鈴鹿市の2宿
庄野宿とそれに続く石薬師宿は、伊勢の国、鈴鹿市にある宿場です。いずれの宿場も、国道1号線のすぐ傍にあるために、機会があれば、気軽に立ち寄ることが可能です。
かつては賑わっていたであろう2つの宿場。今はひっそりと佇む感じの町並みですが、それぞれが歴史を受け継ぎ、存在感を保っています。
庄野宿
国道1号線と県道が交わる鈴鹿市の汲川原町交差点。この交差点を複雑なルートですり抜けた後、国道の脇道である街道に戻って、その先を真っ直ぐに進みます。
やがて、集落が現れると、そこには庄野宿を示す石標がありました。亀山宿からおよそ8Km。鈴鹿川の北に広がる平地を横切り、静かな集落の町並みに入ります。
※左、庄野宿の西の入口。右、庄野宿。
庄野の宿場は、もう随分と家屋の建て替えが進んでいます。宿場町の面影はほとんど感じるところはありません。元々、それほど大きな宿場ではなかったようで、町並みの延長も1Kmには及ばないと思います。
※庄野宿の様子。
それでも、宿場町の中ほどには、旧小林家の建物が復元され、宿場の歴史を伝えています。また、この建物は資料館として公開されているようですが、私たちは中には入らず、足を先へと進めます。
※旧小林家住宅。
加佐登駅へ
庄野宿の東のはずれの交差点*1。ここを道なりに、真っ直ぐ進む道が街道のようにも見えますが、実際は右折して、突き当りにある国道1号線と合流します。
この先、およそ1.5Kmの間は国道の歩道歩き。単調な景色が続きます。
私たちの行程は、この日の朝、JR関西本線の関駅に降り立って、関宿から亀山の宿場を越えて庄野宿へ。そして、次の石薬師宿へと向かう途中で終了です。
庄野宿を出た後に国道1号線を少し進んで、東海道から外れます。左手の土手道の階段を下った後、集落内を少し戻ったところにある、加佐登駅が目的地。
この加佐登駅。小さな駅ではありますが、駅前辺りの風景は、街道の続きのような面持ちです。もしかすると、本来の東海道は、庄野宿の東の外れを直進し、この加佐登駅に至る道が本筋なのかも知れません。
※庄野宿を出て、国道1号線と合流します。写真の右側は鈴鹿川。
石薬師宿へ
次の日の朝、再び加佐登駅に降り立って、次の宿場、石薬師宿(いしやくしじゅく)へと向かいます。
まずは、国道1号線へ。そして1Kmほど、ガソリンスタンドや倉庫などが点在する殺風景な道筋を歩きます。
街道は、国道の途中で左にそれて、農道のような旧道に入ります。その後、小さな川を渡ったところで右折して、国道1号線の堤の下のトンネルへ。そのトンネルを抜けると、左折です。その先は、野道のような細い道。道なりに、右に左に折れ進み、JR関西本線の軌道下をくぐります。
道が少し上り坂になったと思うと、正面に大きな木と常夜灯などが見えました。
※左、国道からそれて旧道を歩きます。右、JR関西本線をくぐった先の風景。
石薬師の一里塚
坂道は、小さな川の土手へと続き、上り着いたところは石薬師の一里塚。先ほど認めた大木や常夜灯は、一里塚の目印という訳です。
一里塚のところには、金属製の案内板が掲げられ、そこには、一里塚の解説がありました。ただ、その案内板。鈴鹿市教育委員会のものではなく、「石薬師魅力再発見委員会」の作成ということです。そして、案内板の下側には、”信綱かるた道”という表示もありました。それが何を意味するのかは、この後に明らかになるのですが、地元の方の熱意を感じる石薬師宿の入口でした。
※石薬師の一里塚。左手の橋を越えると、宿場町に入ります。
石薬師宿
一里塚のところに架かる橋を渡ると、その先が石薬師の宿場です。庄野宿から約3Km。この辺り、東海道が西から東に向かう中、進路を一旦北へと変えるところで、宿場町は南北に連なります。
宿場の中の街道は、やや勾配のある上り道、暫くは上り坂を進みます。宿場内の風景は、取り立てて特徴があるところではありません。普通の住宅が続くだけの街道です。
それでも、ところどころに”信綱かるた道”の案内と、いろはカルタの調子よい詩の掲示板が掲げられ、”信綱”が、地域で大切にされている様子が窺えます。
※石薬師宿の様子。
街道を進んで行くと、左手に石薬師寺という寺院です。石薬師という地名と同じ名前のこの寺は、この土地の名前の由来になっているのかも知れません。
坂道に沿って境内が広がり、石垣と生け垣が厳かです。石薬師の宿場町で、この辺りが、唯一街道の面影が残るところです。
※石薬師寺。
石薬師寺を過ぎた後、街道は左に大きく曲がり、国道1号線の上をまたぐ小さな陸橋を渡ります。国道を走る車両を見下ろし先に進むと、集落は右手方向に、さらに北へと続きます。相変わらず、家並みはごく普通の景色です。しかもまだ、”信綱かるた道”も続きます。
※石薬師宿の様子。
やがて、県道との交差点を通り過ぎると、左手に、小さな記念館が見えました。「佐佐木信綱資料館」と記された建物は、その名の通り、明治から昭和にかけて活躍された歌人、佐佐木信綱に関わる資料館。
この方は、石薬師の出身ということで、地元の誇りとして、その名と作品をカルタにして、宿場町の各所に掲げられていたのです。
※佐佐木信綱資料館。
佐佐木信綱という歌人。日本史か国語の教科書でしかその名に触れた記憶はありません。それでも、資料館の前に掲示されている案内を見て、何となく、懐かしく、彼の人の代表歌を思い出したものでした。
卯(う)の花の 匂う垣根に
時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて
忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ
街道は、石薬師の宿場から、都市化が進む四日市へと向かいます。
*1:東のはずれではありますが、交差点の名称は”庄野西交差点”となっています。