旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[山の辺の道]1・・・古代の道

 山の辺の道

 

 「歩き旅のスケッチ」は、今回から、山の辺の道(やまのべのみち)を描きます。この道は、奈良盆地の東隅、笠置山地の麓を通る古代からの道筋です。

 昨年の春3月、東大寺二月堂のお水取りの行事に合わせ、奈良市から天理市への北のコースを歩いた後、新緑の5月には、桜井市までの南コースに挑戦し、全区間を歩き通すことができました。古代のロマンが漂う山の辺の道。悠久の歴史の香りを感じながら、大和の国の歩き旅を楽しみます。

 

 

東大寺二月堂のお水取り行事、お松明(おたいまつ)。

 

 古代の道

 

 山の辺の道の北端は、奈良公園の辺りです。正確に、どの位置かは分かりませんが、おそらく、古代には、木津方面に繋がっている、平城山(ならやま)に向かう峠の道と接続していたのだと思います。

 この道は、後の時代に下っても、ある程度は活用されていたと思うのですが、元々は、まだ、奈良の都がなかった時代の古道です。その頃は、勿論、奈良公園などありません。東大寺も、興福寺も、なかった時代の道筋です。

 3世紀の末の頃、大和の地に王権が確立されて、三輪山の麓辺りに権力の中枢が置かれます。大和の地や、その周辺を地盤とする豪族たちも、王権との関係性を計りつつ、自らの土地と民とを守るため、幾多の術策を考えていたことでしょう。

 そんな時代の、交流の道。そのひとつが、山の辺の道だったのだと思います。

 

 天理市桜井市などが協賛する、山の辺の道美化推進協議会が発行した資料。

 

 ここで、山の辺の道美化推進協議会発行の資料から、この道の概要が記載された、記事の一部を紹介します。

 

 「山の辺の道は、三輪から奈良へと通じる上古の道。大和平野には南北に走る上・中・下ツ道の官道があり、それぞれ7世紀の初め頃に造られた。上ツ道のさらに東にあって、三輪山から北へ連なる山裾を縫うように伸びる起伏の多い道が山の辺の道である。現在、その道をはっきりと跡づけることはできないが、歌垣(うたがき)で有名な海石榴市(つばいち)から三輪、景行、崇神陵を経て、石上(いそのかみ)から北上する道と考えられている。・・・中でも古代の面影をよく残し、万葉びとの息づかいを伝えるのが桜井市金屋から天理市石上神宮までの、約12キロ。古社寺、古墳、万葉歌碑、多彩な伝承の舞台などが展開し、知らぬ間に歩く者を古代の幻想の世界へと誘ってくれる。」

 

 

 山の辺の道のルート

 山の辺の道のルートは複雑です。インターネットで調べたところ、奈良県が紹介する、次のような地図がありました。

 

奈良県のサイトから得られた地図。赤の線が山の辺の道。

 

 なかなか、ややこしそうな道筋で、ちゃんと辿れる自信などはありません。私たちは、より分かり易い地図を求めて、近鉄奈良駅1階にある、観光案内所へと足を向けました。

 そこで頂くことができたのは、天理・桜井間の南側のコースの道筋です。先に触れた、協議会発行の資料の中に、その地図はありました。

 

 山の辺の道美化推進協議会が発行した資料の中にある南コースの地図の一部。

 

 案内所で尋ねたところ、北側のコースについては、近鉄の事務所の中で頂けるとのこと。早速、近鉄奈良駅の地下にある、その事務所を訪れて、下の地図を入手することができました。この地図は、かなり詳しく記載されているため、私たちにしてみれば、力強い味方です。

 ようやく詳しい地図を手に入れて、歩き旅のスタートです。

 

近鉄が作成されている山の辺の道の地図。

 

 近鉄奈良駅から

 山の辺の道の出発点は、奈良公園の辺りです。私たちは、近鉄奈良駅のすぐ東、東向商店街の中の道を通り抜け、興福寺へと向かいます。 

 

近鉄奈良駅と駅前。

 興福寺へと向かうには、商店街を通らずに、県庁前の大通りを東に進むのが一般的。ただ今回は、入手した地図に従い興福寺の境内の中金堂を目指します。

 賑やかな通りから、途中の角を左折して、緩やかな坂道へ。路地裏のような道を上って、興福寺の境内に入ります。

 

※商店街から左にそれて、興福寺境内に向かいます。

 

 興福寺

 坂道を終えた所は、興福寺の本堂である、中金堂の側面です。右前には、五重の塔の姿も望め、古都奈良の情景が広がります。

 この辺り、奈良の東部に広がっている、奈良公園の入口です。山の辺の道ができた頃には、勿論、このような施設はありません。あるいは、草が覆う荒れ地の中を、木津に通じる、平城山(ならやま、あるいは、”乃楽山”とも書くようです)へと向かう細道が通っていたのかも知れません。

 

興福寺の様子。

 

 猿沢の池

 中金堂を右に折れ、興福寺の西側の境内を南に向けて進みます。その先の右手には、興福寺南円堂西国三十三所霊場の、九番目の札所です。

 私たちは、南円堂で手を合わせ、猿沢の池に通じる階段を下ります。

 

興福寺の南を通る道。猿沢の池を右に見て進みます。

 その先は、左手に興福寺、右方向に猿沢の池を眺めながら、真っ直ぐに東に向けて進みます。正面の奥にあるのは、春日大社の境内です。

 多くの鹿が戯れる、奈良公園の景色を見ながら、古代の人の足跡を踏みしめます。