山道
古代の道は、この先、丘陵地の山道へと変わります。それほど深い山ではないものの、辺りは木々が生い茂り、民家もほとんどないところ。どうして、このような地形のところを通ることになったのか、不思議と言う他ありません。
古代には、丘の麓は、ぬかるみか笹が茂る場所だったのか、或いは、豊穣とした農地だったのか。道を築くには、適していなかったのかも知れません。そのために、自然と丘陵地が選ばれた、というのが一つの見方なのでしょう。
そして、もう一つ考えられる理由としては、神聖な石上神宮と、有力な豪族の地を結ぶため。この先には、幾つかの環濠集落が控えています。主要な地点を最短で結ぶとすれば、自ずと丘陵地を縦断する道筋が選択されたと考えるのが自然なことなのかも知れません。
この先、大和の東部に広がる丘を縦断しながら進みます。
果樹園
内山永久寺跡を出た後は、道は、一気に山道に変わります。草が茂り、若葉が萌える小高い丘を横切るように進んで行く感覚です。
丘陵地を北から南へと縦断すると、いずれまた、民家が現れ、右手には大和盆地の風景が広がります。
丘陵地の斜面には、柿やみかんの果樹が植えられて、そこには、燦々と初夏の光が注いでいます。
※丘陵地を進む山の辺の道。
森の中
道は、やがて、森の中に入ります。落ち葉が覆う土道は、まさしく、山の中を進む道。古代の道も、このような状態だったのか。人の手があまり加わっていないような、寂しい場所を歩きます。
※山の中を進む道。
鬱蒼とした山道は、ところどころで、途切れる箇所もありますが、深い緑はいつまでも続きます。
※一旦光が注いでも、また、森の中に入ります。
森の道は、少し進むと、やや道幅が広がったような気がします。この辺り、足元は、石畳が敷かれています。いつの頃に築かれたのか、知る由はないものの、街道の趣が感じられるところです。
※石畳の道も残っています。
園原町
石畳の坂道を下って行くと、ひとつの集落に行き着きます。そこは、天理市の園原町と呼ばれるところ。ようやく、民家が見られる地域へと足を踏み入れた感じです。
道端の案内表示は、この次の目標地点の夜都伎神社(やつぎじんじゃ)まで、あと1キロを示しています。
※園原町の集落。
天理観光農園
残念ながら、写真には収められてはいませんが、園原の集落には、「天理観光農園」という、小さなお店がありました。中には入っていないため、どのような施設なのか、お伝えはできないものの、古道歩きの休憩地として、絶好の場所でした。
確か、トイレもあったように思います。私たちは、この施設の前のベンチを借りて、しばしの休憩をすることに。水分補給と小腹を満たし、再び先を目指します。
丘陵地
園原では、この先、西向きに進路を変えて広々とした丘陵地を下ります。目の前は、大和の盆地。そして、生駒の山々も望めます。
※園原町の丘陵地を西向きに下ります。
緩やかな丘陵地には、広い区画の棚田のような水田が連なります。そして、その先で、道は左に進路を変えて、再び南へと向かいます。
この辺り、右方の斜面には、みかんのような果樹畑。明るい光をふんだんに浴び、心地よさそうに茂っています。
※水田と果樹園の中を南へと向かいます。
丘陵地を横切る道は、崖地の際も通ります。農地から次の農地に向かう間、左から道に迫る尾根の先を周るのです。
※丘陵地の尾根の先端をすり抜けます。
夜都伎神社(やつぎじんじゃ)
丘陵地の尾根を過ぎると、その先に、天理市乙木町の集落が現れます。山の裾野の丘陵地。緑に覆われるようにして、木造の落ち着いた家々が並んでいます。
そして、この集落の入口に、厳かな雰囲気の、神社の鳥居が見えました。
※天理市乙木町の集落。左の鳥居が夜都伎神社。
鳥居の傍に近づくと、下のような、立派な案内板がありました。そこに書かれた神社の縁起を少し紹介したいと思います。
「天理市乙木町の北方、集落からやや離れた宮山に鎮座し、俗に春日神社といい春日四伸を祀る。乙木にはもと夜都伎神社と春日神社の二社があったが、夜都伎神社の社地を隣町の竹之内の三間塚池と交換して春日神社一社とし社名のみを変えたのが現在の夜都伎神社である。」
どうも、この記事だけでは、理解できない内容で、何とも説明できません。名前からは、かなりの由緒ある神社だと思うのですが、古代とのつながりは不明です。
春日大社と関連があるとしても、遡れるのは奈良時代まで。少し物足りない思いを抱いて、先の道を急ぎます。
※夜都伎神社の説明板。
振り返って見たところ、鳥居の先は鬱蒼とした参道です。この先に、本殿などがあるようですが、そこへは、立ち寄ることはなく、乙木の集落へと向かいます。
※夜都伎神社の鳥居と参道。
乙木町
山の辺の道は、この先で、乙木町の集落に入ります。道筋は、古代から集落内を通っていたのか、或いは、道の傍に集落が張り付いたのか。今ではほとんど、旧来の集落内の小径のような状態です。
外部からの観光客の姿など、似つかわしくないような、そんな集落の小径に沿って歩きます。
※乙木町内を通る山の辺の道。
長閑な風が流れる中に、軒を連ねる木造民家。古代の道は、この先で、幾つもの歴史ある集落を通ります。