旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[熊野古道]4・・・大門王子から十丈王子へ

 森の道

 

 高原(たかはら)の集落から先の中辺路は、牛馬童子口(ぎゅうばどうじぐち)までの間、そのほとんどすべてが、深い山の中を通っています。およそ8Kmも続く森の道。途中から、民家も途切れ、鬱蒼と茂る木々の間を縫うように、細い道を辿るのです。

 この区間は正念場。向かう先の牛馬童子口のバス停から、この日の出発地点である、滝尻王子に戻るため、バスの時刻を考えながら、歩様の速度を調整します。

 

 

 里から森へ

 高原霧の里(たかはらきりのさと)の休憩所から、少し戻って、三叉路を左に折れる細い道に入ります。この三叉路の所には、熊野古道の案内標識があるために、道を誤ることはありません。

 ただ、ここから先の道筋は、再び急勾配の坂道です。途中、石畳風の趣ある通りもありますが、ただでさえ、疲労が蓄積した体には、辺りの情景を味わう余裕はありません。

 

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※急坂が続く石畳の道。

 

 急坂の道筋には、民家などが点在します。中には、茶店などもあったでしょうか。熊野古道世界遺産に登録されてしばらくは、多くの人で賑わっていたのかも知れません。今は、行き交う人もほとんどなくて、ひっそりとしています。

 やがて、集落を離れると、少しなだらかな道に変わります。その一方で、奥深い山の中に向かうような、不安が募る空気感が広がります。

 

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※古道は、ここから山の中に入ります。

 

 一里塚

 この先、7Kmほどの区間には、人里や民家などはありません。緊急の場合には、どころに置かれている、古道の案内標識が頼りです。そこには、通し番号が書かれているため、その数字を携帯電話で知らせることで、位置情報を確認することになるのです。

 

 山の道は、再び急勾配へと変わります。山の中に分け入る場所には、一里塚跡の石標と、四阿風の休憩所がありました。

 熊野の道の一里塚。少し不思議にも思いましたが、その昔には、古道に沿って一里塚が設けられていたようです。

 

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※一里塚跡。

 

 一里塚跡の石標は、それほど古いものではありません。側面には、和歌山からの里数の表示もありました。

 私自身は、この一里塚跡を見るまでは、熊野古道の各所にある「〇〇王子」が、一里塚のような役割も果たしていたのだと、思い込んでいたものです。ところが、「〇〇王子」は、旅の安全を祈願する神聖な施設であって、一里塚は、五街道と同様に、距離を刻む目印として、この熊野の地にも設けられていたのです。

 

 大門王子へ

 ここから先は、杉林が延々と続く山の道。勾配も緩まることなく、試練の歩みの区間です。私たちは、当面の目標地点、大門王子へと向かいます。

 一里塚跡を後にして、およそ30分ほどが経ったでしょうか。右側に、神秘的に水を湛えた、池の姿が見えました。この池は、高原池。人工の溜池のようですが、何とも不思議な光景です。

 この池の少し先には、大門王子があるはずです。もう一息、力を振り絞って進みます。

 

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※高原池。

 

 大門王子

 高原池の脇を過ぎると、道は急勾配の階段状の道に変わります。足には、かなりの負担が加わりますが、ペースを崩さず歩きます。

 一気に急坂を登り進むと、やがて、右方向に、大門王子の標識と朱塗りの社が見えました。

 

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※大門王子。

 

 大門王子の謂れについては、入り口の青色の説明板に、次のような記載がありました。

 

 「この王子は、中世の記録には登場しません。王子の名の由来は、この付近に熊野本宮大社の大鳥居があったことによるものと考えられます。鳥居の付近に王子社が祀られ、それにちなんで大門王子と呼ばれたのでしょう。」

 

 今はもう、鳥居の跡は見られませんが、この奥深い山の中にも鳥居があったとは、想像もできません。

 

 十丈王子へ

 大門王子を過ぎた後、しばらくは、急な坂道を登らなければなりません。その後、道は比較的平坦になりますが、相変わらず、杉の植林が無限に連なる山道です。

 

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※杉野植林の中を、十丈王子へと向かいます。

 

 大門王子を後にして、およそ40分ほどの道のりを、淡々と歩き進むと、山の崖地の一角が、少し開けた場所に到着します。

 この開けたところの片隅に、重點(十丈)王子跡の標識と案内板がありました。

 

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※十丈王子跡の標識。

 

 十丈王子

 十丈王子跡の説明板には、十丈王子の由来などが書かれています。

 

 「この王子社は十丈峠にあり、現在は十丈王子と呼ばれています。しかし、平安・鎌倉時代の日記には、地名は重點(じゅうてん)、王子社名は「重點王子」と書かれています。・・・江戸時代以降、十丈峠、十丈王子と書かれるようになった理由ははっきりしません。かつてこの峠には、茶店などを営む数軒の民家があり、明治時代には王子神社として祀っていましたが、その後下川春日神社(現、大塔村下川下春日神社)に合祀され、社殿は取り払われました。」

 

 この辺りには、その昔、茶店や民家、さらには、社殿までもが建てられていたということで、少し開けた感じの土地の様子を見ていると、往時の様子が浮かんでくるような気がします。

 説明では、峠の位置とはされていますが、この先、再び上り坂が続きます。

 

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※十丈王子跡から峠道へ。

 

 次に目指すところは、大坂本王子です。この日は、大坂本王子の先にある、牛馬童子口のバス停留所が目標地点。あと一息の行程を進みます。