二十七曲がりの町
岡崎は、徳川家康の本拠地とも言える場所。岡崎城が優雅に構え、その周りを城下町が取り巻きます。
街道は、城下では、右に左に複雑に屈曲を重ねます。この折れ曲がった道筋は、二十七曲がりと名付けられ、岡崎の代名詞でもあるようです。複雑につながる街道は、岡崎城を遠巻きに迂回しながら、東へと向かいます。
矢作橋を渡り切ると、正面に岡崎市の市街地が見渡せます。街中には、高層の建物や、高架の軌道が整備され、市の発展が窺えます。
街道は、堤防に続く坂道に設けられた地下道へ。そこで国道を横切って、道の反対側に出て行きます。
地下道を出た後は、堤防下の細い路地を少し進んで左折です。
※左、矢作橋を渡ったところ。前方が岡崎市。右、矢作川堤防下の路地。
この辺りは、細い路地道が廻らされ、昔ながらの区割りが残されたようなところです。少し進むと、由緒ある立派な木造の建物が現れ、その角の、辻から見渡たす風景は、白壁と板張りの幾棟の蔵や屋敷が連なる、独特の町並みです。
この辻には、「八丁蔵通り」の案内がありました。白壁には、「八丁味噌」と記された蔵のような建物もあり、この地域が赤味噌で有名な、八丁味噌の発祥地であることを知りました。
街道を進むと、老舗の看板が掛かった、古くからの店舗なども見られます。時間があれば、中を覗いてみたいような、本場の味噌醸造の町並みです。
※八丁味噌の蔵などが連なる辻。
松葉総門跡
細い路地を進んでいくと、広い通りに出てきます。そこには、「松葉総門跡」と刻まれた石碑とともに、「岡崎城下二十七曲り」の案内がありました。かつては、この門をくぐって、城下の町に入っていたことでしょう。
この先の、岡崎の城下の街道は、幾度となく路地を折れて、屈曲を重ねる道筋です。地図があっても、なかなか正確には辿れそうもない道ですが、角々に、「岡崎城下二十七曲り」の標識が設けられているために、まず、間違えることはありません。
この標識、よく見ると、下に写った写真のように、平仮名が書かれています。おそらく、東から、い・ろ・はの順序に、この仮名が付されているのだと思います。だとすると、松葉総門跡の標識は、”た”と書かれているため、16番目ということです。元々あった、27か所の曲りの場所も、今はその数を減らしているということか、或いは、八百八町と言うように、たくさんの曲りがあったということか。その真意は不明です。
※松葉総門跡。
城下へ
広い通りを渡った先で、再び、細い路地に入ります。この辺りから、本来の城下のような町割りで、その後、直角に左に折れて、北の方へと向かいます。軒が連なる民家の軒が途切れると、東には、岡崎城の天守閣が望めます。
※板屋本通りから岡崎城を望みます。
北に向かった街道は、途中で国道1号線がその進路を妨げます。やむなく、少し迂回して、歩道橋で国道を渡って、元の街道に戻ります。
その先は、田町と呼ばれる街の中。住宅やアパートなどが密集するところです。街中をジグザグに進んで、三清橋を渡ります。
※左、田町の街中。右、三清橋。
橋を渡った先を左折して、川の左岸を少し上流に進みます。そして、今度は右折です。この辺り、人通りはあまりなく、ひっそりとしています。ただ、沿線は、ビルやマンションが建ち並び、区画整理されたような街並みです。
※左、材木町の街並み。右、岡崎城に近い位置にあるデパートの裏手。
岡崎の街中
道は相変わらず屈曲を繰り返し、シビコという、デパートの裏手に差し掛かります。それから、今度は、本町一丁目の交差点、そして、連尺通りへと進みます。
岡崎宿は、城下にあった宿場町。城下の重要な地域を避けながら、宿場の機能が設定されているようで、城の中心部からは、やや距離を開けながら街道筋は続きます。
岡崎は、大戦の戦災に見舞われたということで、街並みは、往時の面影を残すところはありません。宿場の姿は影をひそめて、新しい街が広がります。
※連尺通りへ。
籠田公園から伝馬町へ
連尺通りが終わったところで、右前方に籠田公園が現れます。街中の広々とした公園は、よく整備されていて、市民の憩いの場となっている様子です。
街道は、この公園を取り巻くように半周し、その先で、伝馬町方面に向かいます。
※籠田公園。
伝馬町の裏通りの道を進んで行くと、左前方に、歴史的な石造りの建物が見えました。この建物は、岡崎信用金庫資料館。元は、商工会議所の建物だったということで、大正時代の雰囲気を感じます。
今は、資料館として開放され、貴重な資料などが展示されているということです。
※岡崎信用金庫資料館。
岡崎の東へ
街道の後半は、曲りの数も減少し、概ね、東の方向に進みます。整備された道路脇には、所々に、老舗の店舗なども見られます。
やがて、街道は、岡崎市役所にほど近い道路を進み、次第に住宅地へと入ります。左手に、岡崎げんき館と書かれた大きな建物が現れると、その先で右折です。
しばらく進んだ先の左には、小さな三角地の小公園。そこには、冠木門(かぶきもん)と、二十七曲りを紹介した、石造りのモニュメントがありました。この付近が、岡崎宿の東の端なのかも知れません。
ここから先、旧道が現れて、斜め左の緩やかな坂道に入ります。この坂を下って、次の宿場、藤川宿を目指します。
※左、冠木門。右、二十七曲りのモニュメント。