旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]42・・・浜松宿

 遠州の府

 

 浜松市は、静岡市と並ぶ静岡県の大都市です。県庁は静岡市にありますが、人口では浜松市が勝ります。この人口順序は、昔から同じような状況で、浜松市の優位は変わりません。

 遠州灘を前にして中田島の砂丘が広がる浜松は、徳川家康武田信玄の戦いで有名な三方ヶ原台地に至るまで、広くてなだらかな平地を擁し、多くの人々が集います。

 遠州のかつての中心は、国分寺がある、浜松の東隣の磐田市ですが、浜松城を抱えたえた浜松こそ、遠州国府の威厳を感じます。後に、家康が駿府に入り、江戸へと向かう足掛かりとなったこの街は、徳川家のゆかりの地のひとつです。

 

 

 浜松宿へ

 東海道新幹線の高架下をくぐり抜け、少し進むと、今度は東海道本線の高架が現れます。かつてここは地上の軌道で、道路の方が高架で渡っていたはずなのですが、これも時代の流れです。

 

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JR東海道本線の高架。

 

 この高架に沿った道路の歩道を、少しだけ先に進んだところで、左に折れて、軌道の下をくぐります。その先は、街道は、一旦右(東)に方向を変え、成子交差点で左折です。

 ここからは、少し緩やかな坂道になりますが、街の様子は、徐々に都会の雰囲気に変わります。

 

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※成子交差点。ここで左に向きを変え、高層ビルの方向に進みます。

 

 浜松宿

 成子の交差点を過ぎた辺りが、浜松宿の入口です。今はもう、宿場の名残は全く残っていませんが、ところどころに掲げられた標識を確認しながら、かつての宿場町を歩きます。

 浜松宿は、浜松の城下にあった宿場です。徳川家康ゆかりの城下は、江戸期には、相当な格式を誇っていたのだと思います。岡崎、浜松、静岡(駿府)と、東海道を上るように出世した家康の偉業を偲んで、ゆかりの街を進みます。

 

 街の変容

 浜松が、街の様子を変貌させた大きな理由は、戦争です。この街は、第二次世界大戦時、数回にわたる空襲を受けました。街は大きく破壊され、多くの人が亡くなられたということです。

 浜松には、今も航空自衛隊の基地がありますが、当時から、重要な軍事拠点だったのです。また、ホンダの発祥地としても有名で、前回触れたスズキの拠点もここ浜松に置かれています。

 このように、軍事と産業の要の都市であったからこそ、この街は、破壊の対象となったのだと思います。空襲で、街は大きく変容し、宿場町もその姿を消してしまいます。

 

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※浜松宿の入口辺りの様子。

 

 本陣

 市街地の中心近く。伝馬町の交差点に差し掛かったところには、梅屋本陣跡を示す案内標識がありました。それこそ、歩道の際に建てられた、標識と石標だけが、宿場の名残を伝えています。

 標識に記載された内容は、概ね、「ここは、浜松六本陣の内梅屋の本陣跡で、約180坪(600㎡)。国学者賀茂真渕は、梅屋本陣の婿養子でした。」との内容です。

 実に、6か所の本陣を有する宿場町だったということで、規模の大きさはさておいて、宿場の格式高さが伝わるような内容です。

 

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※伝馬町交差点と、梅屋本陣跡の標識。

 中心部から東へ

 宿場町の中心は、商業ビルが建ち並び、駅近くの繁華街の様相です。街道は連尺町へ、そして、東に折れて、板屋町へと向かいます。

 

 板屋町の交差点から少し南に下ったところがJR浜松駅。浜松宿は、この交差点から、少し東の辺りまで続いていたのだと思います。

 道は、新しく整備され、美しい整然とした、新しい街並みが続きます。

 

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※浜松宿の東端辺り。

 

 私たちの街道歩きは、この日はここで終了です。JR舞阪駅から、高塚駅の近くを通り、浜松まで辿ることができました。わずか10Kmほどの道のりでしたが、この先は、次の機会に残します。 

 

 浜松のこと

 浜松は、地方の重要な都市ではありますが、この街の姿は、あまり知られていないような気がします。浜名湖と鰻の街、あるいは、凧揚げ合戦の中田島砂丘などが有名で、浜松城や三方ヶ原台地など、徳川家康のゆかりの史跡が続きます。産業は、バイクや自動車、楽器などが主力です。近年では、浜松餃子のネームバリューが高まって、全国区の勢いです。

 

 この浜松のことについて、少し触れておきたい事柄は、ひとつは、テレビの発祥地だということです。 

 あまり知られてはいませんが、私たちが日常的に利用しているテレビの原型、ブラウン管テレビの開発がすすめられていたのが、この浜松です。「イ」の文字を電送し、テレビに映すことに成功したお話を、聞かれた方は少なくないと思います。

 この実験を行ったのが、高柳健次郎という人で、浜松でこうした研究が進められていたのです。

 勿論、テレビの開発に関しては、世界中の研究者が関わってきたはずですが、浜松で行われた研究成果の重要性は、もっと広く語り継がれても良いのではないかと思います。

 

 もうひとつ、オリンピックの開会式で、青い空に五輪を描く、ブルーインパルスについて触れておきたいと思います。

 実は、このブルーインパルス。今は、東北の松島基地がベースとなっているようですが、かつては、浜松にある航空自衛隊の基地にその本拠が置かれていたのです。

 日常的に訓練が行われ、浜松の市民にとっては、身近な存在だったことでしょう。

 見ている者は、その勇壮な姿に感動し、躍動感を覚えます。しかし、曲芸は、相当な危険を伴うもの。どのような経緯があったのか、今はもう、浜松でその姿を見ることはありません。

 

 天竜川へ

 浜松の街を歩きつつ、時代の流れを受け止めながら、さらに東の方角へ。次は、

諏訪湖から流れ注ぎ、大河川となって遠州に流れ着く、天竜川を目指します。