旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

巡り旅のスケッチ[西国三十三所]34・・・宝厳寺(後編)

 奥琵琶湖

 

 西国三十三所の巡礼は、第30番宝厳寺(ほうごんじ)への参拝です。この古刹、琵琶湖の北部、奥琵琶湖の湖上に浮かぶ竹生島(ちくぶしま)に境内を構えています。

 竹生島がある一帯は、風光明媚な場所であり、不思議な魅力を感じます。深い緑の静かな湖面は、吸い込まれるような深淵さ。琵琶湖に突き出す崖地の岬は、人々を寄せつけない厳しさを見せつけます。平地の少ない奥琵琶湖、変化に富んだ険しい地形でありながら、なぜか奥ゆかしくも映るのです。

 かつては、若狭の国や越(こし)の国とを結ぶ土地。海運の拠点の地だったのだと思います。

 

 

 三重の塔

 本堂を後にして、観音堂へと向かいます。途中、左手にあった石段のところには、「宝物殿」の案内板。上を見ると、鮮やかな朱塗りの塔も見られます。

 私たちは、迷わずこの石段の方向に足を進めることになりました。

 

観音堂への道。左方向の石段上には三重の塔があります。

 石段を上った先は、島の崖地に開かれた、僅かな空間です。この場所に、所狭しの状態で三重の塔が建ち、宝物殿が並んでいます。

 まだ新しそうな三重の塔。元々は、15世紀後半ごろの創建とのことですが、その後焼失し、平成12年に再建されたということです。

 

※三重の塔の近くから。

 

 観音堂

 私たちは、先ほどと同じ石段を下り進み、観音堂へと向かいます。途中には、観世音奉安殿と標記された小さなお堂がありました。ここにも観音様が祀られてはいるものの、西国三十三所霊場は、まだもう少し先の方になるようです。

 

観音堂に向かう道筋。

 

 観音堂

 観世音泰安殿を過ぎた先の石段を下ります。目の前には、広々とした琵琶湖が見えて、心地よい空気が流れています。一段一段石の階段を下り進むと、左手に観音堂がありました。お堂の前は、緑や青を基調とする派手な造りの門構え。資料によると、観音堂前に設置されたこの大屋根は唐門と呼ばれていて、「秀吉が建てた大坂城極楽橋の一部で現存唯一の大阪城遺構として注目されています。」との記載がありました。

 なお、下の写真の正面は観音堂の側面にあたる位置。内陣への参拝場所は、お堂の中の右手から、ぐるりと回ったところにありました。

 

観音堂の入口。

 

 内陣の辺りの造りも、何か少し派手気味に感じます。ただ、ここが本来の霊場の参拝場所。千手千眼観世音菩薩像を本尊とする内陣前で、西国三十三所の参拝を終えることができました。

 私たちは、既に本堂(弁才天堂)の参拝後に御朱印を頂いたため、ここでは納経の必要はありません。この後は、順路に従い都久夫須麻神社へと向かいます。

 

観音堂での参拝を行います。

 

 舟廊下

 観音堂での参拝後、ルートに沿って、神社のある方向へ。途中で、下の写真のような渡廊下を通るのですが、この廊下、舟廊下と呼ばれていて、重要文化財に指定されているそうです。

 「この廊下は、・・・秀吉の御座船『日本丸』の骨組みを利用しています。急斜面に掛けられたためその足元は、高い舞台構造(懸造)となっています。これも唐門・観音堂と同時期に桃山様式で作られたものです。」

 

※舟廊下を通って神社へと向かいます。

 

 都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)

 せっかくの竹生島観音堂の先にある都久夫須麻神社でもお参りし、たくさんのご利益をと、お祈りさせていただきました。

 この神社、国宝に指定されているようで、外から見ると随分趣がある建物です。資料には、「関白秀吉公が時の天皇をお迎えするためにその時代の粋を集めてつくった『日暮御殿』という伏見城内最高の建物を神殿として寄進したもの。」と書かれていて、かなり貴重な建築物の様子です。

 

※都久夫須麻神社。

 

 竜神拝所

 都久夫須麻神社の対面側は、琵琶湖を臨む景勝地。南向きの湖は大きく開け、壮大な景観が広がります。

 湖に面したところには鳥居が置かれ、神秘的にも感じます。この場所は、”かわらけ投げ”と呼ばれている願掛けで有名だそう。陶器の酒杯にお願い事を書き記し、鳥居に向かって投げることで、願い事が成就すると言われています。

 傍にあった竜神拝所から外を見ると、鳥居が真正面にありました。どうして竜神の名が付いたのかは分かりませんが、湖の雄大さが、畏れ敬う竜の住みかと信じられたのかも知れません。

 

龍神拝所。

 

 竹生島のこと

 ここで少し、竹生島(ちくぶしま)のことについて触れておきたいと思います。(以下は、彦根港で頂いた資料からの抜粋です。)

 

 「竹生島は、長浜市の沖合にある周囲2km、面積1.14㎢の琵琶湖で沖島に次ぐ2番目に大きな島です。島の名前は『(神を)斎(いつ)く島』に由来し、その中の『いつくしま』が『つくぶすま』と変じ『竹生島』になりました。」

 「また、『竹生島』という漢字は、島の形が雅楽などで使われる楽器の笙(しょう)に似ていることから付けられたという説などがあります。」

 「琵琶湖八景のひとつに数えられ、平家物語『竹生嶋詣』や謡曲竹生島』にも神秘的な美しさを秘めた島として登場し、千年を経た今日でも、その姿は人々の心をひきつけてやみません。」

 

 都久夫須麻神社の方向から順路を辿ると、もと来た船着き場に戻ります。島の南に開けた斜面をぐるりと一回りして、参拝の散策を終えました。

 

※帰路の斜面から船着き場を見下ろします。

 

 彦根港へ

 島の滞在時間はおよそ80分。来た時と同じ船に乗船し、彦根港へと戻ります。

 帰路の途で、船外に出て後ろを見ると、奥琵琶湖の険しい岬に見守られるようにして、雅な二つの峰を持つ竹生島が見えました。なんとも神秘的な姿の竹生島。古くから神が宿る島として、信仰の対象だったことに疑いを挟む余地はありません。

 

※帰路、船上から竹生島を振り返ります。