旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[奥州道中]13・・・鍋掛宿へ

 那須の道

 

 大田原を後にした街道は、下野の北の地域を進みます。この辺り、那須という名で有名な土地ですが、私たちには未知の場所。新鮮な気分を感じて台地の道を歩きます。

 この那須の地は、鉄道や高速道路が通っている西側が、特に、よく知られた地域です。そこには、那須高原や、那須温泉など、リゾート施設が点在し、多くの人が訪れます。前回も取り上げた、芭蕉曾良も、黒羽を発った後、鍋掛宿の辺りから、さらに西へと進路をとって、那須湯本の温泉地に向かいます。

 ひたすら北に向かう道中を、あざ笑ってでもいるように、芭蕉たちは、自由気ままに、那須の旅を続けることになるのです。

 

 

 蛇尾橋(さびばし)の先

 大田原の宿場を終えて、蛇尾川を越えたところで、街道は、左手の方向へ。その先は、大きく右に湾曲し、道なりに丘陵地へと向かいます。

 

※蛇尾橋を渡り終え、左に向かう街道。

 

 工業団地

 やがて、眼前は、広々とした空間が広がります。そしてそこには、ひとつの大きな交差点がありました。信号の標識には、「中田原工業団地」と書かれています。

 この辺りには、幾つかの工場などが進出し、地域の発展に寄与している様子です。

 

※中田原工業団地の交差点。前方左には、富士電機があります。

 

 信号を越え、富士電機の工場前を通り過ぎると、道は、やや急勾配に変わります。道沿いは、民家が並び、道路により分断された集落を、突き抜ける感覚です。

 

※勾配が増し、台地へと向かいます。

 

 一里塚

 上り坂が落ち着いて、台地の道を進んで行くと、その場には似つかわしくない、小さな土盛りの一角がありました。

 よく見ると、表示板や表示柱が置かれていて、そこには、「記念物 一里塚」などと書かれています。地図で確認したところ、そこは中田原の一里塚。江戸からは、38里目ということです。

 

※中田原の一里塚。

 台地の道

 街道は、台地の上を真っ直ぐに、北に向けて進みます。道沿いは住宅が並び、その奥には、農地が連なっているみたいです。

 

※台地上に延びる街道。

 

 道標

 やがて、市野沢小学校入口の交差点。そこには、幾つかの、古い道標などが置かれていて、その傍に、「記念物(史跡) 道標」の表示柱がありました。

 道標は、この交差点での分かれ道、棚倉道との追分を示すもの。江戸初期の頃の、由緒ある史跡だということです。

 

※道標などが置かれている一角。

 

 市野沢

 街道は、変化の少ない、下野の台地の道を進みます。主要な県道の道筋は、民家や店舗が点在し、時折、大きな樹木が、道しるべになるような風景です。

 もうこの辺りには、町の姿はありません。広大な農地などが地表を覆う、静かな空間が広がります。

 

※市野沢交差点。

 

 市野沢の交差点を通り過ぎ、集落を進んで行くと、道端にひとつの石碑がありました。その石碑、「弘法大師の碑」と彫られています。

 

   蓑に添う 市野沢辺りの ほたる哉

 

 石碑に刻まれたこの歌は、もちろん、弘法大師のものではありません。もしかして、芭蕉の句なのかと思ったものの、定かなことは分からず仕舞い。

 それよりも、どうしてここに弘法大師の石碑があるのか、不思議に感じたものでした。 

 

弘法大師の碑と市野沢の集落。

 

 相の川(あいのかわ)

 街道はこの先で、相の川に架けられた高野橋を渡ります。この場所は、大きく空が開けて、遠方の山並みなども望めます。

 

※相の川を越える街道。

 

 練貫(のりぬき)

 県道はどこまでも、北に向かって続きます。やがて、練貫の交差点。立派な民家が道伝いに並んでいます。

 

※練貫の交差点。

 

 広い屋敷の住宅を眺めながら、那須の台地を進みます。

 

※練貫の集落を進む街道。

 

 道は、時折、緩やかな上り下りを繰り返し、鍋掛の宿場町へと向かいます。この辺り、まだ大田原市の領域ですが、少し西に向かうと、那須塩原市になるようです。

 那須の空は、どこまでも澄んでいて、心地よい空気が流れています。

 

※緩やかな上り坂の街道。

 

 那須塩原市

 街道は、やがて、那須塩原市に入ります。小さな丘の峠辺りの交差点には、「白鳥の羽田沼へ」の案内表示。ここを右に向かうと、白鳥が訪れる羽田沼(はんだぬま)があるのでしょう。

 このような、丘陵地にも、野鳥が集まる水辺などがあるのかと、少しホッとした気持ちになりました。

 ちなみに、次回に触れる予定ですが、羽田沼に通じる道は、かつて、芭蕉たちが通ってきた、原野の道だったのかも知れません。芭蕉曾良は、この交差点で奥州道中に入ったものと、勝手に想像している次第です。

 

那須塩原市に入る街道。

 

 那須の台地は、のどかではありながら、どこか裏寂しさも感じます。北に向かって進む道。寒々とした空気が流れています。

 遠方を望んでみると、西側は那須連山が美しい稜線を描いています。一方の東には常陸の国と境を隔てる、低い山並みが連なります。

 

※街道から東の方角を望みます。

 

 この辺り、民家はまばらな状態です。酪農の農家でもあるような、広々とした丘陵地が続きます。

 

※広々とした丘陵地を進む街道。

 幾つもの丘を越える街道ですが、次第に、その頻度が増してきた感じです。道は、上り下りを繰り返し、或いは、台地と林をすり抜けて、次の宿場に続いています。

 

※林の中を通り抜ける街道。

 鍋掛(なべかけ)

 林の道を上り詰めると、そこは、小さな峠のようなところです。そして、道端に、「鍋掛の一里塚」の表示板。

 元は、峠道の両脇に一里塚があったとのことですが、道路整備の影響で、今は、階段の上の辺りに再現されているそうです。

 

※鍋掛の一里塚と鍋掛に向かって下る街道。

 

 街道は、いよいよ、鍋掛の集落に近づいてきた様子です。延々と続く丘陵地帯を通り過ぎ、一つの節目の地を迎えます。