旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]38・・・東海道の第2章、遠州白須賀宿

 遠州路から駿河路へ

 

 今回から、「歩き旅のスケッチ[東海道]」に戻ります。先に紹介した第1部では、中山道と分岐する、草津宿の追分から始まって、三河の国のはずれまでを紹介してきたところです。

 続く第2部のシリーズは、遠州路と駿河路です。今の静岡県を横断する街道は、浜名湖の辺りから、箱根の山へとつなぐ道。およそ、180Kmの長丁場の区間です。幾つかの大河と峠を踏み越えて、雄姿を誇る富士山に近づきます。

 

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※左、舞阪から望む浜名湖。右、富士川と富士山。
 

 遠州

 遠州は、遠江(とおとうみ)の国とも呼ばれます。京の都の東隣が、近江(おうみ)の国と呼ばれるように、二つの国には、広大な湖が広がります。

 都の近くの近江には、日本最大の湖である琵琶湖があって、遠く離れた遠江には、優雅な姿の浜名湖です。

 街道を往き来する人達は、雄大な琵琶湖を見て、都が近づいたことを実感し、あるいは、都との惜別を惜しんだのかも知れません。また、遠州灘の風を受け、浜名湖を過ぎる時、都へはまだ遠い道と気を引き締めたのか、あるいは、はるばると東国まで足を伸ばてきたことに、感慨を深めていたことでしょう。

 私たちの街道歩きも、いよいよ、東国の遠江の国に入ります。

 

 

 白須賀宿

 三河の国の最後の宿場、二川宿を出てからは、およそ1里(4Km)の区間、国道1号線を歩きます。その後、静岡県との県境の直前で、左に折れて県道へ。その道をしばらく進むと、県境の標識が現れます。

 いよいよ、三河の国ともお別れし、遠江の国に到着です。遠江の西の境は、浜名湖の西に位置する、湖西市(こさいし)の市域です。ここには、白須賀と、もうひとつ、新居の宿場が設けられ、浜名湖の今切(いまぎれ)の渡しへとつながります。

 

 遠江の入口の街道は、緩やかな坂道となり、右側には、こんもりとした高台です。森のような小高い丘は、笠子神社の敷地のようで、鳥居や石灯籠などが見えました。

 街道は、この辺りから斜め左の方向へ。そこからは、旧道が延びていて、32番白須賀宿しらすかじゅく)に入ります。

 

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白須賀宿の入口付近。

 

 白須賀宿

 白須賀宿の道そのものは、かつての街道の面影を感じることができますが、建物は、民家が並び、往時の姿はありません。

 街道は、一旦右方向に大きく曲がり、その先は、しばらく真っ直ぐの道が続きます。この折れ曲がった道の辺りには、宿場町の地図が描かれた案内板と、おしゃれな案内標識がありました。標識は、境宿と記されていて、白須賀宿はもう少し先とのこと。おそらく、ここが宿場の西のはずれになるのでしょう。

 

f:id:soranokaori:20210706155316j:plain※案内板と境宿の標識。

 直線道路の途中には、本陣跡などの標識が見えますが、相変わらず、普通の集落の景色です。やがて、道は小さなクランク状の坂道に入ります。少しずつ勾配を増しながら、丘を上るように進みます。

 

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※左、本陣跡。右、勾配を増す街道。

 

 

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白須賀宿の様子。

 民家が途切れ、さらに坂を上って行くと、左手に、小学校。そして、白須賀中学校が続きます。

 この付近は、坂を上った台地状の高台で、津波などの避難地として最適なところです。学校立地の場所としては、この上ない条件のところだと思います。

 さすがに、東南海地震が危惧される地域だと、感心したものでした。

 

 潮見坂

 丁度、白須賀中学校のところに来ると、右側に、車の退避場のような、小さなスペースが現れます。松の木が植えられた奥の方に足を向けると、そこは見晴し台のようになっていて、遠州灘を見渡すことができました。

 この位置は、有名な潮見坂の峠です。見晴らし台のところには、「遠江八景『潮見晴嵐』」と記された案内板が設置され、古くから、眺望の良い場所だったと書かれています。

 安藤広重東海道の浮世絵も、この位置からの景色が描かれ、由緒ある風景を愛でることができる絶景地。私たちも、昔ながらの自然の景色を堪能することができました。

 

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※潮見坂の見晴し台。向こうには遠州灘が望めます。

 

 峠を過ぎて先に進むと、今度は、急勾配の下りです。大きく湾曲を繰り返しつつ、急坂を一気に下ります。

 この急坂こそ、潮見坂と呼ばれる坂で、今も街道の道筋を辿りながら、元白須賀の集落に向かいます。

 

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明治天皇が休憩されたとされる場所。奥は白須賀中学校。

 

 浜沿いの集落

 潮見坂を下りきると、道はT字路の三差路です。街道は、ここを左折し、東へと向かいます。道路の両側には民家が連なり、細長い集落が続きます。

 白須賀の宿場町は、かつてはこの辺りにあったようですが、1707年の地震津波で壊滅し、先に通った高台近くに移設されたということです。

 

 この海岸近くの集落は、道幅は少し広めではあるものの、かつての街道の光景も感じられるようなところです。白須賀の宿場を保管する、何らかの役割があったのか。潮風を感じながら、懐かしさが漂うような町並みを歩きます。

 

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※元白須賀の町。 

 

 白須賀は、白い州処(すか)の意味である、と言われます。”すか”とは、海沿いの砂地のことで、白い砂浜が、白須賀の語源です。神奈川の横須賀も、”すか”が広がる浜辺だったのかも知れません。

 今は、地名では表現されないようですが、海岸近くの白須賀は、元白須賀とも呼ばれます。これらのことから、もとは、海岸近くのこの町が、白須賀の中心地だったことが分かります。

 

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※白須賀の東の端。火鎮神社前。

 

 白須賀の東のはずれ、街道沿いの火鎮神社(ほずめじんじゃ)を通り過ぎ、次の宿場、31番新居宿へと向かいます。