旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[熊野古道]2・・・中辺路

 熊野

 

 熊野の地が、信仰の対象であるのなら、いったい熊野とは何なのか。その名はどこからきたものなのか、興味は尽きることはありません。

 また、各地に伝わり、地域の中で祀られる熊野神社を思うとき、熊野信仰の大きな力を感じます。

 熊野の地は、もともと、自然崇拝の対象の場であったようですが、そのこと自体は、日本全国どこにでもあったこと。やはり、熊野が神聖な土地になったのは、都に近く、皇族たちの信仰が、大きな影響を及ぼしたのだと思います。

 険しい山間の地形のことを、”いや(祖谷)”とか、”ゆや”と、表現されているようですが、熊野の地は、まさにそのような、深い山々が広がるところ。”ゆや”は、(熊野)と表記され、訓読みの”くまの”になったという説は、説得力があるように思います。

 一方で、アイヌ語のカムイ(神)”kamui”が、クマ”kuma”に転じたという説も、あながち間違いでは無いような気もします。

 様々な謂れが残る熊野の名。その由来を想像しながら、悠久の歴史の道を進みます。

 

 

 胎内くぐり

 滝尻王子を出発してから、最初の目標とする場所は、胎内くぐりの巨石です。中辺路の出だしの道は、険しい山中の急坂で、少しの距離でも体力を奪われます。胎内くぐりの地点まで、僅か15分ほどの道のりですが、息は切れ、足には力が入りません。

 ようやくその地点に辿り着くと、早々に、熊野古道の厳しさを痛感したものでした。

 

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※胎内くぐりの巨石。

 

 胎内くぐりの由来については、巨石の傍の説明板に、次のような記載がありました。

 

 「熊野への道が潮見峠超え(ママ)に改まって、室町時代からこの剣ノ山を登る熊野参詣者はなくなった。しかし、土地の者は、春秋の彼岸に滝尻王子社に参り、そこで竹杖を持って山路を登り、この岩穴をくぐって山の上にあった亀石という石塔に参ってきたといわれる。この岩穴を抜けるのを胎内くぐりといい、女性がくぐれば安産するという俗信がある。」

 

 この説明を読む限り、私たちが今歩いている熊野古道は、室町以前の古道です。潮見峠は、この道から、富田川を挟んだ西にあり、室町からの道筋は、少し離れたところを通っていたのかも知れません。

 

 私たちは、胎内くぐりに挑戦してみましたが、出口が極端に狭いため、リュックを下げての潜り抜けはできません。今更安産でもないものか、と、潜り抜けを諦めて、先を急ぐことにしたのです。

 

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※胎内くぐりの説明板と、巨石(奥に見えます)。

 不寝王子(ねずおうじ)

 山道は、勾配の緩急を繰り返し、さらに山の峰へと続きます。次の目標地点は、不寝王子。熊野古道の道中は、王子から王子へと踏み進む山道です。節目の地点を目標に、少しずつ、神聖な信仰の地へと向かいます。

 木々に覆われ、細く続く坂道は、尾根伝いにどこまでも続きます。湿度が高く、急激に体力を奪われるような道中です。

 胎内くぐりの巨石から、10分ほどが経ったでしょうか。ようやく、不寝王子の石標が目に入り、ほっと一息、安堵の心地になりました。

 

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※左、不寝王子への道。右、不寝王子。

 

 不寝王子のことについては、石標の傍に置かれた、青色の案内板に記されていましたが、鎌倉の時代などには、この王子の記録は無く、よく分かっていないということです。今は、滝尻王子に合祀されているとのことで、不寝王子の社などはありません。僅かに、小さな木の置物が、寂し気に旅人を見守っているだけです。

 

 剣ノ山へ

 心細くなるような、急坂の山道は続きます。道を誤り、遭難の恐怖心も頭をかすめるような道筋です。

 ところどころに置かれている、道標だけを頼りにして、上へ上へと進みます。

 

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※尾根状の上り坂の熊野古道

 

 急坂が少し緩まった所には、剣ノ山経塚跡の案内表示がありました。経典を筒に入れ、壺に納めて地中に埋めたところ、とのことですが、詳しくは分かりません。今では、中辺路を辿る旅人の、一つの目標地点です。

 経塚跡を越えた先、道はやや緩やかな状態が続きます。ここまでの坂道は、心が折れそうになるぐらい、大変な急坂だったため、この辺りは本当に、ありがたい区間です。

 

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※緩やかな崖地の道。

 

 地蔵尊

 私たちは、相当な標高の位置に来たらしく、木々の先には、深い谷間の景色も見え隠れする状態に。そして、しばらくすると、山の中に分け入るように設けられた、細い自動車道路に出くわします。

 熊野古道は、この道路を横断し、再び、向かいの森の中に入るのです。

 

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※左、左下には、谷間の景色が見えています。右、自動車道路を横断です。

 しばらくの間、自動車道路の脇にある、森の中の尾根道を歩きます。この間は、明るい日差しも差し込んで、心細さは緩みます。その後、見上げてみると、針地蔵尊の案内が見えました。

 古道の右の傾斜の上には、祠のような建物があり、どうもそこにお地蔵さまがおられるような感じです。

 

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※針地蔵尊の案内と、地蔵様の祠。

 

 せっかくの、中辺路の道中です。私たちは、地蔵尊に立ち寄って、旅の安全を祈ります。

 祠に上ると、そこには、3体のお地蔵様。素朴ではあるものの、静かに、来る人を見守っておられる様子です。

 

   みゆきみち ゆき交う人を 守らんと 深き情けの 仏なりけり

 

 お地蔵様の後ろには、こんな歌が書かれています。針地蔵尊という名から想像すると、針や縫物にも関係しているのかどうか。謂れについては分かりませんが、傍には、新しい花や供え物も置かれていて、地域の方の信仰深さが窺えたものでした。

 

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※針地蔵尊

 

 私たちは、地蔵尊で手を合わせ、中辺路の道をさらに奥へと進みます。