伊豆の国の宿場町
三島宿は、伊豆の国唯一の宿場町。都から江戸に向かう時、箱根峠を目前にして、旅装束を整える場所だったのだと思います。あるいはまた、都へと向かう場合は、箱根八里を乗り越えて、安堵を覚える宿場だったことでしょう。
”富士の白雪ャ・ノーエ、富士の白雪ャ・ノーエ、富士のサイサイ、白雪ャ・朝日〜にとける。と〜けて流れて・ノーエ、と〜けて流れて・ノーエ、と〜けてサイサイ、流れ〜て・三島に注ぐ”
農兵節と呼ばれるこの民謡は、私たちの親の世代が、よく口づさんでいたものでした。何となく、身近に感じる三島の街は、この民謡の響きがなす技なのかも知れません。
歩き旅のスケッチ東海道の第2章は、今回が最終回。東海道11番目の宿場町、三島宿と、伊豆の国の一宮、三嶋大社を歩きます。
一里塚
国道1号線を横切った後、街道は、三島に向けて東進します。住宅が建ち並ぶ道筋を歩いていると、やがて、変則的な交差点が現れます。斜め右後方から、一つの道が街道とつながって、そのすぐ先で、左前方へと逃げるように遠ざかって行くのです。
この変則の交差点、両角には、由緒がありそうな2つの寺院がありました。そして、よく見ると、左の寺院の角地には、一里塚を示す石柱が立ち、その前に、「玉井寺(ぎょくせいじ)一里塚」の表示です。
塚の辺りは、木々が植えられ、よく管理されている様子です。
※玉井寺一里塚。
久々に見る立派な一里塚を眺めた後で、反対側を振り向くと、何と、そこにも素晴らしい一里塚の姿が見えました。
こちら側の一里塚、「宝池寺(ほうちじ)一里塚」と表示され、先の、玉井寺の一里塚と対をなし、伏見の一里塚と呼ばれています。
※宝池寺の一里塚。
三島市へ
街道は、徐々に三島に近づきます。道の先には、伊豆と相模を隔てている、箱根の山も、次第に大きく見えてくるようになりました。
※清水町新宿南交差点。
清水町新宿南交差点を越えたところの左には、常夜灯が厳かに、街道を見つめています。松の木に守られるように配置されたこの一角は、三島の宿場が、もう間近かであることを、暗示しているような光景です。
※秋葉常夜灯が置かれた一角。
三島宿
常夜灯を通り過ぎると、間もなく、三島市の領域に入ります。三島の宿場は、この辺りからだと思うのですが、街並みは、ごく普通の旧市街地といった状況です。
前方には、高層ビルも見え始め、三島市の中心部に、近づきつつあることが分かります。そして、街道は、伊豆箱根鉄道の三島広小路駅前へ。そこで、踏切を越えた後、三島市随一の繁華街、三島大通りへと入ります。
※左、三島市の入口辺り。右、伊豆箱根鉄道三島広小路駅と交差点。
大通り
三島大通りには、飲食店やホテルなどが建ち並び、三島市の中心地の様相です。休日ともなると、多くの人で賑わう場所となるのでしょう。
この通りはまた、宿場町の時代でも、中心地だったに違いなく、ところどころに、宿場の名残を伝える案内板などがありました。
※三島大通り。
途中、歩道脇に置かれた案内板は、この位置が「樋口本陣跡」であることを伝えています。また、説明では、この本陣の向かいには、「世古本陣」があったと記されていて、街道を挟むように、2つの本陣が向き合っていたことが分かります。
説明書きでは、また、三島宿につて、次のように書かれています。
「三島宿は古くから伊豆の中心地として栄え、三嶋明神の門前町として大変な賑わいを見せていました・・・箱根に関所が設けられると三島宿は「天下の険」箱根越えの拠点としてさらに賑わうようになりました・・・また、東西を結ぶ東海道と南北を結ぶ下田街道・甲州道との交差する位置にあった三島宿は、様々な地域の文化や産業の交流地点ともなっていました」
この説明を読んでいると、三島の町は、古くから、大変栄えたところだった様子です。
前回の「歩き旅のスケッチ」の冒頭で、私は、源頼朝が幽閉されていた時代には、伊豆の国は「都から随分離れた、最果てとも言えるような場所だったのだと思います」と、記したものの、実際は、人々の交流が、結構盛んな場所だったのかも知れません。
※本陣や宿場町の説明板。
商業施設が連なる道を、さらに東に進んで行くと、大社町西の交差点。そして、その前方の左には、三嶋大社の鳥居や木々が、その姿を現します。
交差点の界隈は、参詣の人々を招き入れる、土産物のお店などが軒を連ねて、宿場とは、また、一味違った風景です。
※左、本町交差点。ここを左折するとJR三島駅方面です。右、大社町西交差点。左向こうが三嶋大社。
三嶋大社は、街道前の歩道のところに、雄大な鳥居を構えています。そして、そこから数段の石段を上っていくと、その先に大社の境内が広がります。
※三嶋大社の鳥居と石柱。
その昔から、東海道を往き交う人は、本殿へと足を運んで、旅の安全を祈願していたことでしょう。
私たちも、この日の街道歩きの締めとして、参詣に向かいます。
本殿に向かう途中には、神池(しんち)と呼ばれる、広々とした池があり、植え込みの木々の緑と朱塗りの橋のコントラストが見事です。さらに奥へと進んで行くと、厳かな神門が来る人を招き入れ、そこを通り抜けると、本殿の境内です。
※神池の風景。
三嶋大社の入口に掲げられた縁起によると、
「『伊豆一宮』として古くから伊豆をはじめとする周辺の人々の信仰を集めている三嶋大社。大山祇命(おおやまつみ)と事代主神(ことしろぬし)の二柱の神を総じて「三嶋大明神」として祀っています。創建された時代や由緒には諸説ありますが、少なくとも奈良時代には祭祀の組織が整えられました。」
とのこと。また、三嶋大社は、伊豆半島や周辺地域の火山とゆかりがあって、伊豆七島などでは、それぞれの島に三嶋大明神の后神(妻)や御子神(子)が祀られているということです。
地学的にも、伊豆諸島と関係深い伊豆半島。神々との関係にも、通じるところがあるようです。
※三嶋大社の本殿。
第2章を終えて
三嶋大社の参詣で、「歩き旅のスケッチ[東海道]」シリーズの第2章を終わります。今回のシリーズでは、静岡県に入ったばかりの、32番白須賀宿から、ここ、三嶋まで、22か所の宿場町を歩きつないできましたが、この先の、江戸日本橋までの行程は、ほんのしばらく時間を置いて、再開したいと思います。
次回は、「旅素描〜たびのスケッチ」をふり返り、これまでのブログの変遷をお伝えします。その後は、熊野古道を紹介し、太宰治の故郷の津軽なども訪れます。
そして再び、東海道の歩き旅、最終章に移ります。