旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]37・・・二川宿から遠州へ

 三河から遠州

 

 今回で、「歩き旅のスケッチ[東海道]」の第1章を終わります。最終回の今回は、三河の国の二川宿(ふたがわじゅく)。東海道の宿場の中では、珍しく、往時の面影がよく残るところです。

 このシリーズで、何度も触れてきたように、東海道の宿場の中で随一の見どころは、重要伝統的建造物群保存地区に指定された、47番関宿です。その関宿に続くのが、49番土山宿と、この、二川宿だと思います。*1

 今の東海道には、数か所しか残されていないような、往時の宿場町の姿を味わいながら、三河から遠江の国へと向かいます。

 

 

 二川宿

 二川宿は、天保14年(1843)には、本陣、脇本陣がそれぞれ1軒、旅籠屋が38軒、人口は1468人で家数は328軒であったとされています。今も、宿場町の景観をよく残していて、一推しの宿場町のひとつです。

 本陣跡は、よく修景され、今は資料館として活用されているということです。本陣の近くには、駒屋という商家など、昔のままの姿を残す建物が並びます。

 

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※本陣跡(右)と西駒屋(左)。

 

 宿場町の家並みは、そこそこ長い距離で続きます。往時の旅籠の数からすると、そんなに大きな宿場でないのに、見応えは十分です。

 私たちが訪れた時、大名行列の挙行を告げるポスターが、あちこちに貼られていたのを覚えています。今も残る町並みと、歴史を伝える町の行事は、宿場町の存在を後世に引きつぐ人々の、気概のあらわれのような気がします。

 

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※二川宿の様子。

 

 宿場の東端

 宿場町を味わいながら、東へと進んで行くと、左手角に、川口屋という趣ある木造の建物がありました。そして、この建物のすぐ傍に、二川の一里塚跡を示す石標が、静かに佇ずんでいたのです。

 今はもう、一里塚の痕跡は見られませんが、かつては、東国から来た旅人は、この一里塚を認めることで、二川宿に到着した実感を味わったのだと思います。

 街道は、この先で宿場町を後にして、農地の中へと進みます。

 

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※川口屋の建物と二川の一里塚の石標。

 

 国道へ

 しばらくすると、JR東海道本線の踏切を越え、小さな川を横切ります。その先で、右側に大きく湾曲した後は、今度は、東海道新幹線の軌道下をくぐり抜け、すぐに国道1号線と合流です。

 ここからは、数キロの間、ひたすら国道の歩道を歩きます。周囲は、工場あり、農地ありの、広々とした空間です。

 

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※国道1号線との合流点。

 

 国道歩き

 国道1号線の道筋は、この先で、浜名湖遠州灘と接合するところを通過するため、一気に南へと向かいます。この辺りの農地には、砂地が広がっているようで、キャベツなどの野菜畑が続きます。

 

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遠州へと向かう国道の風景。

 

 三河の終わり

 延々と、国道を歩いて行くと、やがて左手に、こんもりと木々が覆う、小さな森のような場所が現れました。よく見ると、ここが、三河最後の一里塚。細谷(ほそや)の一里塚跡ということです。

 一見、鎮守の杜と思えるような、少し変わった一里塚の姿を見ながら、二川宿から既に4Kmほど、歩みを進めた充実感を味わったものでした。

 

 街道は、一里塚の少し先で、国道から左手にそれて、県道に入ります。そして、間もなく、三河の国は終わりを告げて、次の国、遠江の国に入ります。

 

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※左、細谷の一里塚跡。右、愛知県と静岡県の県境。

 

第1章の最終回

 

 今回で、東海道の第1章を終わります。予定では、30回ほどのシリーズで、草津宿から遠州の入口までを振り返る予定でしたが、既に、37回目を迎えます。

 少し漫然と綴ってしまったことを反省しながら、このシリーズを一休み。しばらくの間を置いて、第2章へとつなます。

 第2章は、遠江の国と駿河の国、今の静岡県の街道を描きます。浜名湖に代表される遠江駿河は、富士山の絶景が見事です。

 

 私たちの東海道の街道歩きは、箱根の峠を越えた後、今は相模の国の途中です。このご時世、なかなか思うようには進めませんが、第2章を始める頃には、何とか踏破したいと思っています。

 

 さて、次回からは、四国八十八か所の逆打ちの旅、「巡り旅のスケッチ(四国巡拝)」の続きです。88番大窪寺から始まった、閏年の逆回りの巡礼も、讃岐、伊予の国の霊場を巡り終え、土佐の国に入ります。土佐の国の宿毛にある、39番延光寺。そして、足摺岬に境内を構える38番金剛福寺へ。そこから、空海が明星を得た室戸岬を目指して進みます。

 最後の国は阿波の国。深い山々が連なる四国山地の東端は、これも空海が若い頃に修行を重ねたところです。あの、衛門三郎(「巡り旅のスケッチ(四国巡拝)22」を参照下さい。)が21回目の四国巡礼の中で息絶えた焼山寺は、12番札所です。

 最後は、吉野川の流れとともに、讃岐山地の南の麓を、1番札所の霊山寺へと向かいます。

 

 四国巡礼は、弘法大師と巡る旅。しかし、それは、宗教と直接つながるものではありません。弘法大師が求めたものは、宗教を超越した、宇宙の真理とも言われています。

 自分自身を見つめること、それこそが、人々を引き付けてやまない、巡礼の魅力なのだと思います。

 

*1:尾張の国の有松も、宿場町ではなかったものの、土山や二川に引けを取らない町並みを残しています。