旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]63・・・府中宿と駿府の城下

 駿府城と府中の宿場

 

 街道は、安倍川を渡った先で、府中の宿場に入ります。安倍川寄りの宿場には、川越しに関係した町並みが続いたはずで、その後次第に、城下町の色合いが深まっていったのだと思います。

 城下の近くを、街道が通るところは数多くありますが、特に、東海道の沿線では、城郭のすぐ傍に宿場町が整備され、城下町と一体的に管理されていた様子です。

 中でも、規模といい、格式といい、他に秀でた駿府の城下は、宿場町を包括した城下町の代表格と言えるでしょう。

 

 

   駿府の城下へ

 区画割りがきっちりと整えられた、静岡の街中を進みます。この辺りの街の区画は、北東と南西方向を軸として、やや長方形の枡の目状に区切られた形状です。

 街道は、真っ直ぐに北東に向かいます。道沿いは、既に、かつては、府中の宿場。川越しの準備をする旅人や、人足の慌ただしい息遣いなどを聞きながら、安倍川を渡り終えた人々は、この先の城下の町へと、足を早めたことでしょう。

 

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駿府の城下へと向かう宿場筋。

 

 やがて、道幅はこれまでの半分ほどに狭まりますが、この辺りから、城下町の中心地になるのでしょうか。一気に街の密度が増してきたように感じます。

 今、伝えられる街道は、この先、かぎ状に屈折を繰り返し、駿府城の南の縁に近づきます。この間、複雑な道であっても、道中には案内もなく、自力でルートを探すしかありません。

 私たちは、慎重に、進路を選んだつもりでしたが、結果的には、一筋、二筋、道を違えてしまうことになりました。

 

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※城下の道。実際は、この手前の道を右に入るようですが、間違えてしまいました。

 

 府中宿と中心地

 小さな路地を過ぎた後、街道は、北東に延びていく七間町通りに入ります。その先で、国道362号線を横切って、さらに真っすぐ進みます。

 辺りは、ビルが建ち並び、人通りも次第に増してくる様子です。

 

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※七間町通りの様子。

 

 街道は、やがて、市街地の中心通りの一つである、呉服町通りと交差して、その角を右折です。この交差点は、”札の辻”と呼ばれるところ。かつては、町行く人に、掟や情報などを広く知らせる、高札場(こうさつば)があったと言われています。

 城下町でありながら、宿場の機能も併せ持つ、駿府の町の中心地。今では、わずかに、石碑などが残るのみ。街の姿に、往時の面影はありません。

 

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※「札之辻」の石碑。

 

 呉服町から新静岡

 呉服町の通りには、たくさんのお店が連なります。昔から、静岡市の繁華街と言えば呉服町。多くの人が訪れる、賑わいの界隈です。

 街道は、この道をしばらく南東に進みます。そして、呉服町交差点で、左折して、次の、五叉路の交差点(江川町交差点)へと向かうのです。

 呉服町交差点を左折せず、真っすぐ進むと、JRの静岡駅。駅近くの街の姿は、高層ビルが立ち並ぶ、大都会の様相です。駅前の辺りには、両替町や紺屋町など、城下町の町名が残ります。

 

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※呉服町通り。

 

 五叉路の大きな交差点、江川町交差点は、駿府城の南の角地に位置します。街道は、この後、東へと向かうのですが、その通りが伝馬町。まさに、宿場町の重要な役割である、荷受けの拠点の名前です。

 本陣跡もこの先にあり、府中宿の重要部分は、江川町から先の地域に配置されていた様子です。

 

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※江川町交差点の東海道筋。

 

 江川町の交差点を、東海道に入らずに、少しだけ北に向かうと、駿府城の中堀と、石垣が見られます。(この道を伝って清水につながる道が「北街道」と呼ばれているようです。東海道が整備される以前の街道でした。)

 駿府城は、城郭の建物などは、ほとんど残っていませんが、石垣と、堀だけは、しっかりと、往時の姿を伝えています。

 

 駿府城の南には、静岡市のバスターミナルや 、清水地区と結んでいる、静岡鉄道の基地があり、新静岡と呼ばれています。

 新静岡は、静岡の人たちの、公共交通の拠点ともいえる場所。地域における、生活の中心地のようなところです。

 

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駿府城の南東角地。中堀と内堀の間の城内には、県庁や公共機関等の建物があります。

 膝栗毛の発祥地

 府中の町は、東海道中膝栗毛の作者である、十返舎一九の出身地。それと合わせて、作中の主人公、やじさんの故郷でもあるのです。
 やじさんは、府中では有数の、裕福な商家の後継ぎでした。ところが、酒や遊びに興じるあまり、身上を潰してしまいます。

 終いには、夜逃げ同然、江戸の長屋に転がり込んで、第二の人生を歩むのです。

 ある時、府中の頃から親交あった、きたさんと意気投合し、伊勢参りに向かった旅が、膝栗毛の道中記。滑稽な2人旅が展開していくのです。

 

 江戸を発って、この府中までの道中の出来事は、今後、折に触れて紹介したいと思います。

 いずれにしても、府中の宿場にたどり着いたやじさん達は、これまでの道中で、あり金を使い果たして、一文無しの状態でした。やじさんは、知人を頼り、故郷の府中の町で、金の工面をするのです。

 この先の金の準備が整った、安心感もあってかどうか、2人は、この夜、料亭でどんちゃん騒ぎという始末。翌朝は、既に紹介してきたように、安倍川の川越しへと向かうのです。

 

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※伝馬町通りと本陣跡。

 伝馬町

 ここまでの駿府城下の街道は、屈折を繰り返してきましたが、江川町の交差点を過ぎた後は、ほぼ真っすぐの通りです。

 伝馬町通りと名付けられた、宿場町の中心地には、本陣跡や問屋場跡の標柱などが目に止まります。街の様子は、ここがかつての街道筋とは、想像もつかない光景ですが、このような、表示を見ると、わずかながらも、懐かしさがこみ上げてくるような気がします。