旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[甲州道中]54・・・府中宿

 府中の三宿

 

 府中の街で頂いた資料には、府中の宿場に関しての、分かりやすい記事がありました。その内容を見てみると、府中宿には、3箇所の集落があり、それぞれの集落に、宿場が置かれていたということです。

 その中で、最も古い集落は、本町と呼ばれています。その集落の大半は、甲州道中の道筋ではなく、その道と直角に交わった、相州街道に面したところにありました。後に、本町の西側に、番場宿が設けられ、最後には、東に延びる新宿が設けられたというのです。

 これら3か所を合わせると、甲州街道沿線の11町6間(約1.2km)と、相州道沿線の3町50間(約0.4km)の、かなり大きな宿場町を形成していた様子です。私たちは、番場宿から本町へ、そして、新宿へと向かいます。

 

※府中の観光案内所(だったと思います)で頂いた資料。左からの網掛け地域が番場宿、中央縦のグレー部分が本町、右方向の縦縞部が新宿。明治期以前は、||||| で描かれた、崖地(ハケと呼ぶようです)沿いに街道が通っていたとのこと。なお、地図中の「六所宮」が後に記す、大國魂神社です。

 

 府中宿

 私たちは、いよいよ、府中宿に入ります。先の宿場の日野宿から、およそ9キロ離れたところ。かつて、舟で渡った多摩川を通り過ぎ、立川・国立を通過して、ようやく府中の宿場に着きました。

 

※府中宿の中心地に迫る街道。

 この府中宿、本陣は1軒で、脇本陣が2軒あったということです。また、問屋は3軒設けられ、旅籠の数は29軒だったそう。甲州道中の宿場の中では、そこそこの規模を誇っていた様子です。

 

 番場宿

 新しい建物が建ち並ぶ、かつての府中の宿場町。途中には、道端に、石造りの説明板がありました。そこに書かれていたのは、「番場宿」の説明です。冒頭で記したように、ここ府中の宿場には、3箇所の集落があり、それぞれに、旅籠など宿場の施設がありました。番場宿は、そのひとつ。府中の宿場の西の部分にあたります。

 

※石造りの番場宿の説明書。

 

 高札場

 府中の街を、東へと進んで行くと、次第に、宿場町を感じさせる街並みへと変わります。右側には、立派な木造の長塀が現れて、その先は、古くからの門のような建物です。

 

※左、木造の立派な塀が連なります。右、交差点を過ぎた後、西向けに見た街道と高札場跡。

 

 府中市役所前交差点の一角にあるこの建物、かつて、高札場が置かれたところです。近づくと、今も、高札が掲げられた構造物がそのままの姿でありました。

 高札場の近くに置かれた説明板の内容を、少しだけ紹介したいと思います。

 

 「江戸時代に、禁制・法令等を伝えるために掲げた板札を高札といいます。高札は交通の多い場所などに掲げられましたが、このような場所は高札場と呼ばれます。府中高札場は、甲州街道、川越街道、及び相州街道*1交差する府中宿の中心を占める場所でした。・・・この高札場の建物に関しては、江戸時代後期から末期にかけての年代が推測されています。」

 

 府中宿の二つ目の宿場町である本町は、この交差点を南北に通っている、相州街道の道沿いにありました。今は、道幅は広がって、往時の面影はありません。

 私たちは、府中宿の中心地を通り過ぎ、さらに東へと向かいます。

 

※高札場。

 大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)

 高札場を過ぎた後、道沿いは、大きなビルが増していき、道幅も、少し広がった感じです。道路には、歩道も整備され、市の中心地に近づいた様子です。

 ただ、一方で、右前方には、緑の森が現れます。よく見ると、立派な神社があるようです。厳かな雰囲気のこの敷地。木々の緑を眺めながら進みます。

 

大國魂神社の境内を右に見て進みます。

 

 一区切り

 しばらくすると、神社の大鳥居前の交差点。ここを左に向かっていくと、京王線府中駅があるようです。

 私たちの街道歩きは、ここで一旦一区切り。この日は、府中駅から宿泊地へと移動して、翌日再び、続きの道を歩きます。

 この日は、八王子の宿場から、日野宿を経て府中まで、およそ15キロの行程をつなぐことができました。

 

 翌日

 次の日は、運悪く雨模様。雲の様子を確かめながら、少し遅めの出発です。

 まず、府中宿に立ち戻り、街道歩きを始める前に、大國魂神社の参拝です。

 

大國魂神社の大鳥居と参道。

 

 国府

 鳥居をくぐると、参道は、真っ直ぐに、奥の方へと続いてます。木々が覆う道筋は厳かで、正面には、立派な門が構えています。

 途中、参道の右側には、この場では、似つかわしいとは思えない、コンクリート造りの建物がありました。そして、その建物前には、「国史跡 武蔵国府跡」の石碑です。武蔵の国の国府の場所が、この神社の境内にあったということを、この時初めて知りました。

 参拝の途中で知ることになった国府跡。コンクリートの建物は、その歴史を語り継ぐ「ふるさと府中歴史館」と名付けられた、貴重な学習施設だったのです。

 

国府跡の石とふるさと府中歴史館。

 

 私たちは、さらに奥へと歩みを進め、本殿で参拝です。立派な大屋根の建物は、国府に置かれた、歴史ある神社の威容を放っています。

 

大國魂神社

 

 新宿へ

 参拝を終え、神社前へと戻った後は、歩き旅の再開です。高層ビルが立ち並ぶ、府中の街を、新宿(府中宿にあった新宿)方面へと向かいます。

 

大國魂神社前から東に向かう街道筋。

 

*1:鎌倉街道とも呼ばれているようです。