東海道随一の宿場町
宮宿は、東海道で最大規模の宿場であったと言われています。どうして、この宿場が賑わったのか。その理由は幾つかあるようです。
その一つが、七里の渡し。桑名宿と宮宿を海路で結んだ東海道の、東の湊がここ宮宿にあったのです。
二つ目の理由は、熱田神宮の存在です。古くから地域の人々に慕われた神宮は、織田信長などにも信仰され、崇められてきたようです。
第三の理由は、尾張の国と美濃の国など、各地を結ぶ交通の要衝であったということです。東海道の迂回路として存在した佐屋街道、そして、中山道の垂井宿と結ぶ脇街道の美濃路など、幾つもの街道がここ宮宿と交わります。
このように、東海道の中心的な存在感を誇った宮宿ですが、今はもう、その面影はありません。七里の渡しの湊跡や熱田の宮を巡りながら、往時の繁栄を偲びます。
宮宿へ
堀川に架かる国道1号線の白鳥橋。この橋を渡ったところで右折して、堀川の左岸の道を下ります。おそらく、宮宿はこの辺りからだと思うのですが、東海道はこの先の七里の渡しの湊から始まります。
歩き旅のスケッチ[東海道20]のところで触れた通り、桑名宿と宮宿を結ぶ正規のルートは海路です。七里の渡しと呼ばれるこのルート。今では陸路を迂回して、国道を進む以外にありません。従って、湊までの道筋は、現代の仮の道という訳です。
宮の湊へと向かう道筋は、全く新しい街の風景です。
※堀川沿いの道を湊へと向います。
七里の渡し
堀川の左岸道路を少し進むと、右手には公園が現れます。そして、白壁や歴史を感じるモニュメントなどが見えてくると、その先が宮の渡し公園です。
公園に入っていくと、前方が堀川で、広々とした川面が広がります。川の周囲は、ビルや建物が連なって、とても海が近いとは思えない風景です。かつては、すぐそこが海だったはずですが、今や埋め立てが進行し、伊勢湾は遥か遠くに退きました。
※堀川に残る湊跡。
宮の渡し公園には、常夜灯や石碑などが配置され、川岸には船着き場跡も見られます。桑名から江戸を目指した人たちは、ここで下船し、宮の宿場に吸い込まれていくように、東へと向かっていったことでしょう。
一方で、桑名に向かう旅人は、東国との別れを告げて、伊勢へ京へと船旅の途についたのだと思います。
※左、宮の渡し公園の入口。右、七里の渡しの船着き場。
宮の渡し公園
公園内には、幾つかのモニュメントなどもありますが、目立つのは、鐘つき堂のような建物です。昔からの、由緒あるものかどうかは分かりませんが、湊にはよく似合う雰囲気の良い建物です。
宮の湊は、桑名に向かう七里の渡しの渡船場ではありますが、もうひとつ、伊勢湾を巡る遊覧船の湊でもあった様子です。園内に幾つか設置された説明板のひとつには、松尾芭蕉が船遊びを楽しんだという記述がありました。
それによると、「松尾芭蕉(1644 1694)は、日本を代表する俳人で、・・・旅の初期に熱田に度々訪れ、・・・名古屋や鳴海の門人たちと交流。七里の渡しから舟遊びであゆち潟(愛知のことでしょう)を楽しみ・・・」と記されています。
※宮の渡し公園内。
宮宿
七里の渡しの船着き場からすぐ先は、湊を抱き込むように道が広がり、確かに宮宿の中心地だった様子です。街道は、その先を直角に進んで、熱田神宮に近づきます。
※七里の渡しの説明板。
宮宿の中心地当たりの街道は、往時の面影を感じるところはありません。ここが、東海道随一の宿場町であったとは、誰もが思いもよらない光景です。街は完全に近代化され、その姿を一変させました。
熱田の宮と幾つかの街道が交差する、重要な街であった熱田の宿場。時代の変遷が疎ましくも思えます。今は、東海道の道しるべとして、舗装道路に埋められた目印のタイルと、所々に設置された道標で、そこが街道筋であったことを僅かに感じる状況です。
※左、宮宿の様子。右、道しるべのタイル。
熱田の宮
街道は、国道247号線を横切って、宿場町の北側の熱田神宮へと近づきます。その後は、神宮を目前にした伝馬町の三差路で、東へと方向を変えるのです。
私たちは、一旦ここで街道を離れて、熱田の宮への参拝です。
南北に走る国道247号線は、直ぐに東西の国道1号線と交わります。そして、1号線を横切ってしばらく歩くと、右方向に熱田神宮の西門の鳥居が現れます。
この鳥居、木造の厳かさを備えた構えです。鳥居辺りの雰囲気は、背後に控える広大な神社の境内に、人々を誘い込む力を感じるような空間です。
※熱田神宮西門。
鳥居をくぐり境内の奥を見渡すと、鬱蒼とした森の中に入るような感覚です。参道を進んで、第二の鳥居を通り抜け、左に向かうと熱田の宮の本殿が現れます。大勢の人々が参拝する本殿は壮大で、信仰の厚さを思い知ることとなりました。
熱田神宮は、伊勢神宮に次ぐ由緒ある大社とされていて、格式高い神宮です。境内には、幾つもの社や建物が配置され、それこそ参拝者は途切れることがありません。
かつて街道を旅した人々は、宮の宿場に足を止め、この神宮に参拝し、掌を合わせたことでしょう。織田信長や戦国の武将たちも、熱田の宮の存在を、畏れ大きものとして捉えていたに違いないと思います。
※熱田神宮の本殿。
街道へ
私たちは、神宮の参拝を終えた後、再び伝馬町の三差路に戻って、街道歩きを続けます。