古道
氏家(うじいえ)から喜連川(きつれがわ)に向かう街道は、町の境で、ひとつの丘を跨ぎます。この丘は、さくら市の早乙女と言うところ。古くは、宇都宮の軍勢と那須氏傘下の喜連川の軍勢が戦を交えたところです。これから向かう喜連川の宿場町は、丘を越えた向こう側。氏家とは、低く連なる山並みが、その領域を棲み分けます。
この丘の北側には、今も、かつての街道の、古い道が残っています。奥州道中では珍しい往時の道は、木々が覆い、ひっそりとその姿を隠しています。
国道へ
氏家の櫻野*1の旧道を歩き進むと、やがて、右側から国道293号線が接近し、桜野の交差点で、2つの道は合流します。
ここからは、しばらくの間、国道の歩道に沿って歩きます。
※桜野交差点。右後ろから接近してきた国道との合流点です。
国道に入った街道は、ほぼ真っすぐに、北東へと向かいます。喜連川まで、あと6キロ。1時間半ほどの行程です。
前々日、途中から雨に降られて、氏家と喜連川の行程を飛ばしてしまった私たち。前日は、この先の喜連川から大田原まで、先に歩くことになりました。
と言う訳で、この日は、氏家・喜連川間の穴埋めの行程です。ここを埋めれば、大田原までの行程がつながります。半日程度の街道歩き、ここは、さほどの距離ではありません。
※喜連川まで6キロ地点の国道。
田園地帯
国道293号線の沿線は、次第に、農地が目立つ地域に入ります。広々とした田園が道の左右に広がって、ところどころに、農家や集落が点在します。
清々しい青空の下の街道歩き。真っ直ぐに延びる国道を、ひたすら北東に向けて進みます。
※真っすぐに延びる国道。
やがて前方には、それほど高くはない、丘のような山並みが迫ってきます。国道は、小さな集落の中をすり抜けて、その山並みに近づきます。
この段階で、喜連川まであと4キロ。次の宿場は、山を越えたその先にあるのでしょう。
※山並みに近づく街道。
旧道へ
国道は、この先で、山並みを避けるように、右方向に迂回です。一方の街道は、真っ直ぐに、山の中へと向かう道。
緩やかな上り坂の旧道へと進みます。
※国道が右に迂回する中、街道は、直進の坂道へ。
緩やかな坂道の旧道に入っていくと、のどかな、丘陵地の景色に変わります。民家はまばらな状態で、農地や林が広がります。
しばらく、蛇行を繰り返し、少しずつ標高を重ねていくと、やがて、右方向に「早乙女温泉」の看板です。よく見ると、林の中に小さな建物が隠れています。おそらくそれが、「早乙女温泉」なのでしょう。日帰りの温泉施設が、このような静かな丘の中にありました。
※左、緩やかな坂道の旧道。右、右方向の林の中に「早乙女温泉」があります。
峠
早乙女温泉を通り過ぎ、さらに坂道を進んで行くと、やがて、峠のような、やや開けた場所に行き着きます。
道の際には、「セブンハンドレッドクラブ」と記された、少しお洒落な案内板。この奥に、ゴルフ場があるようです。
街道は、ここから先は下り道。峠を過ぎて、軽やかに歩みを進めます。
※ゴルフ場の入口となっている峠の様子。
古道
峠を越えてしばらくすると、今度は、右方向に山道が現れます。道沿いには、「→奥州街道」、「史跡 奥州街道(古道)」などの道案内。ここからは、この山道を辿ります。
※右方向の山道の古道への入口。
古道への入口に設置された説明板。少しだけ、その内容をお伝えしたいと思います。
「・・・奥州街道は、日本橋から宇都宮宿までは日光街道と重複し、宇都宮から分岐して白河と向かう。さくら市には、奥州街道のほか、会津中街道、会津西街道、原街道の結節点となり、交通の要害地として栄えた氏家宿と喜連川公方の城下町でもあり、また、あゆの寿司で全国的に名を馳せた喜連川宿があった。この古道は、たびたび山腹が崩壊するなど難所の一つであったため、明治13(1880)年迂回路が開削されたことにより、往時の姿をとどめている。」
※古道入口の説明板。
山道の古道に入った街道は、一気に時代が遡り、往時の街道の風景に変わります。奥州道中の沿線は、今では、このような道筋はごく僅か。貴重な、歴史の道を楽しみます。
※往時の街道の様子を感じられる古道。
里へ
山の中の旧道は、基本的には下り坂。木々に囲まれ、人の気配はありません。少し不安に感じながらも、ひたすら先を目指します。
途中には、地元ゆかりの歌人の方*2の、お墓などの案内板。ただ、鬱蒼とした森の中には、入る勇気はありません。旧道の道筋を味わいながら、街道歩きに専念します。
山道を、数百メートル歩き進むと、視界が少し開けた状況に。その先はもう、里の集落があるようです。不安にもなった山道は、思いのほかあっさりと、通り過ぎてしまった感じです。
※先が開けた感じの古道。
里に出て行く直前のところには、一里塚とも思えるような、小高く盛り上がった場所があり、そこには、幾つかの石碑が置かれています。
資料を見ると、それらは、庚申塔だということです。地域の方々の、信仰の証なのでしょう。
※幾つかの庚申塔が置かれた場所。
山道を下りきると、すぐに補装の道に変わります。そこはもう、喜連川(きつれがわ)の領域なのだと思います。視界の先は、盆地の景色が広がります。
次の宿場は、もう間近。半日の行程は、意外に早く、終わりそうな感じです。
※喜連川の最初に集落を進む街道。