伊勢路の下り坂
鈴鹿峠は、近江から伊勢へと向かう場合は、それほど険しい道ではありません。ところが、峠から坂下宿への下りの道は、結構な急坂です。私たちとは反対に、伊勢から近江の国を目指すときには、さぞかし難渋することでしょう。
東海道随一の難所と言われる峠道。その言葉に偽りはありません。
坂下宿へ
国道1号線を左にそれた旧道は、車幅も広く、舗装された道路です。この道路の入口近くの左手に、少し変わった石造りのモニュメントがありました。台上に立つ2体の人の石像は左右に離れ、夫々が、街道を見つめている様子です。
モニュメントが何を意味しているのか分かりませんが、ここから少し上に登ったところに、岩屋観音と呼ばれる岩窟の祠があるということです。
この先、街道は、緩やかな下り道となって坂下の宿場へと続きます。
※坂下宿への入口。
坂下宿
左には鈴鹿の山、右には鈴鹿川の渓流を見ながら街道を歩きます。ほどなく、集落が現れると、その辺りから坂下の宿場です。
依然として、道幅はそこそこの広さを保ち、車は余裕ですれ違うことが可能です。坂下宿は、往時の面影はほとんど見かけることはありません。住居は木造建物が多いものの、どこにでもある集落の光景です。
※坂下宿の西の入口。
かつての宿場は、今は茶畑や空き地などが所々に見受けられ、深い山間の集落を維持することの難しさを感じます。往時の様子はどうだったのかと、空想に駆られるような道筋の中、道路際にひっそりと佇む本陣跡の石標がありました。
今では、こうした石標などが、かつてこの地が宿場町であったことを伝えている状況です。
※宿場町と本陣跡の石標。
坂下の歴史
坂下宿を歩いていると、途中には、宿場を紹介する案内板がありました。そこには、坂下宿の興味ある一節が記されていたので、少しだけ紹介したいと思います。
「慶安3年(1650)の大洪水で宿が壊滅し、翌年現在地に移転し復興された。なお、かつての宿は片山神社下*1の谷間にあり、「古町」と呼ばれている。」
このように、元々は、鈴鹿峠の急坂の直下のところに宿場町が開けていたということです。今の場所よりさらに険しい山間に、どのようにして建物などが張り付いていたのか、興味をそそられます。
なお、案内板の記載には、「江戸時代後半には本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠48軒を数える東海道有数の宿となり‥‥」とあり、鈴鹿峠を控える位置の重要な宿場だったことでしょう。
※左、坂下宿の案内板。右、宿場の中。左手の細い道が街道です。
沓掛(くつかけ)
集落の途中で、広かった道路の左に旧道が現れます。この辺りには、鈴鹿峠自然の家や馬子唄会館などもあって、ちょっとした憩いの場所でもあるようです。
旧道沿いには、東海道53次の宿場名を記した木製の標柱が整然と立てられ、東海道の雰囲気を盛り上げています。
※馬子唄会館辺りの宿場名の標柱。
この辺りから、宿場町は坂下の沓掛という集落に入ります。道は狭まり、往時の街道の様子が窺えるような景色に変わります。
家々は軒を連ねてはいるものの、何故かひっそりとしています。坂下の宿場町は、沓掛には及んでいなかったのかも分かりませんが、宿場につながる集落ということで、何らかの役目を果たされていたことでしょう。
そもそも、沓掛(くつかけ)という言葉自体が、履物をぬいで一息つくところ、という意味です。集落の中には、立場(たてば)と呼ばれる休憩所などがあったのかも知れません。
余談にはなりますが、中山道を歩いた時にも、所々で”沓掛”という名を目にすることがありました。最も名の通った”沓掛”は、中山道19番目の宿場町。沓掛宿は、碓氷峠の麓にある、軽井沢宿の隣です。鈴鹿峠の麓にある坂下宿の隣の沓掛。どこか中山道とも通ずるところがあるようです。
※沓掛の集落
一ノ瀬の一里塚
沓掛は結構大きな集落で、街道の延長は1Kmにも及んだような気がします。集落の中をゆっくりと下っていって、民家が途切れ途切れになってくると、やがて国道1号線と合流です。そして、その先に一ノ瀬の一里塚が見えました。
※坂下一ノ瀬一里塚。
関宿へ
この後街道は、しばらくの間、国道1号線の歩道を進みます。かつて国道は、三重県と滋賀県を結ぶ最も重要な道だったようですが、今は、新名神高速道路が整備され、国道の交通量はそれほど多くはありません。
気持ちもゆったりとして、下り道を楽しみます。
国道が東海道を飲み込んでしまったとはいうものの、関宿に向かう途中には、何か所か旧道が現れて、私たちを集落へと誘います。
※左、市瀬の集落。右、市瀬の集落途中で国道を横切り、向かいの旧道に入ります。
集落を抜けた後、再び国道に戻ってくると、下り道から平坦な道へと変わります。辺りの景色も変化して、倉庫や配送関係の建物などが目立ちます。
やがて住宅なども増え始め、街道は関の宿場に近づきます。
※左、東海道関宿西の交差点。右、関宿の西の入口。
西の追分
東海道関宿西の交差点で、国道からわずかに左にそれる細い道に入ります。ここが、西の追分と呼ばれるところ。関宿の西の端で、この交差点を右に向かうと、伊賀や奈良の方面です。大和街道と称される古くからの街道は、西の追分で東海道と分かれます。