旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]50・・・掛川宿から日坂宿へ

 牧之原へ

 

 掛川の次の宿場は、25番日坂宿(にっさかじゅく)。掛川市にある2つ目の宿場です。掛川の駅の辺りで手に入れた資料によると、日坂宿は、宿場町の状態がそこそこ保存されているということです。どのような町なのか、期待に胸が膨らみます。

 ただ、日坂宿のすぐ先は、牧之原の広大な丘陵地。この難所を越えるためには、日程の調整が必要です。この日は、掛川を後にして、日坂宿の直前まで、半日の行程で切り上げて、体力を温存します。

 

 

 七曲り

 掛川宿があったところは、今はほとんどが県道となっていて、商店街や住宅などの市街地が連なります。

 ところが、仁藤町の交差点を過ぎた辺りで、街道は右に折れ、街中の住宅地に入ります。その後、住宅地の中の道を、右に左に、左に右にと、屈曲を重ねながら、数百メートル歩くのです。

 この屈曲した道筋が、七曲りと呼ばれる通り。外敵からの防御のために、城下町では良く見受けられる造りです。

 

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※七曲りの様子。

 七曲を抜け出たところで、街道は県道と合流し、再び街中の幹線道路を歩きます。広々とした道沿いには、新しい住宅が並びます。遠方には、小高い山も認められ、少しずつ、牧之原の高台が迫ってくるような感じです。

 

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※県道との合流点。

 

 逆川

 県道をしばらく進むと、逆川(さかがわ)に架かる橋を目指して、道は少し勾配を強めます。はっきりとは分かりませんが、この辺りが、掛川宿の東の端だったということです。

 橋に向かって進んでいくと、その手前の右側に、葛川(くずかわ)の一里塚跡がありました。かすかに、一里塚の名残を残し、塚の上には新しい石造りの標識です。

 この先で、街道は逆川を渡ります。

 逆川は、街道と平行して掛川の市街地を東西に流れます。掛川城のすぐ南では、掘割の役割も果たしていたのだと思います。

 この先の逆川は、街道を見守るように上流へと延びていき、旅人を日坂宿へと導きます。

 

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※左、葛川の一里塚。右、逆川の橋。

 

 郊外へ

 街道は、しばらくの間、静かな住宅地の中を進みます。逆川を越えたところで、左に向かう主要道路と別れを告げて、真っすぐに東へと向かうのです。この道は、交通量が少なくて、地域の生活道路とも言える道。日坂方面に向かうバスは、この道を通ります。

 

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※静かな生活道路風の街道。

 

 しばらく進むと、左側から幹線道路が近づいて、道は再び県道に入ります。

 道は、緩やかではあるものの、上り勾配が続きます。次第に低い山が迫ってくると、辺りは、農村の風景に変わります。

 

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※薗ケ谷(そのがや)の信号。

 

 迂回道路

 近づく山の木々を眺めながら、集落が続く県道を東へと向かいます。街道は、この先で、県道から右にそれた旧道に入ります。弓なりに曲線を描く迂回道路は、かつての街道の道筋を彷彿とさせる光景です。

 このような迂回道路が、続けて2回現れます。今は普通の、集落内の道ですが、往時には、間の宿か立場など、休憩所が設けられていたところかも知れません。

 

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※迂回道路の本所の集落。

 

 2つ目の迂回道路は、少し長めに続きます。右側には、川幅をぐんと狭めた、逆川の流れも見られ、次第に、谷あいの雰囲気を感じます。

 迂回道路を出た先は、県道415号線。その先で、高速道路のような、国道1号線の高架道路が見渡せます。

 ここは、掛川市の八坂という地域です。県道との合流地点の右側には、東海道中膝栗毛に登場する、”やじさん・きたさん”の面白い逸話が残る塩井神社が見えました。

 

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※八坂の集落から県道に合流します。正面歩道橋の奥が国道1号線の高架です。

 

 塩井神社

 塩井神社は、県道のすぐ右側に、その鳥居を構えます。鳥居をくぐると、その先は逆川です。神社の敷地は、川の向こう岸であるために、川を渡らなければ神社に行きつくことはできません。

 ところが、この川に橋はなく、どうして神社に行けばいいのか、不思議という他ありません。

 

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※塩川神社。

 

 やじさん・きたさん

 そこで思い起こすのが、塩川を渡る、やじさんときたさんのお話です。今は、この川は逆川ですが、その昔は、塩川とも呼ばれていたようです。塩川神社も、川の名前に由来しているのだと思います。

 さて、そのお話の概要は・・・

 

 やじさん・きたさんが、日坂の宿場を通り、ここ塩川にやってくると、前日の大雨で橋が流されていたのです。人々は、歩いて川を横切るしかなく、皆は、裾をまくり上げて渡っています。

 その時、目の不自由な2人の旅人が、やじさん・きたさんと同様に、川岸に差し掛かります。

 そこで、橋が流されたことを知り、目の不自由な旅人の1人が、もう一人を背負って渡ることになったのです。そして、腰を下ろして背負う恰好をした隙に、やじさんが、ひょいとその背に乗りかかります。

 状況が見えない旅人は、疑問に感じることはなく、やじさんを背負って川を渡ってしまいます。

 「おーい、はやく背負ってくれ」

 背負われるはずの旅人は叫びます。それを聞いた背負う側の旅人は、不思議に思い、もう一度引き返します。そして、同じように背負う態勢に入ったときに、今度は、きたさんが背を奪います。

 川の途中に来た時に、もう一度、聞こえてきたのは、

 「おーい、はやく背負ってくれ」

 そこで、気づいた旅人は、騙されたことを知り、きたさんを川へ投げ込むというお話です。

 

 やじさん・きたさんの軽はずみな行動は、決して、あってはならない愚行です。それでも、結局は、やじさん・きたさんに制裁が下る結末で、作者も、その戒めを込めるように、物語を綴っていったのかも知れません。

 

 今は、逆川をここで渡ることはないのですが、かつての道は、逆川の川筋と交差していたということでしょう。橋のない、塩川神社を目の当たりにして、川渡のお話を思い浮かべた次第です。

 

 この日は、次の行程を考慮した調整日。ここで街道歩きを終了です。鳥居近くの八坂橋のバス停から掛川の駅に戻って、ゆっくりと体を休めます。

 一夜明けた翌日は、日坂宿へ、そして、難関の牧之原台地へと向かいます。