旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]2・・・奈良公園から

 奈良公園

 

 奈良公園は、平城京の東のはずれに位置しています。有名な東大寺を中心に、幾つかの寺院や神社が境内を構えていて、歴史あるお堂や社(やしろ)が点在します。おそらくは、これらの寺社が築かれたのは、8世紀のいずれかの頃でしょう。平城京に都が移され、大和の国の権力が強大化した時代です。

 奈良の都を俯瞰する、春日山の裾野の辺りは、ことのほか神聖な場所だったのだと思います。一方で、平城京から東を望めば、若草山の丘陵地を背景に、美しく荘厳な甍(いらか)や塔が連なっていたことでしょう。

 広々とした敷地を構える奈良公園。たくさんの観光客が往来し、鹿たちと戯れることができる空間です。

 

 

 春日大社

 猿沢の池を右に見て東へと向かいます。途中には、老舗の料亭の建物もあり、歴史の重みが感じられるところです。

 道はその先で、一の鳥居前交差点。そこには、参拝者を春日大社参道へと導き入れる、厳かな朱塗りの鳥居がありました。

 この先は、公園内へと足を進め、真っ直ぐに、春日大社に向かいます。

 

※一の鳥居前交差点。左に折れると、東大寺方面になるところ。

 

 公園内の参道は、舗装道ではありません。心地よい、土の感触を味わいながら、木立の下を歩きます。

 途中、左には、奈良国立博物館の建物も。多くの鹿が戯れる、公園内を進みます。

 もう一度、舗装道を横切ると、右側は、飛火野と呼ばれる空間です。芝生が広がる野原には、鹿の姿が似合います。

 

※舗装道路を横切ってさらに東へ。

 

 参道は、少し先で、大きく右側の方向へ。杉の並木が連なる道をさらに奥へと進みます。

 

※右方向に迂回する参道。

 

 春日大社

 しばらくすると、左手の方向に春日大社の本殿がありました。たくさんの観光客が訪れるこの神社、東大寺興福寺などと同様に、世界遺産を構成する文化財のひとつです。

 ただ、これまでも触れたように、山の辺の道が賑わった、古代の大和の時代には、春日大社などはありません。春日山の麓を通る細道が、三輪山の王権の地(今の桜井市)と、木津や山背(やましろ)などがある、北部の地域を繋いでいたことでしょう。

 

春日大社前。

 

 若宮神社から園外へ

 春日大社を過ぎた後、園内を南へと進みます。途中、左には、若宮神社があるようです。春日大社に関連するこの神社にも、多くの人が集っています。

 道は木々に覆われ、随分と人の姿も減りました。私たちは、園路を辿り、奈良公園の南の出口へと向かいます。

 

若宮神社から奈良公園の南へと向かいます。

 

 薬師寺

 奈良公園を出た先で、「新薬師寺」の表示を見ながら、案内に従って、この先の進路を探します。

 先に、近鉄で頂いた地図を見ても、どうも細部は分かりません。なかなか複雑な経路を辿る古代の道。標識も頼りにしながら慎重に進みます。

 道は、奈良の街の、古くからの住宅地の様相です。入り組んだ細い路地を辿り進んで、わずかな傾斜の坂道を上ります。

 

※細い住宅地の坂道を進みます。左の寺院は不空院。

 

 坂道の左には、古都を感じる白壁の塀。わずかに積まれた石垣や、小さなお寺の山門など、歴史の香りが漂います。

 左手のこの寺院、不空院と呼ばれています。そして、不空院を過ぎた先の右側には、少し大きな寺院です。塀の間に山門がありますが、その日は、そこは閉じられて、中に入ることはできません。

 この寺院、門の傍の石柱は、「新薬師寺」の表示です。山の辺の道を歩く時、ランドマークとして重要な、ひとつのポイントに到着です。

 

※新薬師寺の山門。

 

 新薬師寺は、平城京の南西にある有名な薬師寺とは、関係がないようです。薬師寺は、天武天皇による建立で、元は、藤原京にあったとか。後の世に、今のところに再建されたということです。

 一方で、この新薬師寺は、聖武天皇の病気平癒を祈願して、光明皇后が創建されたもの。こちらこそ、奈良時代を代表する寺院のひとつだったのです。

 新薬師寺は、閑静な住宅地に埋もれるように佇みます。観光客もそれほど多くはないのでしょう。ひっそりと、山の辺の道の一角に、その境内を隠しています。

 先ほどの山門を通り過ぎ、塀を周りこんだ右側が本来の入口です。私たちは、門前から手を合わせ、先の道へと向かいます。

 

※新薬師寺の入口を、左方向へ。道案内が頼りです。

 

 白毫寺(びゃくごうじ)へ

 新薬師寺の正門から、左方向に進んで行くと、道は次第に、山並みに近づきます。その先は、少し複雑ではありますが、地図と共に、表示柱や看板などを頼りにして、古の道を辿ります。

 道は細く、途中から上り坂に変わります。何か所かある、枝分かれの道の角では、「白毫寺」を案内する表示板が頼りです。右に左に折れ曲がる、不思議な道筋を進みます。

 

※細い道は、上り下りと左右への屈曲を繰り返します。上のブロック塀には「白毫寺」の案内です。

 

 古代からの道筋が、どうしてこんなに複雑なのか。俄かには理解できません。ただ、その頃の大和盆地は、大変な荒れ地だったか湿地帯だったのでしょう。

 そのために、山裾の、わずかに安定した場所を辿って、人々は往き来したのかも知れません。

 そんなことを考えながら、次のポイント、白毫寺へと向かいます。

 

※白毫寺へと向かう山の辺の道。