旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[甲州道中]8・・・富士見町


 

 分水嶺

 

 信州と甲州の境界は、概ね、宮川と、富士川の上流の釜無川分水嶺。ただ、街道は、釜無川の流域に入っても、しばらくは、信州が続きます。

 急峻な山並みが迫る狭間の位置を、巧妙にすり抜ける甲州道中。この道筋には、明確な、峠と言えるところはありません。富士見町の街道は、谷あいにありながら、谷間からは少し小高い、丘陵地のような場所を通ります。緩やかな上り下りを繰り返し、信州最後の宿場町、蔦木宿(つたきじゅく)を目指します。

 

 

 

 神戸(ごうど)の一里塚

 小高い丘の、林のような空間に、一筋の流れをつくる街道は、やがて、緩やかな下り道に入ります。

 そして、前方には、見事としか言いようのない、一里塚の姿です。この一里塚、「御射山神戸(みさやまごうど)の一里塚」と呼ぶらしく、塚の傍には、木製の説明表示がありました。

 

※神戸の一里塚。

 

 甲州道中の道沿いには、今も残る一里塚は、それほど多くありません。その中でも、神戸の一里塚は超一級。左右の塚が現存し、往時の姿を見事に残しているのです。(後述の説明板の解説を参照ください。)

 振り返ると、東海道では、笠寺の一里塚や、岩淵、伏見、畑宿など、幾つもの、立派な一里塚がありました。それに比べて、この街道は、やや寂しい気がします。

 開発が進んでも、東海道は、誇るべき歴史の道。保存への関心も、一入だったのかも知れません。

 

※左、街道の左右に残る神戸の一里塚。右、神戸の一里塚の説明板。

 

 富士見町指定史跡の説明文

 ここで、塚の傍に掲げられた説明板から、その内容を、少し引用したいと思います。

 

 「・・・この一里塚は集落の北のはずれにあって、江戸の日本橋から四十八里目(四十九里との説もある)の塚であるといわれ、明治中頃までその役割を果たしていた。道路の東塚にはエノキが、西塚にはケヤキが育っていたが、東塚のエノキは明治初期に枯れてしまったという。」

 「残っている西塚のケヤキは、塚がつくられた慶長年間に植えられたものと推定され、樹齢はおよそ380年を数える*1。」

 「甲州街道でこのように塚・ケヤキともに往時のものが保存されている例は他になく、実に貴重な存在である。

 

 すずらんの里

 一里塚を過ぎた後、街道は、少し勾配のある下り坂へと変わります。そして、その坂を下り終えると、国道20号線に合流です。この合流地点のところには、少し大きな石碑があって、街道の趣を残しています。

 国道の向こうを見ると、JR中央本線と一つの駅が目にとまります。この駅の名前はは、”すずらんの里駅”です。どこか愛着を感じるこの駅の名は、忘れることができません。

 

※国道との合流地点。先の方には、すずらんの里駅が望めます。

 国道沿線

 国道に入った街道の沿線は、少し大きな集落が広がります。長野県富士見町の北端にある集落で、道伝いには、民家が連なり、JAの施設などもありました。

 途中には、立派な塀の民家が現れ、その入り口は、冠木門。往時から、特別な屋敷だったのだと思います。

 

※冠木門がある民家。

 

 富士見パノラマリゾート

 国道沿いの集落を進んで行くと、富士見パノラマリゾート入口の交差点。ここを右折し、山道へと向かった先が、入笠山の斜面に広がる、富士見パノラマリゾートです。この観光地、下から見ると、ゲレンデの白く輝く斜面のコースが見事です。斜面に沿って、流れ下る、滝のようなゲレンデの形状は、見る者の心を引き付けます。

 入笠山は、すずらんが有名らしく、先ほどの駅の名前も、ここに由来していると言うことです。 

 

※富士見パノラマリゾート入口の交差点。

 

 丘陵地へ

 交差点を渡った先で、街道は、右手の旧道に入ります。ただ、このポイントは、少し注意が必要です。右前方向に延びる坂道と、今来た方角に、戻るような坂道があり、後者の道を選択しなければなりません。地図をよく見て、進むことが大切です。

 

※Uターンして、今来た方角の坂道に入ります。右に見えるのは富士見パノラマパーク入口交差点。

 

 街道は、この先、急坂を一気に登ります。道沿いの左側は、新しい住宅地のようなところです。道端には、石仏や石像が点在し、街道の名残も感じます。

 

※急坂の道端にある石碑。

 

 しばらくすると、右側には、甲州道中特有の、石仏石塔群が現れます。この石仏石塔群、かなりの数で、見事と言う他ありません。

 背景の丘陵地や入笠山の斜面に映えて、旅情をそそる光景です。

 

※見事な石仏石塔群。

 

 原の茶屋

 急坂を越えた街道は、おおむね、平坦な道に戻ります。途中、左手には、カゴメの大きな工場が。また、右下には、実験農場なども見られます。

 やがて、農地の中の道となり、原の茶屋の集落へと近づきます。

 

※丘陵地の平坦な道を進む街道。

 しばらく進むと、原の茶屋の集落です。特徴ある、木造の建物なども散見できる、趣のある集落で、宿場町のようにも感じます。常夜灯や、松の木なども、街道の雰囲気を盛り上げます。

 この集落は、名前の通り、かつては、茶屋が置かれていたのでしょう。立場なのか、間の宿の位置づけなのか。いずれにしても、街道沿いの重要な役割を与えられた集落だったと思います。

 

※原の茶屋の集落を通る甲州道中。

 

 富士山

 原の茶屋を過ぎた後、街道は、変電所の施設を横切って、さらに南下していきます。その先には、フェンスで囲まれた、広大な空き地です。その端を、直進する道もありますが、どうもその先は行き止まり。地図を見ると、フェンスの周りを、右方向に迂回しなければなりません。

 



 フェンスの周りを行く道は、本来の街道ではありません。先ほどの直進道が、その先で、途切れているため、今は、迂回するしかないのです。

 この迂回路を歩いていると、左向こうに、富士山の姿が見えました。甲州道中の沿線から、初めて捉えた富士山です。富士見町から望む富士山は、また、格別な姿に見えました。

 



 私たちの街道歩きは、この日はここで終了です。早朝に、茅野駅から歩き始めて、17km。この日は、ここから、500m近く東に向かった、富士見駅を利用して、宿泊地へと戻ります。

 

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*1:平成10年の記事であるため、今では400年以上の樹齢だと思われます。