旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[甲州道中]1・・・下諏訪宿

 甲州道中

 

 江戸時代に整備された五街道。江戸日本橋から、甲斐の国、今の山梨県に向かう街道は、一般的には、「甲州街道」と呼ばれています。”街道”は、本来は”海道”と言う意味で、東海道こそ、その名を背負っている街道です。

 ところが、今回から紹介する「甲州街道」は、海辺近くを通りません。そのために、江戸時代の途中から、「甲州道中」という名称が、正式に用いられてきたということです。

 この「甲州道中」は、学生の頃の記憶では、甲斐の国の甲府までの道のりとして学んだように思います。ところが、実際には、甲府からさらに北へと向かって行って、中山道との分岐点、下諏訪宿につながっているのです。

 

※「ちゃんと歩ける甲州街道」(山と渓谷社)掲載の五街道概要図。

 

 甲州道中が中山道とつながることで、甲州を経由して、中山道を北へと進み、軽井沢の追分宿に向かえます。そこからは、北国街道を北に進むと、越後の海に辿り着くことができるのです。越後に出れば、佐渡の島はすぐそこです。或いは、佐渡で得られた金塊を、江戸に運ぶルートとして、この道筋は、重宝されていたのかも知れません。

 松本清張の小説に、「異変街道」という、金塊に絡んだ作品がありますが、まさに、甲州道中は、そんな話が残っていても、不思議ではないような、隠れた魅力を感じさせる道筋です。

 

 

 追分

 

 甲州道中の西の起点は、信州の下諏訪宿。正確には、宿場町の中心部にある、中山道との追分です。

 下諏訪宿は、中山道29番目の宿場町。諏訪湖の北に位置していて、西は、塩尻峠の先にある、塩尻の宿場が控えています。一方で、東に進んで行くときは、宿場から、北に進路をとって、中山道随一の難所とされる、和田峠へと向かうのです。

 

下諏訪町発行のパンフレットから。赤の破線が中山道で緑が甲州道中です。

 

 中山道甲州道中との追分は、宿場内のT字路です。西から入る中山道は、宿場の途中で、T字路に突き当たり、そこを左に折れて、北の方へと向かいます。一方で、甲州道中の道筋は、T字路が起終点。T字の角を右に折れ、そこから南へと向かうのです。

 

 下諏訪の宿場町は、街道の結節点であるために、多くの旅人達で賑わっていたことでしょう。それに加えて、下諏訪は、諏訪大社下社の門前町でもありました。宿場町のすぐ近くには、今も、諏訪大社の下社が厳かに鎮座しています。

 しかも、下社は2か所に分かれていて、中山道沿線の北側には”春宮”が、甲州道中沿線の南側には”秋宮”が、厳かに佇みます。街道と諏訪大社の2つの社。その関係性は分かりませんが、いずれも、道中の安全を祈願する、重要な祈りの場所だったのだと思います。

 

 

中山道側に鎮座する諏訪大社下社春宮。(2019年3月に、中山道を歩いた当時の写真です。)

 

 下諏訪宿

 下諏訪の宿場に向かう拠点の駅は、JR中央本線下諏訪駅。そこから、10分ほど、北に歩くと、中山道下諏訪宿に到着します。下諏訪宿の入り口には、宿場に誘う、意匠を凝らしたゲートが置かれ、雰囲気は上々です。*1

 ゲートをくぐったその先は、緩やかな直線の坂道です。石畳や土道を模したような舗装の道と、木造の家屋など、宿場町の雰囲気を感じます。

 

中山道下諏訪宿の入口。

 下諏訪宿

 下諏訪の宿場町は、珍しく、温泉が湧く宿場です。道沿いには、何か所かの湯宿もあって、情緒深いところです。道は、宿場の中を、真っすぐに東方向に延びて行き、正面で、真横の(南北の)道とつながります。

 

下諏訪宿

 

 T字に交わる街道は、その正面に”かめや”の旅館。道端には、石碑や案内板が置かれています。宿場町の本陣も、このT字路辺りにありました。

 

※追分の様子。T字路で交わり、左方向が中山道。右の道が甲州道中。

 

 甲州道中の起終点

 中山道との追分から、甲州道中の方角を見た光景を、下の写真で、ご覧いただきたいと思います。この追分には、「甲州道中・中山道合流之地」と刻まれた石碑が置かれ、かつての、交通の要衝地であったことを示しています。 

 

甲州道中の起終点。

 

 石碑の傍には、石造りの銘板も埋められていて、街道の分岐であることを、あるいは、甲州道中の起終点であることを、はっきりと示しています。

 

※石造りの銘板。

 

 甲州道中について

 ここで、下諏訪町発行の、中山道甲州道中を紹介しているパンフレットから、甲州道中についての簡単な説明書きを紹介したいと思います。簡潔にまとまっていて、この道の性格などが良く分かる一文です。

 

 「甲州道中は、日本橋から下諏訪を結ぶ53里11町の街道で、五街道のひとつに数えられます。初めは甲州海道といいましたが、海辺を通る道ではないからと、正徳六年(1716)甲州道中と改称されました。」

 「甲州道中は徳川幕府が、豊臣恩顧の外様大名江戸へ攻めてきた時の逃げ道として作られました。参勤交代でこの街道を通った大名は、信州の高島、高遠、飯田の三藩と甲斐の諸藩にすぎず、公用の通行といえば、江戸城へのお茶壺道中の外、江戸幕府甲府勤番代官所との連絡が主でした。中山道などに比べれば通行者は少なかったのですが、多くの旅人が行き交う道でした。」

 

下諏訪町発行のパンフレット。

 

 さあ、いよいよ、甲州道中の歩き旅が始まります。最初に目指す宿場町は、諏訪湖の北西、諏訪市にある、上諏訪の宿場です。

 

*1:私たちが、下諏訪宿を訪れて、甲州道中の歩き旅を始めたのは、2021年3月のことでした。そして、遡ること2年。2019年の4月に、中山道の歩き旅で、この宿場町を訪れているのです。