旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[甲州道中]37・・・鶴川宿から上野原宿へ

 上野原駅辺り

 

 JR中央本線は、桂川*1が流れ下る、深い谷の斜面に沿って、その軌道が敷かれています。上野原の辺りでは、川沿いの平坦地は、やや広がった状態ですが、それでも、鉄道が通るところは、切り立った斜面のすぐ傍です。

 上野原の駅を降り、甲州道中へと向かう時、複雑な地形の上に築かれた、上野原の街の様子が手に取るように分かります。高低差のある市街地を、急勾配の歩道や道路がつなぐ街。これまで、あまり見たことがない、地方の都市の姿です。

 

上野原駅の北口を出たところ。車は、右方向の道路へと向かい、その先で左右に分かれるヘアピンカーブの道につながります。右は桂川沿いの市街地、左は急坂を上り高台の市街地へ。上に見える建物の左には、長く続く崖地の階段があり、歩行者はその階段伝いに市街地へと向かいます。

 

 

 鶴川宿

 犬目宿、野田尻宿に続く宿場は、鶴川宿。甲州の最東端、上野原市の、3つ目の宿場です。鶴川の宿場町は、前半は、どこにでもある集落の様相です。ところが、先に進むと、木造の民家が並び、何となく、宿場町の面影を感じます。

 この宿場には、本陣1軒、脇本陣2軒、問屋が1軒設けられ、旅籠は8軒あったということです。規模的には、大きくはないものの、次の宿場の上野原まで、それほど離れてはいないため、旅人達の逗留は、充分にまかないきれたのだと思います。

 

※鶴川宿の様子。

 鶴川

 宿場町の後半は、真っ直ぐ延びる直線道路。この道は、大月市の鳥沢と、上野原を結んでいる県道です。街道は、この県道と旧道を交互に辿りながら、上野原を目指しています。

 街道は、宿場町の東の先で、大きく左に弧を描く、下り道に入ります。坂道を下りきった正面は、鶴川に架かる橋。橋の少し手前には、鶴川宿の石標などが設置された、小さな緑地がありました。

 

※石標などが置かれた緑地を通る街道。(東から西を見ています。)

 緑地を左に眺めながら、鶴川に架けられた、県道の鶴川橋を渡って行くと、その先は、右手に大きくカーブを描く上り坂。ここから先は、鶴川の東岸伝いに、険しい山の斜面が連なります。

 

※鶴川越えの鶴川橋。

 高台へ

 県道は、高台を上るため、この後、ヘアピンカーブを繰り返すようですが、街道は、途中から、ショートカットの旧道に入ります。

 この旧道、急な斜面を一気に上り、県道の道筋を、瞬く間に通り過ぎていく感覚です。幅が狭く急勾配であるために、多くは、石の階段道だったような気がします。疲れは一気に来るものの、時間的には、随分節約できたように思います。

 

※急斜面の階段道を過ぎて県道へ。そして再び向かいの斜面へと入ります。

 

 歩道橋

 やがて旧道は、県道へと顔をのぞかせ、その後は、県道伝いに進みます。緩やかな県道の坂道を上っていくと、正面に、歩道橋。県道は、そこで、山の斜面に突き当り、左右の道と、T字路でつながります。

 この、左右の道は、国道20号線になるようです。鳥沢から深い山を越えてきた県道は、このT字路が東の出口になるのでしょう。

 街道は、「鶴川入口歩道橋」を利用して、国道を渡った先で、再び、正面の山の斜面に入ります。

 

※県道と国道がつながるT字路と鶴川入口歩道橋。

 

 上野原の市街地へ

 山の斜面の旧道は、坂道というよりも、斜面に沿った道筋です。木々が覆う狭い道を、少しだけ進みます。そして、この道を通り抜けると、舗装された道路に入り、そこからは、緩やかな上り坂。

 空が一気に開けた感じで、いよいよ、上野原の高台へと、辿り着いた様子です。

 

※高台へと辿り着いた街道。

 

 上野原宿へ

 緩やかな上り坂を進んで行くと、次第に、住宅の密度が増して、街中に近づいてきた雰囲気に変わります。

 辺りには、住宅地が広がって、その中をすり抜けるようにして、東へと進みます。上野原の宿場町は、もう間もなくのところです。

 

※上野原の市街地に近づいてきた街道。

 

 上野原宿

 旧道は、住宅地を抜け出ると、国道20号線に入ります。道沿いには、お店が連なり、さながら、商店街の様相です。

 上野原の宿場町は、この辺りからなのでしょう。ただ、今は、宿場町の面影を見ることはできません。

 

※上野原の市街地を通過する国道20号線。ここが上野原宿です。

 

 上野原の宿場には、本陣1軒、脇本陣2軒、問屋2軒が設けられ、旅籠は20軒ありました。甲州道中の宿場町では、そこそこの規模だった様子です。

 直前の宿場町、鶴川宿から、約2キロ。その間隔はわずかです。

 

 上野原の宿場町は、国道沿いの商店街。古くからの建物や、石碑などは見られません。それでも、街道をしばらく歩いた左手奥に、本陣跡があるようです。

 地図を見ながら、細い小径に入っていくと、厳かな雰囲気の立派な門がありました。元々は、この奥に、本陣があったということですが、今では、この門だけが、往時の名残を伝えています。

 

※今も残されている本陣の門。

 

 新町二丁目交差点

 街道は、一直線の国道を、一路東へと向かいます。道筋は、相変らず、商店街の雰囲気ですが、次第にその賑わいは、薄れていくような感覚です。

 やがて、上野原の主要な交差点、新町二丁目交差点を迎えます。この交差点はT字路で、真っすぐ延びる国道と、右に向かう県道が交わったところです。

 

 私たちの街道歩きは、この日はここで終了です。鳥沢の駅をスタートし、奥深い山を通って、JR中央本線の駅が近づく上野原まで、およそ、15キロの道のりでした。

 

※上野原の宿場を通る街道(国道20号線)の様子。

 

 上野原駅がある場所は、新町二丁目交差点を右折して、1キロほど歩いたところ。全体として、下り坂であるために、疲れた身体の私たちでも、何とか耐えられる道筋でした。

 

 (次回は、上野原宿から続きの行程を記します。ただ、この続きの行程は、以前にも触れたように、駅の関係で変則となっています。  

  猿橋→下鳥沢→上鳥沢→犬目→野田尻→鶴川→上野原→関野  

      ↓→→→・・・・・・・・・・・・→→→↑

 実際には、赤で示したルートを先ず歩き、次の日に、黒の行程を歩いています。)

 

*1:桂川は、相模の国では相模川と名前が変わります。