旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[奥州道中]5・・・氏家宿へ

 さくら市

 

 鬼怒川を越えた街道は、さくら市に入ります。これまで、知ることがなかったこの都市は、平成の合併で誕生した、新しい自治体です。元々は、奥州道中の宿場町として名を馳せた、氏家(うじいえ)と喜連川(きつれがわ)の2つの町が、独自に町政を敷いていましたが、さくら市は、これらの町が合併し、誕生することになりました。

 ”さくら”という、日本の国の樹をいただいたこの自治体、平仮名であるからこそ、なおさら親しみを感じます。この地域、桜の名所があるのでしょうか。それとも、他に理由があるのでしょうか。やさしい響きの地名に魅せられ、さくら市の2つの宿場に向かいます。

 

 

 鬼怒川

 前回のブログで触れた、鬼怒川の渡しの跡を通り過ぎ、再び、河畔林の小径の中に入ります。そして、鬼怒川の右岸堤防へと戻った後は、もう少しだけ上流へ。

 その先、ほどなく堤防道は、県道125号線と出合います。私たちは、ここを右折して、阿久津大橋を渡ります。

 

※鬼怒川に架かる阿久津大橋。

 

 この辺りの鬼怒川は、そこそこの川幅です。それでも、この橋は、歩道の区分がありません。時折、大きなトラックなども通過する、幹線道路の橋上を、欄干に身を近づけながら、少しずつ、対岸に近づきます。

 

※阿久津大橋。橋の半ばで、さくら市に入ります。

 

 さくら市

 街道は、阿久津大橋の中央付近で、さくら市に入ります。橋の向こうは、幾つかの集落が点在し、あちこちに、林のような木の塊が見られます。遠方は、丘陵地帯となるのでしょうか。緑の帯が、曇天の空の境に連なります。

 阿久津大橋を渡り終えると、上阿久津の交差点。街道は、ここを左に折れて、鬼怒川の左岸に伸びる、集落の道を進みます。

 

※上阿久津の交差点。

 

 上阿久津

 最初にあった集落は、上阿久津と呼ばれるところ。広い敷地の民家が並び、古くから町並みが形成されていた様子です。

 次の宿場の氏家は、まだもう少し先の位置。鬼怒川の東に接するこの集落は、鬼怒川の増水時には、足止めされた人たちの休息地だったのかも知れません。

 

※上阿久津の集落。

 

 街道は、緩やかな上り道に変わります。歩道橋に掲げられた標識は、さくら市街まで、4キロの表示です。おそらく、さくら市街は、氏家の宿場辺りのことでしょう。まだ、もう少し時間がかかります。空模様も心配で、先の道を急ぎます。

 

※坂道に入ったうえ阿久津の集落。

 

 勝山

 街道は、やがて、勝山という集落に入ります。依然として、緩やかな上り坂。ただ、町並みは、少し趣を変え、お店や食堂なども現れます。

 

※勝山の集落。

 

 街道はその先で、丘陵の頂部を通過して、下り道に変わります。道沿いは、工場や倉庫などの建物が目立つようなところです。

 しばらくして、坂道から平坦な道に変わる辺りに、右方向への新しい道が現れます。街道は、ここを右折です。ここには、標識などは何もなく、地図でよく確認する以外にありません。

 かろうじて、突き当りに掲げられた、ベイシア(スーパーマーケット)の看板が目印となるようです。

 

※右折して、新しい取付道を進みます。

 

 旧道

 ベイシアの看板に突き当たり、左に向かうと、旧道のような道に変わります。おそらく、かつては、先ほどの下り坂の途中のところで、斜め右に進む旧道があり、ここに繋がったのだと思います。

 いつの間にか開発により、その旧道は分断されて、今のようになったのでしょう。新しい、ベイシアのお店の横を歩き進んで、氏家へと向かいます。

 

ベイシアのお店の脇に残る街道。

 

 国道バイパス

 旧道を進んで行くと、交通量が頻繁な、国道4号線の氏家バイパスに行き着きます。街道は、ここで、国道を横断しなければなりません。

 ただ、この辺りには横断歩道はありません。かと言って、迂回するには相当なロスとなるところ。仕方なく、タイミングを見計らい、国道の横断を決行です。

 

※国道のバイパスを渡り、向かいの旧道に入ります。

 

 お伊勢の森

 国道を横切った先の旧道は、農道のような道筋です。農地が広がり、ところどころに、農家や新しい住宅が散らばります。

 しばらくすると、水路脇に、木製の標識がありました。風雪にさらされて、読みにくい文字ですが、「お伊勢の森」や「奥州街道道標石」と書かれています。この角を、農地の奥に行ったところが、「お伊勢の森」のよう。伊勢神宮に関連するお社があるのでしょうか。

 雲行きが怪しくなって、小粒の雨が、時折頬をかすめます。私たちは、寄り道をせず、先の道を急ぎます。

 

お伊勢の森の標識。

 

 東北本線

 旧道を進んで行くと、今度は、JR東北本線の踏切です。ここから、左遠方を眺めると、ひとつの町の塊が見え、その中に、駅らしき構造物もあるようです。

 おそらく、そこが、氏家の駅舎でしょう。次の宿場の氏家宿も、もう間もなくのところです。

 

※旧奥州街道踏切。

 氏家宿と道標

 踏切を越えてしばらくすると、街道は、次の集落に入ります。そして、その先で、街道は、T字路の地位さな交差点を迎えます。

 この交差点の右角には、お地蔵さんや、幾つかの石標が、街道を見守るように佇みます。併せて置かれた説明板を見てみると、次のような説明書きがありました。

 

 「ここが奥州街道の宿場・氏家宿の南端にあたる。氏家宿の長さは南北に8町45間(969.2メートル)あり、街道をはさんで民家、商家が軒をつらねていた。」

 「ここには、北向地蔵と道標、馬頭観音が建てられている。」

 

※古町のT字路。お地蔵さんや石標などが置かれています。

 街道は、いよいよ、氏家の宿場町に到着です。空模様は、次第に怪しくなってきて、時折、大粒の雨が襲ってきます。