日坂宿と二の曲り
東海道53次の宿場町、25番の日坂宿(にっさかじゅく)は、広大な牧之原台地の西にあり、台地を挟んだ東の位置に、次の宿場の金谷宿(かなやじゅく)が控えます。
台地を挟んだ東西の宿場の間は、7Kmほどの距離ですが、厳しい坂道が続きます。
歩くまでは、それほでも無いのでは、と高をくくっていましたが、日坂宿を後にして、二の曲りに差し掛かってみると、たちまち、その凄さを思い知ることになりました。
東海道の難所のひとつは、一気に私たちの体力を奪います。
事任八幡宮
前日に歩みを止めた、八坂橋のバス停に舞い戻り、その先の日坂の宿場に向かいます。街道は、山が迫り、右手には、事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)を包みこむ、深遠な森が広がります。この神社のご利益は、名前の通り、”ことのまま”願い事が叶う神社だそうで、古くから人々に親しまれていたということです。
※日坂への道。右手が事任八幡宮。
日坂宿へ
神社前を過ぎたすぐ先で、街道は、県道から左にそれる旧道に入ります。この交差点の角地には、事任八幡宮の駐車場がありました。街道は、この駐車場を右に見て、山裾の道に進みます。
遠方には、高架の道路が見えますが、これは国道1号線。その先が、牧之原の大地を目指す、二の曲がりがある丘陵です。
※旧道へ。右奥方向が県道です。
旧道は、すぐに右方向に大きく曲がり、その先を真っすぐ進むと日坂の宿場に入ります。
宿場町の入り口は、新しく建て替えられた住宅が連なりますが、道の幅は次第にせばまり、往時の街道の面影を感じます。
※日坂宿の入り口辺り。
日坂宿
街道が、逆川に差し掛かったところから、少しずつ道の傾斜が強まります。橋の欄干は木製で、しっとりとした雰囲気です。
橋を渡った左手には、高札場の跡があり、その先は、宿場町の面影が偲ばれるような道筋です。両側から山が迫り、谷あいを、緩やかに曲線を描きながらの上り道。由緒ある木造の建物も目に入ります。
※逆川の橋。
坂道を少し上ると、道は大きく左方向に曲がります。その曲がり道の辺りには、「川坂屋」という旅籠の建物がありました。
石積みの基礎の上に、黒々とした板壁の大きな家屋が印象に残ります。日坂宿は、1852年に大火に見舞われたということで、「川坂屋」の建物は、その後に建て替えられた建物です。
※川坂屋(右)と日坂宿。
日坂宿は、大半が新しい建物に建て替えられてはいるものの、旅籠など、幾つかの歴史的な建物も残ります。中には、手を加えずに、江戸時代の姿をそのまま残すものもあり、宿場の香りが程よく漂うところです。
叶うなら、数十年ほど遡った時点でこの町を保存できれば、さぞ素晴らしい、伝統的な景観が味わえたのではないかと思います。
本陣跡
宿場町の後半には、本陣跡を示す門構えが残ります。その奥は、広場のようになっていて、建物はありません。
道沿いの木枠には、日坂宿の概要を記した案内と宿場付近の案内図がありました。
※左、本陣跡。右、案内板。
宿場の概要
宿場の案内板に記されていた内容は、概ね以下の通りです。
日坂は、東海道三大難所の一つ「小夜の中山峠」西の麓に位置し、西坂、入坂、新坂とも書かれていました。
東海道の整備にともない、問屋場が設けられ、伝馬の継ぎ立て駅としての日坂宿は、重要な存在になりました。
天保14年(1843)の記録によれば、家数168軒、人口750人とあり、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠屋33軒がありました。大井川の川止めや大名の参勤交代などで、小さな宿場ではありましたが、かなりの賑わいであったと思われます。
宿場の東口から西口までの距離は、およそ6町半(700メートル)、町並みの形態は現在もあまり変わっていません。
およそ、以上のような内容が記された、案内文を読んだ後、宿場の東のはずれへと向かいます。
二の曲り
日坂の宿場を過ぎると、すぐに県道415号線が街道を横切ります。この道を横断した後、今度は、その先に見える国道1号線の高架下に向かいます。街道は、つづら折れの坂道を進みながら、高架下をくぐります。
※坂道を進み、その先で、左の高架下をくぐります。
国道下を通った後は、道は急坂に変わります。道幅もさらに狭まり、古くからの街道筋の様子です。
急坂の入り口付近の右側には、安藤広重の浮世絵が掲げられ、かつての街道の坂の様子が窺えますが、この浮世絵を愛でる間もなく、壁のようにそそり立つ坂道へと向かいます。
※二の曲り。右が浮世絵。
急坂を少し上ると、下には国道1号線。その先に、谷間に広がる、日坂の集落が見渡せました。
※国道1号線と日坂の町。
小夜の中山峠へ
二の曲りの急坂は、思っていたほど簡単な道のりではありません。それこそ、あまり経験したことが無いような坂道です。
中山道の鳥居峠や和田峠などの難所の道は、それこそ予め、心構えをして臨んだために、その厳しさは織り込み済みのことでした。ところが、今回の牧之原の台地越えは、まさに、イメージトレーニングの欠如という他ありません。
この日の行程は、まだ始まったばかりです。いきなり、試練の道となりました。
※牧之原台地の峠を目指します。
急坂は、時に、鬱蒼とした山道にもなりながら、この先、延々と続きます。