旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]13・・・関宿から亀山宿へ

 伊勢路

 

 東海道は、鈴鹿の難所を越えた後、伊勢の国の北側を通って尾張へと向かいます。伊勢と言えば伊勢神宮。何となく、厳かであり華やかな響きもありますが、国の北部は、静かで落ち着いたところです。

 左手に鈴鹿の山並みを望みつつ、右手には川幅が広がった鈴鹿川を眺めながら、亀山市へ、鈴鹿市へと足を運びます。

 

 

 関をあとに

 関宿は、伊勢別街道と分岐する東の追分辺りまで。それでも、その先は、まだ少しだけ家並みが続きます。やがて集落が途切れて、国道と合流する手前には、右手に三角地の小さな緑地です。街道は間もなく国道の歩道と合流し、少しだけ国道を歩きます。

 ほどなく、前方に歩道橋が現れると、そこを渡って右方向へ。ここで、国道から旧道へと入ります。すぐに関西本線の踏切があり、そこを渡ると鈴鹿川は目の前です。

 

f:id:soranokaori:20201227092351j:plain

 ※国道との合流点へ。

 

 鈴鹿川

 旧道の道幅はそれほど狭くはありません。それでも、のどかな畑地の中。堤防のように、一段高くなった道を進みます。

 やがて、街道は鈴鹿川の堤防道に。川伝いに延びるこの道を、川の流れに合わせるように東へと進みます。 

  途中、東名阪自動車道路の高架下に差し掛かると、橋脚を利用して、幾つかの宿場絵が掲げられてありました。恐らく、安藤広重の作品で、48番坂下宿から45番庄野宿までの4か所の絵だったと思います。

 殺風景な高架下に掲げられたこれらの宿場絵。ここがかつての街道であったことを伝えてくれる、粋なはからいに感謝です。

 

f:id:soranokaori:20201227092431j:plain
f:id:soranokaori:20201227092504j:plain

※左、右に鈴鹿川を見て延びる堤防道の街道。右、高速道路高架下の宿場絵。

 

 太岡寺畷

 高架下を潜り抜けても、あとしばらく、鈴鹿川堤防の道は続きます。この堤防道。地元では、”太岡寺畷(たいこうじなわて)”と呼ばれているようで、街道の途中には、この名を示す標識などがありました。

 ”畷(なわて)”は、”縄手”とも書くそうです。辞書で調べてみたところ、「あぜ道、なわて道、まっすぐな長い道、縄の筋」ということです。つまり、縄のように真っ直ぐと延びた道筋を表しているのでしょう。

 そんな畷の表現にぴったりな堤防道。のどかな空気が心地よく、私たちの五感を取り巻きます。

 

 街道は、徐々に堤防から遠ざかり、今度は集落へと向かいます。高架になった道路を上ると、その下には、JR関西本線と県道が見えました。高架の道路で2つの幹線を横切って、集落へと入ります。

 

f:id:soranokaori:20201227092554j:plain
f:id:soranokaori:20201227092635j:plain

※左、堤防道から集落へと切り替わる街道。右、太岡寺畷を記す標識。

 

 高台へ

 集落の入口辺りは、ゆるやかな上り道。歩き進むと、少しずつ、高台のような地形に変わります。鈴鹿川の北に広がる台地上の開けた場所は、あるいは、鈴鹿川河岸段丘なのかも知れません。

 街道は、大きく曲線を描きながら東へと向かいます。やがて、真っ直ぐな、幅の広い道路になると、民家なども途切れがち。視界はさらに広がります。

 この直線道。よく見ると、はるか前方にそびえ立つ大木が目に止まります。

 

f:id:soranokaori:20201227092710j:plain
f:id:soranokaori:20201227092852j:plain

※左、集落内を大きく屈曲する街道。右、野村の集落の様子。中央に野村の一里塚が。

 野村一里塚

 そびえ立つ大木は、野村の一里塚に植えられた椋(むくのき)です。普通、一里塚は榎(えのき)が定番。なぜここは椋なのかは分かりませんが、樹齢が数百年もありそうな立派な古木は、一里塚の塚とともに良く保存されていて、懐かしさを感じる風景でした。

 

f:id:soranokaori:20201227093626j:plain

※野村の一里塚。

 

 亀山宿へ

 野村の一里塚を通り過ぎると、再び集落に入ります。そして、この集落を越えてしまえば、いよいよ亀山の宿場に到着です。関宿から亀山宿までおよそ6Km。平均的な宿場の間隔と言っても良いでしょう。

 亀山宿の入口辺りは、わずかに格子戸の古い家が見られるものの、全体として、宿場の面影はありません。どちらかと言えば、雑然とした家並みが続いているという感じです。

 

f:id:soranokaori:20201227093726j:plain
f:id:soranokaori:20201227094331j:plain

※左、野村の集落。右、亀山宿の入口辺り。

 

 亀山城

 亀山宿の途中には、県道が宿場町を分断するように横切ります。この県道との交差点は、街道より少し低い位置。階段を下りて、交差点に向かいます。

 街道は、県道を渡って真っ直ぐの方向です。一方、交差点を右折して坂を下ると、JR関西本線亀山駅。反対に左折して坂を上ると亀山城跡へとつながります。

 

 亀山は、亀山城を擁する城下町。50番水口宿がそうであったと同様に、城下町と宿場町の2つの顔を持つ街です。亀山城は、今は、天守は残っていないようですが、東海道と県道の交差点から左を望むと、わずかに、石垣と矢倉のような白壁の建物が見えました。

 城跡の付近には、幾つかの史跡や城下町の名残などもあるようです。ただ、今回は寄り道はせず、真っ直ぐに街道を進みます。

 

f:id:soranokaori:20201227093916j:plain

※宿場の途中。県道が左右に走り、宿場町を分断しています。奥に続く道が東海道。左端には、亀山城の石垣と矢倉が望めます。