大和盆地
奈良県の北部に広がる大和盆地は、平城京の北の端から明日香の辺りまで、20キロほど続いています。東西は、概ね、5~10キロで、概して、長方形の形です。この土地が、どうして、古代日本の中心地となったのか、興味が尽きることはありません。
ここで、邪馬台国のことについて、触れることはしませんが、おそらくこの地には、幾つかの力を持った勢力が分散していたのでしょう。いつの日か、そのような勢力が、ある程度一つにまとまって、或いは、九州かどこかの勢力が、この地を治める勢力と手を組んで、大和の王権を確立したのだと思います。
地理的には、海外の脅威であった、大陸や朝鮮半島と距離を置きながら、瀬戸内海を船で結べば、往来も可能な地。周囲を山で囲まれ、防御には適した地。そして何より、列島の中心地。幾つかの条件がかみ合わさって、大和の歴史が築かれたのだと思います。
悠久の歴史を想いながら、古代の道を歩きます。
白毫寺(びゃくごうじ)へ
傾斜地につながっている、集落内の細道を進んで行くと、小さな四辻に、「白毫寺」と記された石造りの案内表示がありました。傍には、新しい道標も置かれています。
山の辺の道を代表する史跡のひとつ白毫寺。この古刹の参道は、ここからおよそ100メートル、左手の山際に向かったところから始まります。
※白毫寺の案内表示が置かれた四辻。
山の辺の道の道筋は、この四辻を真っ直ぐに進みます。ただ私たちは、しばし、ルートをそれて、白毫寺を訪れます。
四辻を左折して、急な坂道を上っていくと、やがて、石段の上り口に至ります。どこにでもありそうな、旧来からの住宅地のはずれにあった上り口。その先は、一気に時代が遡り、歴史を歩んだ古刹への険しい石の階段が続きます。
※白毫寺の山門に向かう石段。
白毫寺
石段を上り進むと、山門が近づきます。弱々しい簡素な造りの山門は、左右の壁の漆喰が剥がれ落ち、風雨に晒されてきた年月が偲ばれます。
山門を過ぎた後も、その情景はさらに深まる感じです。山の辺の道と白毫寺。どこか、観光地とは質の異なる趣が、漂っているような気がします。
※白毫寺の山門と境内の方向。
石段を上り詰めると、その左手が受付です。拝観料500円を支払って、境内へと進みます。
白毫寺の境内は、それほど広くありません。正面の本堂と、左手奥の宝蔵が建物の中心で、あとは、樹木を配したわずかな平地に史跡などが残っています。
私たちは、本堂の正面からお堂の中へと足を進めて参拝させていただきました。
縁起
白毫寺の縁起については、定かではないようです。受付で頂いた資料には、次のように書かれています。
「白毫寺は・・・高円山(たかまどやま)の西麓にある。高円と呼ばれたこの地に天智天皇の第七皇子、志貴皇子の離宮があり、その山荘を寺としたと伝えられるが、当時の草創については他にも天智天皇の御願によるもの、勤操(ごんそう:奈良時代の僧)の岩淵寺の一院とするものなど諸説あり定かではない。」
元々は、7~8世紀が起源のようですが、荒廃と再興を繰り返し、今の姿に近づいたのは、江戸時代だったということです。古代の道と白毫寺、どことなく、融和を感じる光景が見られるものの、歴史的には、それほどの接点は無いのかも知れません。
※白毫寺の本堂。
大和盆地
参拝を終えた後、境内から見えたのは、眼下に広がる大和盆地の姿です。北部地域の平地には、様々な建物が埋め尽くしているように映ります。
そして、その向こうには、ぐるりと囲む山並みです。京都南部や河内とを隔てている山並みが、盆地の際に連なります。
※白毫寺の境内から見た北部地域の大和盆地。
境内から山門を見下ろした方向には、ひと際高い、山の姿も見られます。おそらくそれは、生駒の山なのだと思います。
山門の屋根の向こうの街並みは、奈良市の南部地域と大和郡山になるのでしょう。たくさんの人々が住まいするこの盆地。古代には、湿地や草が覆う、未開の地だったのかも知れません。
様々な歴史のドラマを繰り広げ、今に至った盆地の姿を感慨深く眺めつつ、白毫寺の石段を下ります。
※白毫寺の山門と大和盆地。
県道と旧道
白毫寺の石段を下りた後、先の四辻に戻ります。その後、住宅地を通った後で、道は、県道につながります。
※県道に合流した山の辺の道。
県道の歩道伝いにしばらく進むと、右側に、下のような鉄の扉が現れます。表示に書かれているように、この前後には、鹿を防ぐ鉄の柵が設置され、厳重な管理がなされています。
山の辺の道のルートは、指示に書かれている通り。この扉を開けて、階段を下ります。扉には、簡易なロックが付けられているために、開けた後は、必ず元に戻しておかなければなりません。
※鹿よけの鉄の扉と柵。
鉄の階段を伝い下りると、あぜ道のような旧道に入ります。開発地と隣接する旧道を、心細く進みます。
※開発地の際をすり抜ける旧道。
農地
しばらくすると、旧道は、農地が広がる地域に入ります。この辺りにも、農地を守るように、鉄の柵が設けられ、ところどころに、先ほどと同様の、鉄の扉が置かれています。
私たちは、ひとつずつ扉を開け、その先へと進みます。
※農地を通る山の辺の道。