旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]90・・・畑宿へ

 寄木細工

 

 箱根には、古くから親しまれている、寄木細工のお店が並ぶ町があり、道ゆく人の目を惹きつけます。この町は、畑宿というところ。有名な温泉などが点在する、国道沿いの町ではなくて、国道から尾根を挟んだ南側。街道と肩を並べて斜面を下る、県道沿いの集落です。

 畑宿と呼ばれるように、かつては、宿場と宿場の間にあった、間の宿だったのかも知れません。

 東海道中膝栗毛の、やじさんときたさんは、挽物細工(今の寄木細工)を買いますが、その場所は、箱根の麓の湯本の町。可愛いお店の娘さんにうつつを抜かし、売値より高い値段を支払って、煙草入れを買ってしまうお話です。

 江戸の頃から名が知れた、寄木細工の本場の町は、この畑宿です。元箱根から湯本までの中間地点に位置していて、街道歩きの節目となるところです。

 

 

 親鸞上人

 甘酒茶屋を後にして、再び、茶屋裏の街道に戻ります。そこから先は、少しの間、概ね平坦な道となり、山の中の、小さな庭園のような空間を進みます。

 その後、右手に下る階段状の坂道を、県道に向かって下ります。街道が、県道に下り立つ直前には、石碑とともに、「親鸞上人と笈ノ平(おいのだいら)」と記された、案内板がありました。

 詳しくは記載されていませんが、親鸞上人が東国の教化を終えての帰路、4人の弟子とともにこの場に差し掛かった時、上人が、東国の門徒のことが心配になり、一人の弟子を、ここから東国に戻すことにしたというのです。この場所は、その弟子との別れの地として、後世に伝えられました。

 

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親鸞上人に関する石碑など。

 

 親鸞上人は、浄土真宗の開祖として有名です。この方が、東海道の箱根の地を通られたのは鎌倉時代、上人が60歳あたりの頃でした。おそらく、常陸の国(今の茨城県)から都へと、居所を移す途中のことだったのだと思います。

 30過ぎで越後に流され、その後、許しが出た後で、東国に向かうのですが、常陸での長期の逗留を終えた後、故郷の都へと足を向けることになったのです。

 

 偉大な宗教指導者の、箱根の山での出来事に触れ、悠久の歴史的に思いを馳せて、県道に合流した坂道を下ります。

 

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※県道と合流した街道。石畳の歩道が街道であることを示しています。

 追込坂と猿滑坂

 この先の街道は、国道の歩道に沿ってしばらく進み、その後、一旦山の中に入ります。その後、山の際を抜け出して、県道に併設された、階段状の歩道の道を下ります。

 この辺りまでの坂道を、追込坂と呼ぶそうですが、狩りに適した場所だったのか、ある程度、平坦なところだったような気がします。

 

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※山際の道から県道に下る歩道。

 

 街道は、県道につながる階段を下りた後、横断歩道を渡ります。そして、そこで県道から、右にそれ、旧道の坂道に入るのです。

 この先は、猿滑坂と呼ばれている、急な坂道が続きます。途中、緩やかな道もありますが、谷底に、一気に下っていくような、勾配ある坂道が中心です。

 

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 新旧の道を経て

 どこまでも続く下り坂。体力的には、それほどの負担ではないものの、下っても下っても、なかなか先が見通せない道中です。

 途中では、県道に合流し、或いは、有料道路の高架下をくぐりながら、変化に富んだ道筋を進みます。

 

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 かなりの落差を下ったと思います。体力よりも、精神的な負担の重みが増す頃に、坂道は平坦な場所に到着します。空が広がり、明るい日差しを感じると、そこには、見事な一里塚がありました。

 これは、畑宿の一里塚と呼ばれるもので、見事に、往時の形を残しています。左右双方に塚が残り、その間に街道が通ります。江戸時代の街道が、そのまま残っているような、一里塚と一体化した風景は、値千金とも言えるような、貴重な場所だと思います。

 今の時代にありながら、往時の街道の風景が味わえる、特別な場所だと言えるでしょう。

 

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※対をなす塚が残る、畑宿の一里塚。

 畑宿

 畑宿の一里塚を過ぎたところで、街道は、県道につながる導入路に入ります。そこにはいきなり、寄せ木細工のお店が並び、辺りには、伝統ある集落の空気感が広がります。

 

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※中央地道の道が、一里塚がある街道。私たちは、中央から手前に向かって進んでいます。

 

 街道は、その先で、県道に合流です。合流地点の近くには、公衆のトイレなども整備され、ひと休みするのには、恰好のところです。私たちは、しばらくの間、足を休めて、体力を蓄えます。

 畑宿の町を通る県道は、それほど、広い道幅ではありません。歩道もない道路に沿って、寄木細工の工房や土産物店が並びます。

 静かな山間の集落は、のどかな光を浴びながら、ゆったりとした時の流れを刻んでいます。

 

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※畑宿の町並み。

 

 寄木細工の展示品を眺めながら、畑宿の街道をあるいていると、”本陣跡”と表示された、バスの停留所がありました。この名前を目にすると、やはり、畑宿は、間の宿だった様子です。

 芦ノ湖の畔にある箱根宿の次の宿場は、相模湾のほど近く、小田原の宿場です。この間は、17Kmの距離が開き、大変な長丁場。途中には、幾つかの休憩地(間の宿)が必要です。おそらく、この畑宿と、山の麓の箱根湯本は、重要な休憩地だったのだと思います。 

 

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※畑宿の本陣辺り。

 私たちは、畑宿から、箱根の東の玄関口、箱根湯本を目指します。