旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

山の辺の道

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]20・・・最終回(仏教伝来の地へ)

初瀬川 初瀬川(はつせがわ、或いは、はせがわ。泊瀬川とも書くようです)は、正式には、大和川と呼ばれています。上流は、三輪山の背後にあたり、古代から神聖な場所でした。そこには後に、長谷寺が興隆し、都からも、多くの人が訪れていたということです。…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]19・・・海石榴市へ

交易の地 三輪山の南の地域は、縦横(南北と東西)に延びている、古代の道の交差点にあたります。縦の道は、言うまでもなく山の辺の道。そして、横に延びているのは、伊勢街道(或いは、初瀬街道)と呼ばれています。 山の辺の道のさらに南は、神功皇后(じ…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]18・・・大神神社

大物主神(おおものぬしのかみ) 三輪山の麓に佇む大神神社(おおみわじんじゃ)。神話にも登場する、大物主神をお祀りした古代からの社です。 前々回に紹介した、天照大神と倭大国魂(以下に登場する大神神社の御祭神”大物主神”と同一)の2つの神。当初は…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]17・・・大神神社へ

二上山 古代大和の王権と深くかかわる桧原神社の境内からは、その真西の方向に二上山(ふたかみやま、または、にじょうざん)が望めます。右側のひと際高い雄岳の横に、慎ましく寄り添う雌岳の姿が、どことなく愛しさを感じさせる容姿です。 古くから、日が…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]16・・・桧原神社へ

箸墓古墳(はしはかこふん) 私たちが今歩く山の辺の道の道筋は、奈良の盆地の東隅、笠置山地の裾野に連なる山際を通っています。この道は、やや高台にあり、時折、平地を見下ろしながら、南へと向かいます。纏向(まきむく)の辺りでは、三輪山が左手(東)…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]15・・・纏向の地へ

桜井市 関西の方にとっては、桜井市という都市の名前は、おそらくご存知だと思います。ただ、それ程の強い印象はなく、奈良盆地の南に位置する小さな街、程度の認識なのかも知れません。 この桜井市、実は、古代大和の王権の中心地だったところです。市内に…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]14・・・景行天皇陵へ

大和の王権 古代の歴史を連綿と描き続けた作家の黒岩重吾氏は、『白鳥の王子 ヤマトタケル』の長編で、主人公の倭男具那(やまとのおぐな=倭建・やまとたける、或いは日本武尊)が伝え聞いた大和王権のことについて、次のように綴っています。 「男具那の父…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]13・・・崇神天皇陵へ

柳本 山の辺の道の南コースは、この先の柳本辺りが中間点。そこには、大和王権の初代の王、崇神(すじん)天皇の陵(みささぎ)が残っています。付近には、数々の立派な古墳が築かれていて、古代の権力の重要な土地だったことが分かります。 この辺り、すぐ…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]12・・・環濠集落

ハイキングコース この先、山の辺の道の道筋は、絶好のハイキングコース区間を迎えます。東の笠置山地から西の大和盆地へ下る、緩やかな丘陵地。広々とした坂の途中を横切るように道の流れは続きます。 清々しい空気が流れ、果樹園や農地が広がる空間は、心…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]11・・・夜都伎神社へ

山道 古代の道は、この先、丘陵地の山道へと変わります。それほど深い山ではないものの、辺りは木々が生い茂り、民家もほとんどないところ。どうして、このような地形のところを通ることになったのか、不思議と言う他ありません。 古代には、丘の麓は、ぬか…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]10・・・石上神宮から内山永久寺跡へ

南コース 石上神宮(いそのかみじんぐう)の参詣を終えた後、山の辺の道は、南コースに入ります。これまでの北コースでも、幾つもの寺社や古代史跡に立ち寄りながら歩き進めてきましたが、この先の南コースは、さらに趣が深まります。これまでから触れてきた…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]9・・・石上神宮へ

天理市 山の辺の道は、この先、天理市の東の隅を縦断します。道沿いは、市街地からは少し離れた場所ですが、天理教の大きな施設があちこちに見られます。この天理市は、おそらく、天理教の城下町。ひとつの宗教が地域を席巻するという、信じられない世界です…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]8・・・天理市へ

白川ダム 古代の道は、弘仁寺を出た先で、近代的な道筋に変わります。しばらくは、舗装された幹線道路を歩きつつ、工場や整備された公園などを眺めながらの行程です。そして、その先にあったのが、白川ダムと呼ばれるところ。山際の広大な敷地のところに、満…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]7・・・弘仁寺へ

奈良市の南縁 奈良公園を起点として、大和盆地の東の際を、蛇行しながら南に向かう山の辺の道。この道は、天理市を経由して桜井市の大和川まで続いています。途中、奈良市山町の円照寺を訪れた後、天理市にほど近い弘仁寺へと向かうのですが、この辺りは、ま…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]6・・・円照寺から弘仁寺へ

帯解(おびとけ) 大和盆地の東に連なる山の裾野を辿る道。この道は、概ね、丘陵地帯を縫うように続いています。ある場所は、森のような木々が覆う山道を、またある場所は、広々とした見晴らしの良い丘の斜面を通ります。 円照寺を過ぎた後、次の目標地点は…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]5・・・円照寺へ

崇道天皇 山の辺の道の道沿いには、幾つもの神社や寺院が境内を構えています。また、数多くの歴史の跡や遺跡なども残っていて、悠久の時の流れが感じられる道筋です。 道は、白毫寺を過ぎた後、八阪神社を左に見ながら、その先で円照寺へと向かうのですが、…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]4・・・鹿野園辺り

古道の魅力 古代の道が、本当にどのようなルートを辿っていたのか、おそらく今では、よく分からないのだと思います。特に、山の辺の道の北コース、奈良公園から数キロは、整備された公園内と、住宅が連なる中を縫うように進んでいます。むしろ、本来の道筋が…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]3・・・白毫寺と大和盆地

大和盆地 奈良県の北部に広がる大和盆地は、平城京の北の端から明日香の辺りまで、20キロほど続いています。東西は、概ね、5~10キロで、概して、長方形の形です。この土地が、どうして、古代日本の中心地となったのか、興味が尽きることはありません。…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]2・・・奈良公園から

奈良公園 奈良公園は、平城京の東のはずれに位置しています。有名な東大寺を中心に、幾つかの寺院や神社が境内を構えていて、歴史あるお堂や社(やしろ)が点在します。おそらくは、これらの寺社が築かれたのは、8世紀のいずれかの頃でしょう。平城京に都が…

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]1・・・古代の道

山の辺の道 「歩き旅のスケッチ」は、今回から、山の辺の道(やまのべのみち)を描きます。この道は、奈良盆地の東隅、笠置山地の麓を通る古代からの道筋です。 昨年の春3月、東大寺二月堂のお水取りの行事に合わせ、奈良市から天理市への北のコースを歩い…