土山へ
東海道は、その昔、伊勢神宮の参拝に向かう旅人も利用した街道です。有名な「東海道中膝栗毛」は、”やじさん・きたさん”の伊勢参りの道中記。江戸から伊勢を目指す道中の出来事を綴ったお話です。
一方、京の都から伊勢神宮に向かった一行で有名なのは斎王です。古くから、天皇の即位に合わせて伊勢神宮に派遣され、天照大神に仕える役割を命じられました。斎王という重責を背負った未婚の皇女が、都から遥か離れた伊勢の地を目指して旅する姿を想像すると、どこか悲しくも感じてしまします。
垂水頓宮
野洲川に架かる歌声橋を渡った後、街道は、野洲川とはお別れです。今度は、田村川沿いの平地を伝って土山宿へと向かいます。
歌声橋の前後の道は、前回も少し触れた通り、本来の東海道ではありません。私たちは、野洲川を渡るため、新しく作られた道を通ります。本来の東海道は、今歩く道より上流です。弓なりに大きく迂回して、松尾の渡しで野洲川を渡り、土山宿へと入るのです。
この迂回路の途中には、頓宮(とんぐう)と呼ばれる地名が残り、今も垂水頓宮跡という史跡も残っています。甲賀市の観光ガイドには、この頓宮について次のようにつづられています。
「天皇が即位するたびに伊勢神宮に奉仕する未婚の皇女・・・を斎王といい、その一行が都から伊勢斎宮まで5泊6日の旅へと御出駕されます。この旅を斎王群行(さいおうぐんぎょう)といい、その一つの宿泊所が頓宮です。・・・」
今では、5泊の宿泊所がどこにあったのか、この垂水頓宮以外にははっきりとしていないとする説明もあるようですが、それほどこの土山の地は、斎王群行に関して貴重な場所だと言えるでしょう。
天皇から命じられ、伊勢の地へと向かう斎王が東海道を通ったことは、今も土山に残る史跡や地名からも分かります。土山ではこの斎王を偲び、毎年3月には、「あいの土山斎王群行」の行事が行われているということです。
※垂水頓宮跡。東海道歩きとは別の機会に撮った写真です。
土山宿へ
野洲川を渡った後は、国道1号線の歩道を少し歩いて、左手に見えるJAの建物の先で国道を横断します。その後、集落内の細道を辿ると十字路に行き着いて、左から右へと延びる本来の東海道に合流です。
※歌声橋を渡り、土山宿に向かう現在の道(国道1号線)。本来の東海道は国道の左手奥を迂回しています。正面右のベージュの建物がJAです。
東海道との合流点を右折して東海道に入った後は、すぐにまた、国道1号線と出会います。土山宿は、その先の南土山交差点で国道から離れ、斜め右方向に進んだところから始まります。この先は、旧道がよく残っていて、今も宿場町の面影を味わえるところです。
水口宿からここまでは、およそ11Km。宿場の入口には、大きな地図が掲げられ、土山宿の案内が詳しく記されていました。
※土山宿の案内板。濃い色の道が東海道。右が京で左が江戸方面です。
土山宿
土山の宿場の入り口辺りは、木造の民家が軒を連ねる普通の集落の景色です。その後、小さな川を渡って街道が左に大きく曲がっていくと、次第に町の様子が変わります。
視線の先には、板塀の屋敷や格子窓の建物などが現れて、歴史を感じる町並みが広がります。
※宿場内の様子。
宿場町の中央辺りが、最も宿場町の面影が残されたところです。本陣跡やその周辺には、由緒ある建物が残っている他、修景も良く施され、宿場町としての情報発信に力が入れられている様子です。
本陣跡の近くには、東海道伝馬館という資料館のような建物もあるようで、土山宿を保存整備していこうとする熱意を感じます。
※左端が近江屋跡、中央辺りが本陣跡。
東海道を京都三条から歩いてくると、大津・草津・石部・水口の4つの宿場町を経て土山宿に至るのですが、これまでの宿場の中では、最もよく、宿場町の面影が残されているところです。
それだけではなく、この先の街道を含めても、土山の宿場は5本の指に入るほど、往時の姿を良く残した宿場町と言えるでしょう。
※左、土山宿の東のはずれ。右、土山から鈴鹿へと向かう起点の田村神社(正面)。
土山宿から鈴鹿へ
本陣がある宿場の中央辺りを通り過ぎ、東へと進んで行くと、また普通の集落の風景に戻ります。そして、宿場町のはずれには、石のモニュメントや街道の案内板、公園などがありました。
この公園から街道を挟んだ向かいには、”道の駅 あいの土山”の建物です。小さな道の駅ではありますが、国道1号線の沿線にあり、鈴鹿峠に向かう前の絶好の位置。私たち、歩く者には当然ながら、車でも、休憩場所としてよく利用されているようです。
道の駅から国道1号線を挟んだ反対側には、田村神社が鎮座して、東海道はこの神社の敷地に吸い込まれながら鈴鹿の方面へと向かいます。
ちなみに、この道の駅には、甲賀市が運営するコミュニティーバスの停留所もあって、歩きつなぐ節目としても便利なところです。このバスは、JR草津線の貴生川駅を起点とし、水口や土山の大野などを通過しながら道の駅に至ります。道の駅のバス停の名称は田村神社前。ここからさらに鈴鹿の方へと向かう便もあるようです。
※道の駅。
鈴鹿峠へ
私たちは、一旦、道の駅で行程を区切り、数週間後に再びこの地に降り立って、鈴鹿峠へと向かいました。