旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[奥州道中]3・・・白沢宿へ

 白沢街道

 

 県道125号線は、別名、白沢街道と呼ばれています。宇都宮の次の宿場の白沢へと向かう道。奥州道中と呼ぶよりも、地元の人にしてみれば、この方が親しみやすいのかも知れません。

 白沢宿を通り過ぎると、その先は、この地方の大河川、鬼怒川(きぬがわ)を迎えます。奥日光に源流を発する鬼怒川は、この辺りではもう随分と広い川幅で、街道の行く手を阻んでいます。白沢は、鬼怒川の対岸の氏家の宿場とともに、鬼怒川の川越しを控えていた宿場です。時には、増水で、先に向かうことも叶わずに、ここで足止めを喰らうこともあったでしょう。

 一方で、宇都宮と白沢間は、大きな流れはありません。鬼怒川が増水しても、この間は、常に往き来が可能です。天候にさほど影響を受けることなく、物資や人の往来は盛んだったことでしょう。地元の動脈とも言える道。それが、白沢街道だったのだと思います。

 

 

 長屋門

 県道は、宇都宮市の郊外を、真っ直ぐ北へと向かっています。沿線は、住宅が中心で、ところどころに、コンビニやレストランが点在している状況です。

 街道の名残りなどはほとんど無い道筋ですが、たまに、長屋門など、趣ある建物を目にすると、往時の様子が偲ばれます。日光道中を歩いた時も、このような長屋門を、そこここで見かけたものでした。車で通過していては、なかなか気づかない光景ですが、歩いてこそ味わえる、街道筋の妙味です。

 

※県道沿いにある長屋門

 県道

 県道は、一旦道幅が狭まった後、再び片側2車線の、広々とした道に変わります。高層の建物は姿を消して、空は大きく開けています。

 

※県道125号線沿いに進む街道。

 

 やがて、岩曽(いわぞ)の交差点。民家が沿線に並ぶ中、自動車関係の店舗なども並んでいます。

 

※岩曽交差点。

 

 街道は、下川俣町を通過して、その先で、ゆったりと蛇行する状況に。

 やがて、県道の正面に、高架道路が横切ります。この道路、「宮環」と呼ばれる宇都宮環状線。左に向かえば、日光道中を歩いた時にも横切った、日光へと向かう道路に接続します。

 

※県道125号線の様子。

 海道町

 街道の沿線は、次第に民家もまばらになって、農地が広がる地域へと変わります。この辺り、道幅は再び狭くなり、車の数も幾分少なくなった様子です。

 

※農地が見られるようになった街道。

 

 しばらくすると、「下海道町」と表示された、バス停留所がありました。”海道町”とは、興味をそそる地名です。

 ふと、かつて、甲州道中を歩いた時に、”阿弥陀海道”という地名があったことを思い出したものでした。そこは、JR中央本線笹子駅のすぐ近く。かつて、阿弥陀海道の宿場町があったところです。

 甲州の谷あいにあった阿弥陀海道と同様に、この海道町も、海とは縁がありません。”街道”が”海道”となったのか。或いは、海へとつながる、川や水路が近くにあって、その水運が語源となったのか。

 色々と思いを巡らし、白沢へと歩を進めます。

 

※下海道町を通る街道。

 街道は、やがて、海道町の交差点に入ります。沿線は、敷地の広い民家が並び、その奥には、農地が広がります。

 

※海道町交差点。

 

 しばらくすると、民家は途切れ、辺りは農村の風景が広がります。歩道には、杉の木なども見受けられ、往時の並木の名残りのようにも感じます。

 

※農村の風景に変わる街道。

 稚児坂

 やがて街道は、それこそ、農地や雑木林に囲まれた、人気のない道を通ります。もう、完全に宇都宮市の郊外で、人里離れた寂しささえ感じてしまう区間です。

 

※白沢に向かう県道と歩道。

 県道をさらに進むと、次第に、新しい住宅や、工場などが混在する地域に入ります。道路際のバス停には、「稚ケ坂」の表記です。

 地図を見ると、この辺りは、稚ケ坂と呼ぶようですが、この地名の由来については、おそらく、この先にある坂の名前からきているのだと思います。

 下の写真にもあるように、県道の先線には、少し旧勾配の坂道が待ち受けます。この坂が”稚児坂”で、その上は、台地のような地形です。

 

※稚ケ坂を通る県道。

 稚児坂を迎えた街道は、急勾配の坂道に入ります。難所とまではいかないものの、歩くペースは、随分と弱まります。

 この稚児坂、鎌倉時代に奥州に派遣された奉行の子どもが、この地で病で亡くなったのが、地名の由来ということです。ただでさえ、陸奥(みちのく)への赴任の旅は、心細かったことでしょう。ましてや子どもが身体をこわし、命を落とすことになろうとは、その心情は計り知れるものではありません。

 

※稚児坂。

 

 白沢

 稚児坂の辺りから、地名はもう白沢です。ところどころに、”白沢”の名が含まれた、標識などが目にとまります。

 白沢の宿場町まで、あと、どれほどの距離でしょう。宇都宮の追分を、昼過ぎに発った私たち。時刻はもう、夕方近くに迫っています。

 

※稚児坂を上りきり、高台状の地域を歩きます。

 

 旧道へ

 しばらくすると、白沢歩道橋の交差点を迎えます。この交差点は、”y”字状になっていて、小文字の”y”の、左下から右上が、奥州道中の道筋です。一方で県道125号線(白沢街道)は、左方向に向かう道。この交差点で、街道は、県道から離れます。

 旧道に入った所には、交差点の名前の通り、歩道橋が設けられ、旧道を跨いでいます。

 

※白沢歩道橋。直前に左に向かう道があり、そこで国道と旧道が分かれます。

 

 白沢宿

 旧道をしばらく進むと、道路際にバス停があり、木造の小さな待合の建物がありました。建物前には、「白沢宿」の標識です。そして、併せて、「ここは江戸より三十里」とも書かれています。

 いよいよ、白沢の宿場町に到着です。私たちは、バスの時刻を確認し、あと少し、宿場町の中心部へと向かいます。

 

※白沢宿の標識が置かれたバス停留所。宿場町の中心部はもう少し先になるようです。