佐久山と矢板
下野(しもつけ、栃木県)の北部地域は、丘陵が広がる中に、幾つもの小さな盆地が点在します。奥州に向かう街道は、それらの盆地を繋ぎながら、ひたすら北を目指します。
一方で、今日の動脈である鉄道や、高速道路などが通っているのは、街道のやや東の地域です。そこには、幾つかの主要な都市があり、那須高原に向かうための起点として、その役割を果たしています。
この先の街道は、丘陵地の隙間を縫って、佐久山(大田原市佐久山)へと向かうのですが、鉄道などの主要ルートは、矢板市を通っています。この矢板というところ、日光を訪れた芭蕉と曾良が、その後、大田原へと向かった途中に通過したところです。
『曾良旅日記』の一節は、陰暦の4月3日(陽暦5月21日)の記事として、次のように記しています。「同三日 快晴。辰上刻、玉入(玉生:たまにゅう)ヲ立。鷹内ヘ二リ八丁。鷹内ヨリヤイタへ壱リ二近シ。ヤイタヨリ沢村へ壱リ。沢村ヨリ太田原(大田原のこと)へ二リ八丁。」
佐久山から北に向かって、大田原へと向かう街道ですが、芭蕉と曾良は、日光から最短距離で矢板に至り、南東の方向から、大田原に入ることになるのです。
日光道中の旅を終え、一旦、芭蕉と別れた私たち。ここで再び、芭蕉の影が近づきます。
※Google maps。緑のフラッグは、下が佐久山宿で上が大田原宿。赤のルートが奥州道中で、青が芭蕉が通ったであろうルートです。
県道伝いの街道は、下河戸の集落に入ります。道沿いは、敷地の広い住居が並び、生垣が美しく整えられた地域です。
この集落の途中には、見事な長屋門がありました。よく、保存整備がなされているのか、それほど古さを感じません。街道筋の情緒が残るこの貴重な建物は、いつまでも保存して頂きたいと思います。
※街道筋に残る長屋門。
曽根田
街道は、その先で、曽根田の交差点を迎えます。道路標識にあるように、ここを道なりに進んで行くと、冒頭に少し触れた、矢板市に至ります。一方で、右方向が奥州道中の道筋です。
私たちは、ここを右折し、佐久山の宿場町へと向かいます。
※曽根田の交差点。
里の風景
交差点を右折した後、道は、緩やかに弧を描きつつ、わずかな勾配の、上り道に変わります。
この辺り、まだ、さくら市の下河戸の地域です。おそらく、さくら市の北限辺りになるのでしょう。街道は、少しずつ、大田原市の領域に近づきます。
※緩やかに弧を描きつつ、丘へと上り進む街道。
丘の間を通り抜けると、眼前には、盆地状の空間が広がります。右方向から、丘陵地の尾根が迫り、その裾を、街道が通っています。
農地が広がる静かな場所は、里の風景そのものです。
※里の風景が広がるさくら市の北端部。
大田原市へ
街道は、集落や農業用の倉庫などが建ち並ぶ地域に入ります。右方向は、相変わらず、小高い丘が続いています。
※農家などが建ち並ぶ地域を通る街道。
のどかな、里の中を延びる道。やがて道際に、「大田原市」の標識が現れます。鬼怒川を越え、宇都宮市から、さくら市に入った街道は、ここでようやくその領域を終えました。
※大田原市に入った街道。
しばらくすると、三叉路の交差点。道なりに、右方向に向かう道が街道で、ここから、県道48号線になるようです。
左手の方向は、同じ県道の先線で、矢板市や、宇都宮につながります。
写真には写ってはいませんが、この左の際にコンビニがあり、私たちは、ここで一休み。まだまだ続く、この日の道中を案じつつ、体力を養います。
※佐久山へと向かう県道48号線に入ります。
佐久山へ
相変わらず、農地と農村が見られる街道は、丘陵地帯を縫うように進みます。喜連川の宿場から、延々と小高い丘が続く道は、緩やかな上り下りを繰り返し、或いは、左右に大きく弧を描きながら、北へ北へと向かっています。
※丘陵地を縫うように延びて行く街道。
山里の風景を楽しみながら歩いていると、道が、次の丘へと向かうところに、「きらり佐久山 農産物直売所」と表示された、そこそこの規模の販売所がありました。
この施設が目印で、街道は、この先の交差点を左方向に向かいます。
※ きらり佐久山農産物直売所。道路標識を左に進みます。
県道をそれ、左へと進んで行くと、やがて、集落に入ります。そして、佐久山前坂の交差点。
この先は、民家が続き、集落というよりも、ひとつの町並みを作っています。
※佐久山前坂交差点。ここを直進します。
街道は、この交差点を直進です。そして、その先は、急坂の下り道。左右から迫る崖地に挟まれて、波打つように谷の方へと下っています。
※一気に谷へと下って行く街道。
佐久山宿
下り道の街道は、やがて、少しずつ勾配を緩めます。そして、道沿いは、木造の民家が並ぶ、懐かしい雰囲気の町並みに変わります。
おそらく、この辺りから、佐久山の宿場町が始まっていたのでしょう。迫る山は後退し、久々に、家々が軒を連ねる街道筋に入ります。
※佐久山の宿場町に入った街道。左から接近する道は、その前に歩いていた県道48号線。
街道は、佐久山の町中で、先ほどまで歩いていた、県道48号線と合流します。この道は、きらり佐久山農産物直売所を直進した後、大回りして、この位置につながることになるのです。
この先、街道は、この県道と歩調をあわせ、大田原へと向かいます。
さて、佐久山の宿場町は、この先、真っ直ぐに続いています。今はもう、宿場町の面影は、ほとんど残っていませんが、何となく、その雰囲気が感じられる町並みです。
佐久山は、前の宿場の喜連川から、およそ11.5キロも離れています。結構な間隔で設けられた宿場町。本陣と脇本陣が各1軒、旅籠は、27軒あったということです。
※佐久山宿の様子。
私たちは、清々しい青空の下、かつての奥州道中の宿場町を歩きます。