甲州へ
街道は、信州から甲州へ。戦国の世に、武田信玄が治めた領地、甲斐の国に入ります。山々に囲まれた甲州盆地。かつては、八ヶ岳の裾野に広がる扇状地を利用して、桑畑の産業が盛んだったようですが、近年は、ぶどうや桃など、果実栽培が主流です。
八ヶ岳や南アルプスなどの、深い山から流れる水は、この盆地に、かけがえのない恩恵をもたらしてきたのです。
恵みをもたらす豊かな水。一方では、均衡が崩れると、洪水などの災害をもたらします。田畑が削られ、財産を奪われなながらも、自然の脅威に立ち向かい、人々は、今日の発展を築き上げてきたのだと思います。
堤防の道
国道に戻った街道は、その先で、もう一度、右側の旧道に入ります。砂利道を進んで行くと、曲がり角には、例によって、何体かの石仏などがありました。
道は、この辺りから、釜無川の堤防道に変わります。近くでは、河川工事が進行中。治水工事は、間断なく、進められているのでしょう。
※釜無川の堤防に入った街道。
この先、少しの間、堤防の道を歩きます。主要河川の堤防とは思えないほど貧弱ですが、今後、さらに工事が進み、頑丈な堤が建造されていくのだと思います。
※釜無川堤防を進む街道。
道は次第に細くなり、国道に近づきます。ところが、その先で、行き止まり。砂利を積んだ事業所が、街道を取り込んでしまっているのです。
地図や資料を確認しても、確かにこの先は、街道のルートです。詳しくは分かりませんが、公道が途切れてしまった現実を見て、不快な気分になりました。
※砂利が積まれた事業所の横を通ります。
私たちは、畦道をたどった後で、国道の法面を這いあがり、何とか、国道に戻ることができました。
蔦木宿へ
国道の歩道の道は、しばらく先で、2方向に分かれます。ひとつは、これまでの延長線。国道の車道と一体化した歩道です。もうひとつは、斜め右に延びて行く、あぜ道のような細道です。
街道は、右側の細道に入ります。
※蔦木宿入口の街道。(斜め右方向の細道)
細道を、村の中へと進んで行くと、辺りの様子は、宿場町に近づいた雰囲気に変わります。道端には、歳を重ねたケヤキの古木。これは、「川除古木」と言うそうで、かつて、釜無川の氾濫による水害から、蔦木宿を守るために築かれた、「信玄堤」に植えられていたということです。
この古木の解説は、横に置かれた説明板に記されているのですが、文字がかすれて、はっきりと読み取ることができません。この程度の内容しか、お伝えできず残念です。
※川除古木。この辺りが宿場の入口です。
蔦木宿(つたきじゅく)
先の宿場、金沢宿から13Km。私たちは、ようやく、蔦木の宿場に到着です。辺りは、古い民家が点在し、どことなく、歴史を感じる光景です。宿場町を連想させる建物などはないものの、石碑や古木の存在が、郷愁を誘います。
※枡形道址の石碑。
国道沿いの宿場町
旧道は、かぎ型に屈折した後、国道20号線に戻ります。その先は、国道沿いに、宿場町が続きます。
蔦木宿は、江戸の終わりの時代には、1軒の本陣と15軒の旅籠があったということです。東海道の宿場町と比べると、随分と、その規模は小さいように思えます。甲州道中を往き来する旅人は、それほど多くはなかったと、言えるのかも知れません。
※左、国道沿いの蔦木宿。右、古い構えの建物。かつての屋号が掲げられています。
街道沿いには、ところどころに、歴史を感じる建物が残っています。そのような建物には、かつての屋号が掲げられ、宿場町の名残りを伝えています。
※「斗枡(とます)屋」の屋号の建物と蔦木宿。
本陣跡
国道を歩いて行くと、左側には、立派な庭木が植えられた、由緒ありそうな一角が。そこには、幾つかの石碑とともに、木造の立派な門も見られます。
ここは、蔦木宿の本陣跡。今は、写真のとおりの状況ですが、かつてはここに、立派な屋敷があったのでしょう。厳かな空気が漂う、本陣前を通り過ぎ、先の道を急ぎます。
※本陣跡。
宿場町のはずれ
街道は、その先で、宿場町の南の境を迎えます。「三光寺」という寺院前を過ぎた後、左手の、南桝形跡に入っていくと、そこが、江戸側の出入口。そこからは、少しの間、旧道が続きます。
※左、三光寺前。右、南桝形への入口。
道の駅
旧道は、国道から、少し山手の道を通ります。およそ500m続くのですが、時は昼時。何とか昼食にありつかなければなりません。私たちは、この間は、旧道から少しはずれて、そのまま、国道伝いに歩くことにしたのです。
その理由は、丁度、旧道の中間辺りの国道に、「道の駅 信州蔦木宿」があるからです。旧道から、道の駅へは直接向かうことができません。そのために、やむなく、このルートを選択した次第です。
道の駅は、釜無川の谷の傍に設けられ、広々とした駐車場を備えています。私たちは、何とか昼食にありついて、休息の時間を取ることができました。
※道の駅信州蔦木宿。街道は、左端の崖の上を通っています。
旧道の出口
道の駅を出た後は、もう少し、国道の歩道を歩きます。そして、先ほどの旧道が、左側から国道につながります。
この旧道、眺めて見ると、何となく、趣きがある道筋です。少しだけ、その様子が見たくなり、逆走をすることに。
※旧道の急坂に置かれた石仏群。
旧道は、かなりの急勾配。カーブを描きながら、国道に接続します。途中には、たくさんの石像が並んでいて、そのすぐ隣りには、日蓮聖人の高座石。かつて、聖人が、身延からここを訪れ、加持祈祷を行ったという、謂れのあるところです。
※日蓮聖人高座石。
旧道らしい道の空気を味わって、私たちは、国道へと戻ります。
国境
国道をしばらく進むと、下蔦木の交差点。ここを左折すると、中央自動車道路の小淵沢のインターです。旧道は、反対の右側ですが、その先は、どうも通行止め。やむなく、そのまま、国道の歩道を直進します。
※下蔦木交差点。
国道を歩いて行くと、やがて、釜無川に架けられた、新国界橋(しんこっかいばし)を迎えます。名前の通り、ここが、長野と山梨の県境。
元々は、下蔦木交差点を右折して、もう少し上流で、釜無川を越える橋が国境だったのだと思います。今は、国道の橋を渡って、山梨県に入ります。
※国道に架かる新国界橋。
写真では、”富士川”との表示ですが、本来は、この位置は、まだ釜無川だと思います。
私たちの街道歩き、いよいよ、信州の街道を終え、甲州の道中に入ります。
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