旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]6・・・水口宿から土山宿へ(前編)

 水口の街

 

 水口(みなくち)は、甲賀市の中心地。以前は、水口町として町制が敷かれていましたが、平成の大合併で市政へと移行して、ここに市役所などが置かれることになりました。

 市街地の中心部には、水口城の城跡が残っているということで、城下町の面影が色濃く残る街中です。水口はまた、東海道の宿場町としても発展し、城と宿場の2つの歴史遺産を支えます。

 それでも、町並みは少しずつ変容している様子です。新しい街への流れは、止めることは困難ではありますが、少しでも、歴史の面影を残してほしいところです。

 

 

 水口石

 林口の一里塚を左に見て、水口の街中を巡る街道を歩きます。途中、”水口石”と記されたコンクリート製の案内が角地に置かれ、その裏側に、重そうな力石(ちからいし)の姿が見えました。

 案内には、「小坂の曲がり角に伝えられる大石で力石とも呼ばれる」、との表記です。力石は、東海道を歩いていると、所々で目にします。その昔、力試しに用いられたとも伝えられる大石です。

 この付近は、水口城のすぐ傍で、右に進むと、城跡があるようです。私たちは、城跡を見ることなく、街道を先へと進みます。

 

f:id:soranokaori:20201201143946j:plain
f:id:soranokaori:20201201144024j:plain

※左、水口の街筋。右、小坂の曲がり角と力石の案内。案内板の後ろに力石がありますが、残念ながら標石で隠れています。

 

 石橋辺り

 街道は、城から遠ざかるようにして、水口石の角を左へと向かいます。そして、その先を右折です。しばらく住宅地が続いた後、今度は、もう一度クランク状に右折、左折をする道筋に。

 ここまでの街道は、宿場町としての面影が感じられるところはありません。わずかに、城下町の雰囲気が残っているところもありますが、住居が連なる、どこにでもある街中の道という印象です。

 そして、石橋と呼ばれる辺りに来ると、ようやく、宿場町らしい雰囲気の建物が見えました。この建物は、「ひと・まち街道交流館」という市が設置した施設のようで、観光案内所のようなところです。*1

  

f:id:soranokaori:20201202160818j:plain

※ひと・まち街道交流館。

 交流館を左に見て先に進むと、小さな鉄道の踏切が現れます。この鉄道は、近江鉄道と呼ばれるローカル線で、JR琵琶湖線米原駅とJR草津線貴生川駅を結んでいます。

 踏切のすぐ近くには、水口石橋駅という無人駅があり、街道歩きをつないでいくのに便利です。私たちは、この駅と貴生川駅とを利用して一旦自宅に引き返し、次の機会に、再び水口石橋駅から土山宿へと向かう行程を組みました。

 

f:id:soranokaori:20201202160856j:plain
f:id:soranokaori:20201202160940j:plain

※左、石橋の近江鉄道踏切。右、踏切のすぐ先にある三筋の広場。

 

 三筋の通り

 しばらく時間が開いた後、前回街道歩きを切り上げた水口石橋駅に戻ってきたのは数週間後のこと。近江鉄道の石橋踏切から歩き旅の再開です。

 

 水口石橋の踏切を渡ると、その正面に、からくり時計が見えました。この辺りは、小さな広場のようになっていて、三筋の広場と呼ぶそうです。その名の通り、ここから先、道は3本の通りに分かれていて、並行した3本の道が1Kmほど続きます。

 三筋の広場から、再び3本の通りが合流するところまでが、水口宿の中心地。往時は、随分と賑わっていたことでしょう。

 

 水口宿

 3本の通りの中で東海道のメインの道は、やはり真ん中の道。今では、宿場町の面影はそれほど残っていませんが、所々に石標や修景された建物などが配置され、宿場の様子がほんのりと味わえる道筋です。宿場町の中心地付近には、再びからくり時計が設置され、その隣には古風な建物の休憩所がありました。

 

f:id:soranokaori:20201202163217j:plain

※大池町のからくり時計と休憩所。

 この先は、少し趣ある街道に変わります。板塀や格子戸の建物が点在し、瓦屋根が続く景観は、落ち着きある空気を漂わせます。

 やがて三筋の通りは1本の街道に収れんし、水口宿を通り抜ける辺りには、高札場跡を示す案内がありました。

 

f:id:soranokaori:20201202161116j:plain
f:id:soranokaori:20201202161238j:plain

※左、水口宿の様子。右、高札場跡。

 高札場跡のすぐ先は、本陣や脇本陣跡を示す案内板なども目に止まり、その先で、街道は秋葉の集落に入ります。

 どちらかと言うと、本陣などの主要施設は宿場の中ほどにあることが多いように思います。ところが、水口宿は東の外れに近い位置。城下町にある宿場ということで、できるだけ城下から離れた場所が選ばれたのかも知れません。

 

 そして、街道は、徐々に宿場を離れる気配です。途中、木製の標柱が印象的な、小さな公園がありました。そこは東見附跡ということで、宿場の東の境です。

 

f:id:soranokaori:20201202161326j:plain
f:id:soranokaori:20201202163241j:plain

※左、水口宿脇本陣跡。右、東見付跡。

 

 土山へ

 水口宿を後にして、東へと向かいます。この先も、幾つかの集落が現れて、旧東海道の道筋が残る街道が続きます。かつては松並木があったと伝える石碑なども目に止まりましたが、今はこの辺りには並木道はありません。

 集落内の住宅や小さな畑地などを眺めながら進みます。

 

f:id:soranokaori:20201202161508j:plain
f:id:soranokaori:20201202161541j:plain

※左、土山への道。右、松並木があったと伝える案内版。

 街道は、昔のままの道筋を残して、土山の宿場へと続きます。

*1:施設の中には、曳山の展示などもあるようです。