旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]27・・・池鯉鮒宿へ

 尾張から三河

 

 街道は、尾張の国の東の外れ。道筋は、郊外の街中の風景が続きます。今では、何れも愛知県の領域ですが、かつては、尾張の先は三河の国。尾張織田信長と、三河徳川家康の性格などでも語られるほど、二つの国は、風土の違いがあるようです。

 境川を越えると、いよいよ三河三河の国の最初の宿場は池鯉鮒(ちりゅう)です。

 

 

 阿野の一里塚

 国道から旧道に入った街道は、道幅もそこそこあって、ある程度整備された道路です。道筋の風景も、街道の面影はありません。右手に、時折見える名鉄名古屋本線の軌道に沿って、南東方向に進みます。

 しばらく歩いて、少し賑やかな空気を感じたところに、ちょっとした商業施設が現れました。よく見ると、その施設の裏側が、名鉄の前後駅。この辺り、豊明市の中心地のようなところです。

 

 駅を過ぎると、街道は、再び落ち着いた住宅を進みます。そして、しばらく行くと、阿野一里塚の案内が見えました。この一里塚、塚そのものはほとんど残ってはいないものの、松の木などが整備され、かつての名残を留めています。

 阿野の一里塚は、また、街道左右の双方に、塚の跡が保存された珍しい一里塚ということです。これから先の道中で、一対の一里塚は、何か所かあったように思います。それでも、現存する一里塚は、片方にとどまるか、石標だけのところが多かったような気がします。

 

f:id:soranokaori:20210215155230j:plain

※阿野一里塚。

 豊明駅辺り

 一里塚を過ぎると、その先で国道1号線に入ります。ここからしばらく国道を歩くことになる訳ですが、私たちは、途中の名鉄豊明駅で一区切り。この日の朝、宮宿の手前にあった、地下鉄の六番町の駅に降り立って、宮宿、鳴海宿、有松と歩きつないで、豊明駅まで、約15Kmの行程でした。

 郊外の街の様子も、次第に寂しさを感じるような風景に変わります。あまり人の姿を見かけない、豊明の駅を利用して、この日の宿泊地、三河安城へと移動です。

 

f:id:soranokaori:20210215155307j:plain

※豊明駅付近の街道(国道1号線)の様子。

 境川

 翌朝は、豊明駅からスタートです。引き続き、国道1号線の歩道を進むと、前方に、第二東海自動車道路の高架橋が現れます。街道は、その下で国道から左にそれて、細い迂回路へと入ります。間もなく、緩やかな上り坂の旧道につながって、その坂道を上ります。

 辺りは、リサイクル関係の事業者などが連なって、景色としては、興ざめなところです。

 

f:id:soranokaori:20210215155345j:plain
f:id:soranokaori:20210215155427j:plain

境川へと向かう旧道の様子。

 坂道が終わったところが境川。この川で、尾張三河が分かれます。東海道に架けられた境川の橋はユニークで、欄干が、四角い狭間を整然と並べたような意匠です。

 欄干の一角に、この橋に関する、以下のような記述がありました。

 

 「慶長6年(1601)、東海道に伝馬制度が設けられ、程なく尾張三河の立ち合いで橋が設けられた。この橋は、中程より西は板橋、東は土橋で、多くの旅人の足をとどめたが、度々の洪水に流され、修復された。やがて継橋は一続きの土橋になり、明治になって欄干つきになった。」

 

 今では、土橋のイメージはなかなか想像できないものですが、どうも、木で造られた橋の上部に、土を敷いた構造のよう。どうして、わざわざ土をかぶせなければならなかったのか。あるいは、現代風の舗装の意味があったのかもしれません。馬などの通行のことを思う時、少し頷けるような気もします。

 

f:id:soranokaori:20210215155504j:plain

※境橋。

 

 刈谷市

 境川を渡り切ると、そこはようやく三河の国。今は、愛知県刈谷市の領域です。境川の堤防から、今度は下り坂に変わります。道幅は広がって、辺りは工場が並びます。

 街道は、その先で国道1号線を斜めに横切るように交差です。この地点は、今川町の交差点。不幸にして、ここには歩道がありません。国道を渡るためには、迂回するか、信号のタイミングを見て、駆け足で横断するしかないのです。

 願わくば、横断程歩道を設けていただければと思います。

 

f:id:soranokaori:20210225151205j:plain
f:id:soranokaori:20210225151323j:plain

※左、境川を越えた辺り。右、今川町交差点。大きな道は国道。

 富士松

 国道を横断し、今川町の街中を通過する旧道を進みます。この地域は、富士松と呼ばれる地域。少し先には、街道近くに名鉄富士松駅もあるようです。

 道幅が狭まって、道の両側には住宅が並びます。

 

f:id:soranokaori:20210225151443j:plain

※今川町の様子。

 

 途中には、県道が街道を分断しますが、この場所は、幸いにも歩道橋が設けられ、難なく越えることができました。

 その先は、右手に富士松の駅。そして、緩やかに弧を描きながら、街道は続きます。辺りの景色は、落ち着いた雰囲気の住宅地。所々に、板塀の建物なども残っていて、趣も感じます。

 

f:id:soranokaori:20210225151524j:plain
f:id:soranokaori:20210225151604j:plain

※左、県道を横断する歩道橋。右、富士松の街道。

 

 知立市

 国道の南側を、弧を描くように迂回してきた街道は、やがて国道を再び横切って、今度は北側で小さな弧を描きます。

 その後、もう一度、国道に合流すると、刈谷の一里塚跡とされる辺りに達します。ただ、残念ながら、私たちは一里塚の標識を見逃すことに。恐らく、一里塚跡を示す案内などは、国道の南の歩道にあったのでしょう。私たちは、北側歩道を歩いたために、確認できずに終えました。

 少しだけ、国道を歩いた先の、逢妻町の交差点。街道は、この交差点を右折です。

 

f:id:soranokaori:20210225151754j:plain

※逢妻町交差点。右方向が街道で、知立の市街地方向です。

 

 左に右にカーブして、道は逢妻川(あいづまがわ)に達します。そして、この川を渡ると、知立市(ちりゅうし)の市街地です。
 街道は、橋を渡ったすぐ先を左折して、池鯉鮒の宿場へと入ります。

 

f:id:soranokaori:20210225151901j:plain

逢妻川に架かる橋。