 アーケード街の一角で、大きなゆるキャラもどきのからくり人形が目を引きました。音楽に合わせて長い首が伸び縮み。子どもに人気というよりも、怖がってしまうような仕掛けです。この人形は、大入道と呼ばれていて、地元の方に愛されている存在だということです。

 妖怪のような、あるいはまた、伝説の主人公のような大入道。その昔、狸を追い払うために考案された人形で、四日市では知らない人がいないほどの人気者。

 大入道の足元には、一転して、可愛らしいアニメ風の入道のキャラクターが張り付けられて、こちらの方が、愛嬌があるようにも見えました。

  

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※左、大入道のからくり人形。右、商店街の様子。

 商店街を通り抜けても、まだしばらく、四日市の宿場町は続きます。