駿府城と府中の宿場
街道は、安倍川を渡った先で、府中の宿場に入ります。安倍川寄りの宿場には、川越しに関係した町並みが続いたはずで、その後次第に、城下町の色合いが深まっていったのだと思います。
城下の近くを、街道が通るところは数多くありますが、特に、東海道の沿線では、城郭のすぐ傍に宿場町が整備され、城下町と一体的に管理されていた様子です。
中でも、規模といい、格式といい、他に秀でた駿府の城下は、宿場町を包括した城下町の代表格と言えるでしょう。
駿府の城下へ
区画割りがきっちりと整えられた、静岡の街中を進みます。この辺りの街の区画は、北東と南西方向を軸として、やや長方形の枡の目状に区切られた形状です。
街道は、真っ直ぐに北東に向かいます。道沿いは、既に、かつては、府中の宿場。川越しの準備をする旅人や、人足の慌ただしい息遣いなどを聞きながら、安倍川を渡り終えた人々は、この先の城下の町へと、足を早めたことでしょう。
※駿府の城下へと向かう宿場筋。
やがて、道幅はこれまでの半分ほどに狭まりますが、この辺りから、城下町の中心地になるのでしょうか。一気に街の密度が増してきたように感じます。
今、伝えられる街道は、この先、かぎ状に屈折を繰り返し、駿府城の南の縁に近づきます。この間、複雑な道であっても、道中には案内もなく、自力でルートを探すしかありません。
私たちは、慎重に、進路を選んだつもりでしたが、結果的には、一筋、二筋、道を違えてしまうことになりました。
※城下の道。実際は、この手前の道を右に入るようですが、間違えてしまいました。
府中宿と中心地
小さな路地を過ぎた後、街道は、北東に延びていく七間町通りに入ります。その先で、国道362号線を横切って、さらに真っすぐ進みます。
辺りは、ビルが建ち並び、人通りも次第に増してくる様子です。
※七間町通りの様子。
街道は、やがて、市街地の中心通りの一つである、呉服町通りと交差して、その角を右折です。この交差点は、”札の辻”と呼ばれるところ。かつては、町行く人に、掟や情報などを広く知らせる、高札場(こうさつば)があったと言われています。
城下町でありながら、宿場の機能も併せ持つ、駿府の町の中心地。今では、わずかに、石碑などが残るのみ。街の姿に、往時の面影はありません。
※「札之辻」の石碑。
呉服町から新静岡へ
呉服町の通りには、たくさんのお店が連なります。昔から、静岡市の繁華街と言えば呉服町。多くの人が訪れる、賑わいの界隈です。
街道は、この道をしばらく南東に進みます。そして、呉服町交差点で、左折して、次の、五叉路の交差点(江川町交差点)へと向かうのです。
呉服町交差点を左折せず、真っすぐ進むと、JRの静岡駅。駅近くの街の姿は、高層ビルが立ち並ぶ、大都会の様相です。駅前の辺りには、両替町や紺屋町など、城下町の町名が残ります。
※呉服町通り。
五叉路の大きな交差点、江川町交差点は、駿府城の南の角地に位置します。街道は、この後、東へと向かうのですが、その通りが伝馬町。まさに、宿場町の重要な役割である、荷受けの拠点の名前です。
本陣跡もこの先にあり、府中宿の重要部分は、江川町から先の地域に配置されていた様子です。
※江川町交差点の東海道筋。
江川町の交差点を、東海道に入らずに、少しだけ北に向かうと、駿府城の中堀と、石垣が見られます。(この道を伝って清水につながる道が「北街道」と呼ばれているようです。東海道が整備される以前の街道でした。)
駿府城は、城郭の建物などは、ほとんど残っていませんが、石垣と、堀だけは、しっかりと、往時の姿を伝えています。
駿府城の南には、静岡市のバスターミナルや 、清水地区と結んでいる、静岡鉄道の基地があり、新静岡と呼ばれています。
新静岡は、静岡の人たちの、公共交通の拠点ともいえる場所。地域における、生活の中心地のようなところです。
※駿府城の南東角地。中堀と内堀の間の城内には、県庁や公共機関等の建物があります。
膝栗毛の発祥地
府中の町は、東海道中膝栗毛の作者である、十返舎一九の出身地。それと合わせて、作中の主人公、やじさんの故郷でもあるのです。
やじさんは、府中では有数の、裕福な商家の後継ぎでした。ところが、酒や遊びに興じるあまり、身上を潰してしまいます。
終いには、夜逃げ同然、江戸の長屋に転がり込んで、第二の人生を歩むのです。
ある時、府中の頃から親交あった、きたさんと意気投合し、伊勢参りに向かった旅が、膝栗毛の道中記。滑稽な2人旅が展開していくのです。
江戸を発って、この府中までの道中の出来事は、今後、折に触れて紹介したいと思います。
いずれにしても、府中の宿場にたどり着いたやじさん達は、これまでの道中で、あり金を使い果たして、一文無しの状態でした。やじさんは、知人を頼り、故郷の府中の町で、金の工面をするのです。
この先の金の準備が整った、安心感もあってかどうか、2人は、この夜、料亭でどんちゃん騒ぎという始末。翌朝は、既に紹介してきたように、安倍川の川越しへと向かうのです。
※伝馬町通りと本陣跡。
伝馬町
ここまでの駿府城下の街道は、屈折を繰り返してきましたが、江川町の交差点を過ぎた後は、ほぼ真っすぐの通りです。
伝馬町通りと名付けられた、宿場町の中心地には、本陣跡や問屋場跡の標柱などが目に止まります。街の様子は、ここがかつての街道筋とは、想像もつかない光景ですが、このような、表示を見ると、わずかながらも、懐かしさがこみ上げてくるような気がします。