旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]5・・・円照寺へ

 崇道天皇

 

 山の辺の道の道沿いには、幾つもの神社や寺院が境内を構えています。また、数多くの歴史の跡や遺跡なども残っていて、悠久の時の流れが感じられる道筋です。

 道は、白毫寺を過ぎた後、八阪神社を左に見ながら、その先で円照寺へと向かうのですが、途中には、崇道天皇(すどうてんのう)の陵(みささぎ)前を通ります。

 どこかで耳にした、聞き覚えがあるこの天皇。一般には、早良親王(さわらしんのう)として知られています。奈良時代の末の頃、時の桓武天皇平城京から長岡京へと都を移そうとしていた時、天皇の腹心の人物が殺害されてしまうのです。その事件の罪を着せられ、長岡京の乙訓寺(おとくにでら)に幽閉されることになったのが、他でもない、早良親王だったのです。

 親王は、絶食の後憤死したとされていますが、その後、桓武天皇周辺に様々なわざわいが起こったことから、後に、”崇道天皇”という称号が与えられ、手厚く祀られることになりました。東大寺などに住まいして、仏の道に帰依した人が、政権の綾により還俗し、不本意な生涯を送ることになったのです。

 後の世の人々は、この方の無念を思い、大和盆地が見渡せる山の辺の道の一角に、陵を設けたのだと思います。そんな歴史を想いつつ、山の辺の道を歩きます。

 

 (崇道天皇に関する記事は、私の以前のブログでも紹介しています。)

 

soranokaori.hatenablog.com

 

長岡京の乙訓寺にある早良親王供養塔。

 

 藤原町

 民家の脇の細道を進んだ先は、雑木林が目の前にあり、その手前には小さな川が流れています。道は、その川に沿って、少し下流の方向へ。

 やがて、視界が開けると、見晴らしのよい丘陵地のような場所に出て行きます。そこは、農地が広がって、ところどころに、新しそうな住宅も見られます。

 この辺り、まだ奈良市の領域です。地名は、奈良市藤原町。天智天皇の時代から、要職に就いた藤原氏と関連があるのかどうか。由緒ある町のようにも思えます。

 

※遠方も見渡せる丘陵地のような場所を通ります。

 

 緩やかな傾斜地に広がる農地。その向こうには、大和盆地の西に連なる生駒の山地も見られます。

 春先ののどかな風を受けながら、大和路を歩きます。

 途中、分かれ道のところには、円照寺への道を示す案内表示がありました。角々に設置された標識を頼りにすれば、道を間違うことはありません。

 

※大和盆地と生駒の山地も望めます。農道の分岐に設置された案内表示を頼りに進みます。

 

 小高い丘や農地の中を通る道。緩やかに弧を描き、或いはまた、丘を上って下ります。古代を生きた人々も、山々や里の景色を愛でながら、この道を往き来していたのかも知れません。

 

※のどかな景色の中を1本の道がつながります。

 

 白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)

 ひとつの丘を越えた後、道は、集落に入ります。坂を下って、集落の中心部に近づくと、その一角に小さな神社がありました。

 白山比咩神社と表示されたこの神社、石川県の加賀一宮にゆかりがある、白山信仰に由来する神社だということです。どうしてこの地にそんな神社があるのかと、不思議に思った次第です。

 

※ 白山比咩神社。

 

 八島町

 藤原の集落を通過した後右折して、西方向に下ります。この辺り、奈良市の八島町というところ。丘と丘に挟まれた、谷のような地形の道を進みます。

 

※八島町に入った道。

 

 坂道の途中には、嶋田神社と表示された小さな神社もありました。左右から小高い丘が迫る場所。見晴しは、少し遮られた状態です。

 

※嶋田神社。

 

 道はこの先も、緩やかな坂道です。石垣を配した民家の傍を、ゆっくりと下ります。

 

※八島町の下り道。その先が崇道天皇陵です。

 

 崇道天皇陵(すどうてんのうりょう)

 坂道を下り進んだ先にあったのが、冒頭でも紹介した、崇道天皇の陵(みささぎ)です。小高い丘の先端に設けられた陵は、大和盆地を見下ろすような場所にあり、不遇の人を手厚く弔っているようにも思えます。

 一方で、盆地の方からも、この陵の姿を望めるのかも知れません。多くの人が陵墓を望み、世の平安を念じてきたのでしょう。

 陵の入口辺りには、宮内庁の表示板。そこには、「崇道天皇 八嶋陵」と書かれています。厳かな雰囲気の陵墓の前で手を合わせたものでした。

 

※山の辺の道の右にある、崇道天皇陵。

 

 正面からの天皇陵をご覧いただければと思います。実際には、天皇として即位していない方ですが、このように、”天皇”として認知され、今も宮内庁が厳重管理をしています。

 

※正面から見た天皇陵。

 

 山道

 崇道天皇陵を過ぎた後、道は、すぐに左折して、山道のようなところに入ります。実際は、丘の中を進む道。木々が覆い、土の道が続きます。

 この道は、次の目標地点、円照寺へとつながる道で、標識を確認しながら進みます。

 

※山道のような雰囲気に変わります。

 

 途中には、お地蔵さんや小さな祠なども見られます。道は、少しずつ、神聖なところへと近づいてきた雰囲気です。

 

※山道には、お地蔵さんなどが集まっている場所もありました。

 

 しばらくすると、山道のすき間から、整備された砂利の道が現れました。この道は、円照寺の、正規の参道なのでしょう。

 今歩いている山の辺の道。こちらは、山の中を縫うように進んだ後で、この参道につながります。

 いよいよ、次の目標地、円照寺はすぐそこです。

 

※山の辺の道は、このように正規の参道につながります。