四日市へ
石薬師の宿場を過ぎると、まもなく四日市市に入ります。鈴鹿峠を越えた後、鈴鹿川の流れと共に歩きつないだ街道も、この辺りで鈴鹿川とはお別れです。これまでの、のどかな農地や落ち着いた集落の先には、伊勢湾沿いの工業の街が近づきます。
石薬師宿
佐佐木信綱資料館を過ぎた後、街道は、石薬師宿の後半に入ります。ただ、宿場町の風景は、これまでの町の様子とさほど変わったところはありません。宿場町の面影は、それほど残っていない道筋です。
やがて、下り坂に差し掛かると、遠方には、眼下に街並みが見渡せます。そう言えば、宿場町の前半はそこそこ急な上り坂。坂を上って、平らな区間を通り過ぎ、最後には下り坂という地形です。このように、石薬師の宿場町は、ひとつの丘のようなところに連なっているのです。
坂道を下りながら、左方向に向かう曲線を進んで行くと、その先で国道1号線と合流します。石薬師の宿場はこの辺りまで。次に目指すは、四日市の宿場です。
※石薬師宿の後半。坂道を下って国道に向かいます。
四日市市へ
国道と合流した街道は、200mほど左側の歩道を進んだ先で、反対車線の右脇に延びる旧道に向かいます。この時、国道を渡る必要がありますが、ここは地下道の利用です。
地下道を出たところで、国道右手の坂道へ。その後東海道は、国道とはほぼ並行に、一段高い丘の上を進みます。
※左、木田町大谷交差点。ここを地下道で渡り、中央に見える細い坂道に入ります。
丘の上の街道は、集落を抜けると再び国道と合流します。この、合流地点の辺りが鈴鹿市と四日市市の境界です。街道は、国道に吸収されて、四日市市の領域へと入ります。
この先、国道の右側の歩道に沿って、およそ1Kmの行程をひたすら歩き続けます。国道沿いには、運輸会社や倉庫など、殺風景な風景が連なります。ところどころに食堂やガソリンスタンドなど、沿道サービスの店もあり、交通量も頻繁です。
※国道の様子。
釆女町
途中、采女(うねめ)食堂という、珍しい名の食堂がありました。不思議に感じて、東海道の地図を広げてみたところ、この辺りは四日市市釆女町(うねめちょう)と呼ぶようです。采女(うねめ)とは、宮中に関わる名称で、皇室の仕事をする女官です。調べてみると、その昔、四日市市の釆女あたりから、女官の登用が頻繁にあったということです。地名も、そこから由来しているのかも知れません。
地図には、采女の一里塚跡があるとされていて、注意しながら歩いたものの、史跡を示す石標は反対車線。私たちは、一里塚を確認できずに終えました。
※釆女町で再び街道は右上方の旧道に。
杖衝坂へ
国道は、少しずつ標高を上げてきて、やがて下り坂に差し掛かる辺りで、右側に旧道が現れます。この旧道、下り始める国道とは反対で、さらに上りが続きます。
坂道には、東海道の案内看板が掲げられ、采女から小古曽(おごそ)、日永(ひなが)と、主な中継点までの道案内がありました。
坂道を上り進むと、遠方には四日市の街並みが見渡せます。
※左、道案内には、左から、”采女””小古曽””日永””四日市”が記されています。右、旧道の坂道。
この先、街道は、集落の中を通って急な下り坂へと変わります。この下り坂。杖衝坂(つえつきざか)と呼ぶようで、そこそこの急坂です。
名前の由来は、日本武尊の故事から来ているということですが、その真意は分かりません。
※左、旧道の集落。右、杖衝坂。途中には、芭蕉の歌碑もあります。
小古曽へ
杖衝坂を下り切ったら、少し感じの良い街道風景が現れます。そして、道は、右に左に折れながら住宅地をすり抜けて、国道へ。その先は、内部川という川を渡って、小古曽の町へと入ります。
※左、写真左端の国道の橋の下を潜り抜け、内部川に架かる国道の橋へ。右、内部川。
内部川を渡った先の堤防を左に折れて、すぐその先で堤防を下り、街中に入ります。この辺りの街道は、既に開発された住宅地。昔の道の面影はありません。
小古曽三丁目の信号は、東海道と県道との交差点。県道を渡って、道なりに進みます。
この交差点の近くには、四日市市内を走る「四日市あすなろう鉄道」の終点である、内部駅がありました。この先、街道は、概ねあすなろう鉄道に沿うように、四日市宿へと向かいます。
※左、小古曽の町。右、小古曽三丁目交差点。
日永の追分
東海道は、相変わらず住宅地の中を進みます。途中では、少しだけ集落のような道筋になりますが、辺りの景色は、全体として市街地に変容します。
やがて追分駅が近づくと、あすなろう鉄道の踏切を渡って日永の追分(ひえいのおいわけ)方面へ。
※追分駅近く。右奥の踏切を渡ります。
踏切を越え、少し進んだその先で、街道は国道1号線に入ります。東海道と国道とが、鋭角状に交わる場所が、日永の追分と呼ばれるところです。
三角地には、鳥居や常夜灯、石碑などが厳かに配置され、東海道と伊勢街道が分かれ交わる、重要な分岐点であったことが窺えます。
※日永の追分。交差点の手前から左手向うが東海道。信号を鋭角に右に曲がると伊勢街道。
石薬師の宿場を発って、日永の追分に至るまで、その距離はおよそ6Kmです。四日市までは残すところ5Kmの行程。
日永の追分辺りが、2つの宿場の中間地点ということです。