迂回路
七里の渡しから先の行程は、今では陸路を進むしかありません。そのルートは、国道1号線の利用です。
江戸時代には、伊勢湾の海岸線は、今よりもさらに陸地側にあったということで、国道の道沿いは、海だったのかも知れません。それでも今は、国道を進むしかなく、やむを得ずこのルートを辿って、熱田神宮にほど近い、宮の宿場に向かいます。
桑名の宿場と宮宿を結ぶ本来の道筋は、両宿の湊を海でつないだ、七里の渡し。この間を、4時間の船旅で渡ります。
ところが、実はもうひとつ、別のルートもあったようで、その道は「佐屋街道(さやかいどう)」と呼ばれています。このルートは、桑名の湊から今の愛西市佐屋までのおよそ3里の川筋を、上流に向かって船で進み、そこから名古屋の南を経由して、宮宿までを陸路で進むコースです。
川筋の船の渡しは、「三里の渡し」と呼ばれたようで、いずれにしても、桑名から先の道は、船に頼らざるを得なかったということです。
渡船による往来が不可欠だったその訳は、伊勢の国と尾張の国を分断する、木曽三川(きそさんせん、桑名側から、揖斐川・長良川・木曽川と並びます。)の存在です。日本でも屈指と言える3つの河川。これらが、伊勢湾に流れ込む辺では、互いにその距離を狭めて、まるでひとつの大河のように姿を変えて横たわります。
この大河を渡るためには、船を利用するのが一番です。言い換えると、船でなければ渡れない、自然の地形が立ちはだかっているのです。
桑名宿を後に
七里の渡しの湊を発って、桑名宿の北端の街中を、県道方面に向かいます。この間の街並みは、本陣跡や料理店などが並んでいて、少し宿場の面影が感じられるところです。
県道に出た後は、右折して北の方角へと進みます。まもなく、揖斐川の堤防道が現れて、雄大な川の景色が見えました。整備された堤防には、住吉神社が鎮座して、船旅の安全を見守ってくれている様子です。
広々とした揖斐川伝いの堤防道を、上流へと向かいます。
堤防道が国道1号線に接する所で、木曽三川の川越が始まります。右手には、雄大な川が広がり、上流から伊勢湾を目指して川面はゆったりと流れます。左前方には、養老の山並みが大河に迫り、まさに、桑名は自然の要衝という地形です。
国道に入ったところで、揖斐川に架かる橋を渡ります。この橋は、少し錆が浮かんだ鉄橋で、ずっしりと重みを感じる大橋です。橋の右手下流には、新しい橋の橋台工事が進んでいて、いずれ、付け替えられることになるのでしょう。
途中には、中洲のような所があって、その先は長良川の流れです。伊勢大橋と呼ばれるこの橋は、長良川も越えて行き、木曽川との間に挟まれた、いわゆる輪中(わじゅう)の町へと続きます。
※伊勢大橋と揖斐川。
輪中
長良川を渡った後は、少しだけ、輪中の中を歩きます。この辺りは長良川と木曽川の下流にできた、島状の陸地です。かつては、幾つもの小規模の輪中が散らばっていて、その隙間を縫うように、川が流れていたということです。
桑名の湊を出発した、三里の渡し。船は、この輪中の隙間の水路を通って、佐屋の湊を目指したのだと思います。
今では、この輪中は一つの大きな陸地です。下流には、有名なレジャー施設、長嶋スパーランドを擁しています。
※左、輪中の中の交差点。右、木曽川へのアクセス。
尾張へ
木曽川を渡る橋は、尾張大橋と呼ばれています。この橋の途中が、伊勢の国と尾張の国の国境。木曽川を渡り終わると、愛知県弥富市です。
弥富市に入ると、国道は交通量が増えてきて、さながら幹線道路の風景です。この辺りは、名古屋などのベッドタウンの様相で、新しく、活気がある街に映ります。
所々に、古い木造の建物や、「東海道」の道しるべなどもありますが、この道筋がいつごろからあったのか、知るよしもありません。全体として、道筋の様相は近代的な装いです。
国道をしばらく歩くと、左手奥には、近鉄弥富駅とJR関西本線弥富駅、さらには、名鉄線の駅がありました。
私たちの行程は、この日の朝、関西本線益生駅に降り立って、桑名宿の南西にある矢田立場を出発し、この弥富駅で終了です。それほど長い区間ではなかったものの、七里の渡しや木曽三川の大河を楽しんで、充実した歩き旅となりました。
弥富から東へ
数週間後、再び弥富駅にやってきて、引き続き、国道を東へと向かいます。建物がまばらになったり、時折、古い構築物も現れますが、どこにでもあるような、国道の風景が主流です。
国道脇を眺めながら歩いていると、幾つもの区画された池が広がる区域がありました。近くの道沿いには、大きな金魚の看板です。この辺り、金魚の水槽が並ぶお店が幾つもあって、興味をそそられるところです。
弥富市が、金魚の町ということは、ここに来て初めて知ることになりました。奈良県の大和郡山は、金魚の町として余りにも有名ですが、愛知県にも同様の町があったのです。
※左、金魚の看板。右、国道の風景。
私たちは、迂回路である、国道1号線の歩道を歩き、一路東へと向かいます。