旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]76・・・吉原宿へ

 再び"海道"へ

 

 富士川を、最適な位置で渡るため、街道は、海岸から少し離れた、富士山の裾野近くを通ります。今は、富士市の市街地を、巡るように縫い歩き、吉原の宿場を目指すのです。

 13番目の吉原宿。初めの頃は、海の近くに設けられたようですが、高潮などの影響で、次第に内陸へと移っていったということです。東海道の名前の由来は、海の近くを通る道。

 ”海道”は、富士の街の中心地から、少しずつ、海に向かって進みます。

 

 

 本市場の一里塚

 街道は、JR富士駅前の商店街を横切って、落ち着いた雰囲気の住宅地へと入ります。ここからの道の流れも、しばらくは旧道の状態で、緩やかに弧を描きながら進みます。

 住宅が並んだ先は、学校や工場などに挟まれたような道筋です。道幅は、狭いままで、裏道のような道路が続きます。

 

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※学校(左)や工場(右)の間を通ります。

 少し進むと、道端に、小さな花壇がありました。花壇の奥の僅かな土地には、「旧東海道一里塚」と刻まれた、古い石碑が置かれています。ここは、かつての一里塚。本市場(もといちば)の一里塚跡ということです。

 この辺りから、本市場という地域に入ります。

 

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※本市場の一里塚。

 

 本市場へ

 曲線を描きながらの旧道は、その先で、一旦、県道に入ります。そこは、変則的な5叉路になる交差点。街道は、県道の1本北の旧道へと進むのです。

 少し複雑な道筋を、地図を頼りに、忠実に、旧道を辿ります。

 

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※左、県道に向かう旧道。右、県道と5叉路のような交差点。

 

 この後、道幅が少し広がると、街並みも、新しい区画に変わります。途中では、それこそ、近年整備されたような計画道路が、街道を分断して横切ります。左右に通る計画道路の向こうには、街道の先が見えてはいますが、遠回りしなければ、そこに辿り着くことはできません。

 旧来の街道をよく残している富士市であっても、ここだけは、残念な街づくりとしか言いようがありません。

 計画道路を越えた先の旧道は、さらに道幅は広がります。そして、道路上には、「富士市フィランセ」という、福祉施設の案内表示が見えました。

 

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富士市フィランセの案内表示。

 間の宿本市場

 富士市フィランセの建物前を歩いていると、歩道の際に、「東海道 間宿 本市場」と表示された案内板がありました。

 安藤広重の浮世絵にも描かれたという本市場。数々の茶店などが並んでいて、多くの旅人で賑わっていたということです。

 宿場間の休憩地である間の宿。富士川の少し手前の岩淵もそうでした。ただ、本市場の位置としては、次の吉原宿とそれほど離れた場所ではありません。それでもここに、間の宿ができたのは、冒頭で少し触れた話と関係しているのかも知れません。

 つまり、当初、吉原宿が置かれた場所は、江戸後期の場所と比べて、随分東にありました。距離にして、数キロも離れた所で、それこそ、海の近くです。それを思うと、本市場の集落に、間の宿が置かれたことは、頷けることだと思います。

 

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※間の宿の案内板。

 

 吉原宿へ

 街道は、その後、富士見大通りと名付けられた、広々とした道路に出てきます。この道路には信号が設けられ、迂回せずに横断することが可能です。左を見ると、富士山がそそり立ち、街と富士とのコントラストが見事です。

 横断歩道の先に進むと、旧道が続くのですが、そこは、落ち着いた感じの住宅が並びます。そして、潤井川(うるいがわ)と呼ばれている、富士市の街中の川を渡ります。

 街道は、潤井川を越えた後、少ししてから右に折れ、県道に合流です。

 

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※左、富士見大通り。右、潤井川(うるいがわ)の橋。

 

 県道は、やがて、高島の大きな交差点を迎えます。県道同士が交差する、その交差点。ここに、北に向かう東海道の旧道が加わります。どの方向も、車が激しく走る中、街道だけは、静かな、ひっそりとした雰囲気を残します。

 住宅が建ち並ぶ静かな道を進んで行くと、やがて、富士市のメイン道路の一つである、青葉通りに至ります。

 青葉通りは、道幅の広い道路で、沿道には、富士市役所や、たくさんのビルが並びます。

 

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※左、県道交差点から北方向へ斜めに入った街道。右、街道が青葉通りに達したところの歩道。

 

 吉原宿

 街道が、青葉通りを迎えたところの歩道には、「(新)吉原宿・西木戸跡」の表示です。3回ほど位置を変えた吉原宿。最後に構えた宿場町は、この辺りが西の入口だった様子です。

 富士市にある宿場町は、14番吉原宿。かつては、吉原市に属していて、富士市とは別の街でした。後に(1966年)両市は合併し、今は富士市となったのです。

 

 青葉通りを渡った先は、少しの間、整備された道路を北上します。街並みは、全くの再開発された姿です。宿場町の名残など、見つけることはできません。

 

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※青葉通りを越えた先の街道。

 

 街道は、その後、右方向の旧道に入ります。緩やかに曲線を描きながら、小さな川を横切って、何となく、宿場町の名残のような町並みに近づきます。

 この先は、落ち着いた町が続くのですが、吉原宿の中心地は、まだもう少し先の方。何か、宿場の面影が残ってはいないかと、辺りを眺めながら歩きます。

 

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※左、整備道路から斜め左に向かう旧道。右、小さな川を越え、宿場町へと向かいます。