旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]120・・・総集編6(最終回)

 街道の風景

 

 今回で、東海道の歩き旅は、最終回を迎えます。これまで、草津追分を起点として、江戸日本橋に至るまで、街道の風景や見どころなどを紹介させて頂きました。そして、直近の数回は、特筆すべきスポットに焦点を当てた総集編。宿場町や峠など、幾つかの見どころごとに、魅力の場所を振り返ってきたところです。

 今回は、今に残る一里塚を思い出し、併せて、船の渡しや川越しで街道をつないでいる、水辺の景色も振り返りたいと思います。

 

 

 

 一里塚

 一里塚は、日本橋から、一里ごとに設置された、旅の行程の目印です。そこには、こんもりとした塚が築かれ、榎木などが植えられていたということです。

 東海道に、124か所あった一里塚。今では、その姿を残すところは、それほど多くありません。ここでは、私たちが辿った順序に、今も残る一里塚を振り返ってみたいと思います。

 

 【野村の一里塚】

 最初に巡り会えたのは、三重県の亀山宿の手前にある、野村の集落です。少し高台の、それほど密集していない住宅地の沿道沿いに、この一里塚はありました。

 塚の上には、大きな椋木が植えられていて、遠くからでもその姿を望めます。今は、片側だけしか残っていない塚ですが、歴史の深みを感じます。

 

※野村の一里塚。

 

 【石薬師】

 次も、三重県の石薬師にある一里塚。ここは、四日市の一つ手前の宿場町の入口です。西の宿場のはずれの土手に、その名残がありました。

 塚自体は、今はほとんど消滅の状態ですが、それでも、榎の大木は、その名残を伝えています。

 

※石薬師の一里塚。

 

 【笠寺の一里塚】

 次は、愛知県に入ります。ここには、名古屋市にある、宮宿と鳴海宿の間にある、笠寺の一里塚が、見事な姿で残っています。

 この近くには、徳川家康にゆかりのある、笠寺観音などもあり、戦国の歴史が香りが漂います。

 

※笠寺の一里塚。

 

 【岩淵の一里塚】

 次は、静岡県に移ります。最初は、今の富士市富士川の直前にある間の宿、岩淵に残る一里塚を見てみたいと思います。

 この一里塚、街道の左右の際の双方に、対をなして残っています。そこに聳える榎の姿も素晴らしく、貴重な史跡と言えるでしょう。

 

※対で残る岩淵の一里塚。

 

 【伏見の一里塚】

 静岡県の清水町、三島の宿場の直前に、伏見の一里塚が残っています。ここも、対をなす一里塚ではありますが、余りにも、美しく手入れされているように感じます。

 街道の北側は、玉井寺の敷地にあって、南側は、宝池寺です。2つの寺院の敷地に残る、珍しい一里塚だと思います。

 

※宝池寺の一里塚。

 

 【錦田の一里塚】

 次は、錦田の一里塚。静岡県三島市の、初音ケ原の松並木の間に残っています。ここも、左右が対で残っていて、松の並木に挟まれた、趣ある姿です。

 

※松並木の間にある錦田の一里塚。

 

 【畑宿の一里塚】

 神奈川県では、箱根の山の東の斜面、寄木細工で有名な、畑宿の集落の直前に、超一級レベルとも言えるほど、見事な一里塚が残っています。往時から、姿を変えない街道と、手付かずにも感じられる、一対の一里塚。まるで、タイムスリップしたような街道の光景が広がります。

 

※畑宿の一里塚。畑宿の集落から箱根の山の方角に向けて写しています。

 

 【国府本郷の一里塚】

 神奈川県二宮から、大磯の宿場に向かう途中に延びる松並木。その途中のところには、国府本郷の一里塚がありました。

 松並木の堤に残る一里塚。ひっそりと、並木の中に埋もれています。

 

国府本郷の一里塚。

 

 【茅ヶ崎の一里塚】

 茅ヶ崎の一里塚は、国道1号線にある、茅ヶ崎駅前交差点のすぐ東、一里塚交差点の東の角にありました。周囲には、立派な囲いが設けられ、この地は誰にも明け渡さない、と、宣言しているようにも思えます。

 街中に、踏ん張っているような、力強い一里塚の姿です。

 

※茅ケ崎の一里塚。

 

 【品濃の一里塚】

 最後に振り返ってみたいのは、神奈川県横浜市にある、品濃の一里塚。横浜とは思えない、静かな丘に延びる街道沿いに、その一里塚はありました。対となって残っている、貴重な一里塚の一つです。

 

※品濃の一里塚。

 

 渡しと川越し

 東海道は、海や河川の河口近くを通るため、時には、船を利用して、水辺を通り抜ける必要がありました。また、河川では、川越し人足の背に乗って、あるいは、蓮台に担がれて、流れの中を進むことになるのです。

 最後に、このような水路で渡った主要な場所を、まとめてみたいと思います。

 

 【横田の川越し】

 琵琶湖に流れる野洲川の、左岸沿いに遡った街道は、三雲の辺りで川越しを迎えます。そこは、横田の渡しと言われるところ。

 野洲川の右岸には、今も、往時の常夜灯が、ずっしりと構えています。

 

※横田の川越しに残る常夜灯。

 

 【七里の渡し】

 三重県の桑名宿から、愛知県尾張の国の宮宿までは、船の航路で渡った区間。七里に及ぶ航海の街道です。この間は、木曽三川揖斐川長良川木曽川)が海辺に注ぐ、自然の要衝地帯です。今は、幾つかの立派な橋が架かっていますが、往時には、船でなければ越えられなかったところです。

 

※桑名湊と揖斐川長良川の河口。

 

※七里の渡しの東の湊、宮宿の湊の様子。

 

 【今切の渡し】

 浜名湖下流でも、船で街道を越えました。新居の関所の辺りから、舞坂宿の港まで、およそ1里18町(約6Km)の船旅です。元々は、浜名湖下流の地域は、陸伝いだったのですが、地震による影響で、河口は海とつながりました。

 今に切れた河口域、今切(いまぎれ)の語源になっているのです。

 

※今切の渡し、舞坂宿から浜名湖を望みます。

 

【大井の川越し】

 越すに越されぬ大井川。その名の通り、川幅は広く急流で、川越しは難渋するところだったと思います。

 今も、大井川の左岸には、島田の川越しの遺跡などが残っています。復元された川越しの町並みも、是非とも訪れて頂きたいところです。

 

※川越しで渡った大井川。

 

※島田宿につながっていく、大井川の川越遺跡。

 

 【安倍川の川越し】

 静岡市にある安倍川は、安倍川餅で有名です。静岡にある河川の中でも、有数の規模を誇っています。東海道膝栗毛のやじさんときたさんも、騙されながら、高い料金を払わされ、この川を越えることになりました。

 

※安倍川から静岡市久能山を望みます。

 

 【酒匂川の川越し】

 酒匂川は、神奈川県小田原市の東を流れる河川です。安藤広重の浮世絵にも描かれる、有名な川越しの一つです。

 

※小田原の東にある酒匂川。

 

 【六郷の渡し】

 最後は、川崎から東京の蒲田へと向かう渡しです。ここは、多摩川下流を越える最後の渡し。雄大な流れの中を、船で越えたところです。

 

多摩川を渡る六郷の渡し。

 

 東海道の歩き旅

 今回で、「歩き旅のスケッチ[東海道]」を終了します。歩き始める前までは、東海道は、ほぼ、国道に沿った道だと思い込んでいましたが、歩いてみると、意外にも、多くのところで旧道が残っていて、街道の余韻を感じることができました。

 全行程を歩くのは、大変なことですが、旧道の一部だけを歩いても、その魅力を味わうことは、可能です。ぜひとも、一度は訪れていただきたいと思います。

 

 次回からは、次の街道、甲州道中の歩き旅をお伝えします。甲州道中は、信州の下諏訪宿で、中山道と行く手を分ける街道です。北に向かう中山道とは反対に、南の上諏訪方面に針路をとって、甲州へ、江戸日本橋へと向かいます。

 昨年(2021年)の3月から、今年の5月にかけて、53里24町(200Km強、但し、53里11町と書かれた資料もあります。)の道のりを、歩きつないだ記録です。