旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]21・・・宮宿への道(前編)

 迂回路

 

 七里の渡しから先の行程は、今では陸路を進むしかありません。そのルートは、国道1号線の利用です。

 江戸時代には、伊勢湾の海岸線は、今よりもさらに陸地側にあったということで、国道の道沿いは、海だったのかも知れません。それでも今は、国道を進むしかなく、やむを得ずこのルートを辿って、熱田神宮にほど近い、宮の宿場に向かいます。

 

 

 佐屋街道

 桑名の宿場と宮宿を結ぶ本来の道筋は、両宿の湊を海でつないだ、七里の渡し。この間を、4時間の船旅で渡ります。

 ところが、実はもうひとつ、別のルートもあったようで、その道は「佐屋街道(さやかいどう)」と呼ばれています。このルートは、桑名の湊から今の愛西市佐屋までのおよそ3里の川筋を、上流に向かって船で進み、そこから名古屋の南を経由して、宮宿までを陸路で進むコースです。

 川筋の船の渡しは、「三里の渡し」と呼ばれたようで、いずれにしても、桑名から先の道は、船に頼らざるを得なかったということです。

 

 渡船による往来が不可欠だったその訳は、伊勢の国と尾張の国を分断する、木曽三川(きそさんせん、桑名側から、揖斐川長良川木曽川と並びます。)の存在です。日本でも屈指と言える3つの河川。これらが、伊勢湾に流れ込む辺では、互いにその距離を狭めて、まるでひとつの大河のように姿を変えて横たわります。

 この大河を渡るためには、船を利用するのが一番です。言い換えると、船でなければ渡れない、自然の地形が立ちはだかっているのです。

 

 桑名宿を後に

 七里の渡しの湊を発って、桑名宿の北端の街中を、県道方面に向かいます。この間の街並みは、本陣跡や料理店などが並んでいて、少し宿場の面影が感じられるところです。

 県道に出た後は、右折して北の方角へと進みます。まもなく、揖斐川の堤防道が現れて、雄大な川の景色が見えました。整備された堤防には、住吉神社が鎮座して、船旅の安全を見守ってくれている様子です。

 広々とした揖斐川伝いの堤防道を、上流へと向かいます。

 

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※左、住吉神社。右、揖斐川と遠方の国道の橋を望みます。

 

 木曽三川

 堤防道が国道1号線に接する所で、木曽三川の川越が始まります。右手には、雄大な川が広がり、上流から伊勢湾を目指して川面はゆったりと流れます。左前方には、養老の山並みが大河に迫り、まさに、桑名は自然の要衝という地形です。

 国道に入ったところで、揖斐川に架かる橋を渡ります。この橋は、少し錆が浮かんだ鉄橋で、ずっしりと重みを感じる大橋です。橋の右手下流には、新しい橋の橋台工事が進んでいて、いずれ、付け替えられることになるのでしょう。

 途中には、中洲のような所があって、その先は長良川の流れです。伊勢大橋と呼ばれるこの橋は、長良川も越えて行き、木曽川との間に挟まれた、いわゆる輪中(わじゅう)の町へと続きます。 

 

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※伊勢大橋と揖斐川

 

 輪中

 長良川を渡った後は、少しだけ、輪中の中を歩きます。この辺りは長良川木曽川下流にできた、島状の陸地です。かつては、幾つもの小規模の輪中が散らばっていて、その隙間を縫うように、川が流れていたということです。

 桑名の湊を出発した、三里の渡し。船は、この輪中の隙間の水路を通って、佐屋の湊を目指したのだと思います。

 今では、この輪中は一つの大きな陸地です。下流には、有名なレジャー施設、長嶋スパーランドを擁しています。

 

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※左、輪中の中の交差点。右、木曽川へのアクセス。

 尾張
 木曽川を渡る橋は、尾張大橋と呼ばれています。この橋の途中が、伊勢の国と尾張の国の国境。木曽川を渡り終わると、愛知県弥富市です。

 

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※左、尾張大橋。右、弥富市へ。

 

 弥富市に入ると、国道は交通量が増えてきて、さながら幹線道路の風景です。この辺りは、名古屋などのベッドタウンの様相で、新しく、活気がある街に映ります。

 所々に、古い木造の建物や、「東海道」の道しるべなどもありますが、この道筋がいつごろからあったのか、知るよしもありません。全体として、道筋の様相は近代的な装いです。

 国道をしばらく歩くと、左手奥には、近鉄弥富駅とJR関西本線弥富駅、さらには、名鉄線の駅がありました。

 私たちの行程は、この日の朝、関西本線益生駅に降り立って、桑名宿の南西にある矢田立場を出発し、この弥富駅で終了です。それほど長い区間ではなかったものの、七里の渡しや木曽三川の大河を楽しんで、充実した歩き旅となりました。

 

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弥富市の国道筋。右の写真は、弥富駅の近くです。

 弥富から東へ

 数週間後、再び弥富駅にやってきて、引き続き、国道を東へと向かいます。建物がまばらになったり、時折、古い構築物も現れますが、どこにでもあるような、国道の風景が主流です。

 国道脇を眺めながら歩いていると、幾つもの区画された池が広がる区域がありました。近くの道沿いには、大きな金魚の看板です。この辺り、金魚の水槽が並ぶお店が幾つもあって、興味をそそられるところです。

 弥富市が、金魚の町ということは、ここに来て初めて知ることになりました。奈良県大和郡山は、金魚の町として余りにも有名ですが、愛知県にも同様の町があったのです。

 

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※左、金魚の看板。右、国道の風景。

 

 私たちは、迂回路である、国道1号線の歩道を歩き、一路東へと向かいます。