旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]14・・・亀山宿から庄野宿へ

 鈴鹿市

 

 亀山市の東隣は鈴鹿市です。鈴鹿峠を越えた後、48番坂下宿から関宿へ、そして、亀山宿までが亀山市。続く、45番庄野宿とその先の石薬師宿の2つの宿場が鈴鹿市です。

 鈴鹿市の中心部は、伊勢湾へと流れを運ぶ鈴鹿川の南側。一方の、東海道鈴鹿川の北側を通ります。市街地から少し離れた空気の中で、のどかな農地や集落の景色を楽しみながら街道歩きを続けます。

 

 

 亀山宿

 左手先の亀山城跡を眺めながら県道の交差点を渡ります。道なりに続く街道は上り坂。道幅は狭く、屈曲を繰り返しながら街中を進みます。坂道と屈曲が重なる街道筋は、それだけで絵になる光景です。

 やがて街道は、商店街の交差点につながって、そこを右折し、商店街を下ります。この辺りも、かつては宿場町だったはずですが、街並みは整備され、宿場の面影はありません。

 

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※左、亀山宿の様子。右、商店街と化した宿場町。

 

 江戸口門跡

 商店街を数百メートル歩いたところで、街道は左方向の脇道へ。この左折する角のところに、かつて江戸口門という城門があったということです。この城門、亀山城下の東門の位置づけで、江戸方面への城門です。江戸口門という名称も、そこから名付けられたのだと思います。

 そう言えば、亀山宿の西のはずれは、京口門と呼ばれる城門跡。京と江戸を意識した、城下町の思いが伝わるような名称です。 

 

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※江戸口門跡の表示板が掲げられた角地。左端の道が庄野へと続く街道。

 

 和田の一里塚

 江戸口門跡の角を左折して旧道に入ると、しばらく旧市街地の住宅地を歩きます。ほぼ真っ直ぐに延びるこの道は、やや退屈な風景ですが、私たちは一路東に向かいます。

 やがて市街地を通り過ぎると、少し視界が開けます。そして、その先には和田の一里塚。この一里塚も、野村の一里塚と同様に、立派な姿を残しています。

 

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※左、和田の一里塚。右、和田交差点。街道は、この交差点へは向かわずに、写真左側のさらに左に続く旧道を進みます。

 井田川

 一里塚を後にして、和田の集落へと入ります。集落の途中には、県道の和田交差点が右手に見えて、その手前には、東海道の案内標識がありました。街道は、交差点へは向かわずに、道なりに湾曲して北の方角へと進みます。

  集落内の道を抜けると、国道1号線の高架下をすり抜けて、椋川へ。そして、井田川の町に入ります。街道が、東方面に大きく方向を変えた辺りには、再び国道1号線。東海道は歩道橋で国道と直角に交差して、JR関西本線井田川駅へと向かいます。

 

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※左、椋川の橋。右、右がJR井田川駅。

 井田川駅は小さな駅ではありますが、周辺は新興住宅地が広がっている様子です。駅前広場や駐輪場などが新しく整備され、少し活気も感じます。

 一方で、道沿いの修景された植栽や街道の案内は、新しくても趣があり、道行くものの目を引き付けます。

 

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井田川駅前の様子。

 

 鈴鹿市の入口
 井田川駅から先の道は、昔ながらの街道筋。細い集落内の道を進むと、その先で、街道は大きく右に弧を描きます。この、弧を描く辺りが、亀山市鈴鹿市の境です。

 街道は、いよいよ鈴鹿市の領域に入ります。そして、JR関西本線の踏切を渡った後、道は二股に分かれることに。

 この分岐の所には、地福寺の大きな看板がありました。東海道は、地福寺の方向で、分岐を左に進みます。緩やかな坂道を進んで行くと、途中、左手の一段上方に地福寺の境内が見えました。整然とした美しい境内を見て、真っ直ぐに集落内の坂道を進みます。

 ほどなく、集落が途切れると、そこは安楽川の堤防です。安楽川は鈴鹿川の支流のひとつ。この先で鈴鹿川へと注ぎます。

  

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※左、地福寺の看板。東海道は左の道。右、安楽川の右岸堤防。

 安楽川

 安楽川は鈴鹿山系を源流としているようですが、それほど延長の長い川ではありません。それでも、街道が通る辺りでは、そこそこの川幅です。

 伊勢の国の大河である鈴鹿川東海道はその上流で何度か川を越えますが、中流以降、川幅が広がると、街道は一貫して鈴鹿川の北側を通ります。

 ただ、安楽川の渡りは避けることができません。富田の集落へと進む手前で、川の渡りが待ち受けます。

 

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※安楽川。

 富田の集落

 安楽川を渡ると、街道は、すぐに富田の集落に入ります。細長く伸びる道筋をひたすら東へと進みます。

 途中には、中富田の一里塚や幾つかの史跡を案内する標識などがありました。この辺り、鈴鹿川の北に広がる平地状の地形です。かつては、自然の河原のようなところだったのかも知れません。

 

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※中富田の一里塚跡とその案内板。

 

 庄野宿へ

 富田の集落を過ぎた後、もうひとつの集落を通り抜けると、国道1号線と県道との自動車道路の交差点に差し掛かります。

 この交差点、歩いて渡る場合は、道案内に忠実に従って、迂回道を進まなければなりません。このことを怠ると、恐らく危険な状況に陥るか、さらに遠回りをしなければならない羽目になるでしょう。

 とにかく、注意を要する地点です。しっかりと歩く道を確かめて、県道下のトンネルや、国道の高架下をジグザグに辿って、交差点の向うにある、街道の続きの道へと向かいます。

 

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※国道と県道の交差点を歩いて越える案内標識。

 

 かつての東海道を分断するように設けられた自動車道。この近代の構造物を貫けるため、複雑な歩道を辿りつつ、再び東海道に戻って来たら、庄野宿はもう目の前です。