旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[熊野古道]3・・・高原と深い森

 山里

 

 緑深い山々が、幾重にも続く熊野の土地は、人々が暮らすには、余りにも厳しいところだと思います。過酷とも言えるほどの、原生的な自然の力は、畏敬の念を抱かせるほど圧倒的で、神聖です。

 それなのに、この峰のところどころに集落があり、人々の営みが見られます。どうして、このようなところに人が住むようになったのか。不思議という他ありません。

 かつて、中辺路町を訪れた時、昭和の時代に知識人として活躍された、イーデス・ハンソンさんが、この地に暮らしておられると聞いたような気がします。わざわざ、海外から来られた人が、日本の熊野の、このような奥深い山に暮らすとは、何とも信じられない気持ちになりました。

 山を畏れて、自然とともに生きていく。豊かな山は、清流を守りながら、多様な命を育んでいるのです。自然の力をこよなく愛する人たちは、今も、熊野の峰で、大切な時間を刻んでおられるのだと思います

 

 

 高原へ

 熊野古道は、針地蔵尊を過ぎてから、少し急な坂道になりますが、その先は、比較的緩やかな道に変わります。古道の左下の谷間には、富田川が流れていて、その川伝いには、幾つかの集落が点在します。

 かつての中辺路町の中心地、栗栖川の集落も、山間に僅かに開けた平地の中に、ひとつの町をつくっています。

 

 古道は、この先、谷間の集落を見下ろしながら、高地に開けた高原(たかはら)の集落を目指します。

 道中には、お地蔵さんなども見受けられ、山に暮らす人々の、古道への思いが伝わるようなところです。

 

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※古道沿いのお地蔵さん。

 

 星空の宿など

 森の道を進んで行くと、やがて、少し開けた場所に出てきます。その先は、民家のような建物があり、奥には、幾つかの民宿がありました。”星の宿”と記された木の看板なども目に留まり、この辺りで足を休める旅人もいるのかと、多様な旅のあり方を、今更ながら思い知らされたものでした。

 

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※星の宿などがある、少し開けたところ。

 

 この先は、道は緩やかに、斜面に沿って続きます。左下には、谷間の集落、右上は、なだらかな山々が広がります。

 途中、左方向がよく望める場所があり、その美しい眺望に、しばし、目を奪われることになりました。熊野の峰に囲まれるように佇む集落は、”川合”と呼ばれるところでしょうか。一面緑の景観は、心が洗われるような絶景です。

 

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※熊野の峰と川合の集落。

 

 道は、山の斜面に沿いながら、緩やかに弧を描くように続きます。ところどころに建物も点在し、人々の息吹を感じます。

 木工の工房や、小さな宿、民家などが、山の斜面に張り付くように佇みます。

 

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※民家なども見られる山の道。


 のどかとも、思えるような山の里。やがて、集落のようなところに入っていくと、目標としていた、高原熊野神社に到着です。

 古道の脇には、神社の案内板が設置され、そこから少し右方向の細道に入った先に、鎮守の杜の社ような、可愛らしい神社がありました。

 案内板に記された高原神社の説明では、

 

 「いわゆる熊野九十九王子には入りませんが、春日造りの本殿は、室町時代前期の様式を伝え、熊野参詣道中辺路における最古の神社建築として、県の文化財に指定されています。・・・熊野参詣道が潮見峠越えに改まった南北朝期以降、高原は熊野参詣や西国巡礼の宿場として賑わうようになりました。」との記載です。

 

 南北朝期以前の熊野古道は、私たちが通って来た、滝尻王子から剣ノ山の尾根を進むルートだったようですが、その後は、滝尻王子の西にある潮見峠を越えた後、富田川伝いに東に進み、その後、栗栖川か川合の集落あたりから、高原に登って来たのかも知れません。

 

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※左、高原熊野神社の入口と案内板。右、高原熊野神社

 高原霧の里

 高原神社を出た後は、また、平坦な斜面の道を進みます。この辺りは、民家などの建物が連なって、左下には、棚田などの農地も見られます。

 険しい山の中にありながら、様々な工夫を凝らし、自然の中で力強く生きていく、人々の知恵と努力を感じます。

 集落の道を少し進むと、熊野古道の左には、少し開けた場所が現れます。その広場の左手は、展望所のようになっていて、視野一面を覆い尽くす、熊野の峰々を望むことができました。

 

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※高原の山里。

 

 広場の先には、小さな休憩所のような建物が。”高原霧の里”と称されるその建物は、トイレなども併設された、一息つける施設です。古道の資料や写真なども展示され、足を休めるのには、恰好の場所となりました。

 

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※高原霧の里の休憩所。

 

 私たちは、ここで昼食の休憩です。持参のおにぎりを頬張って、先への体力を蓄えます。

 ここまで、滝尻王子を出発してから4Kmの道のりを、2時間かけての行程です。登りづくめの厳しい道は、思ったよりも距離を稼いでいないのです。

 この先は、この日の予定のところまで、まだ8Kmの道のりが残っています。先の不安を感じながら、昼食のひと時を過ごします。

 

 熊野古道を歩く時、気を付けなければならないことは、水と食料の準備です。古道の道筋は山の中。基本的に、お店などはありません。急坂で体力が奪われるだけでなく、水分補給も忘れてはなりません。

 もう一つ、重要なポイントは、宿泊場所やそこまでの交通手段の選定です。この日の私たちの行程は、滝尻王子に車を停めて、牛馬童子入口のバス停まで歩くのが目標です。牛馬童子口からバスに乗り、滝尻王子へと戻るのです。

 ただ、熊野の地のバスの運行は限定的。時間までにバス停に辿り着けない場合には、厳しい前途が待ち受けます。バスの時刻を考えながら、歩き進まなければなりません。

 

 昼の休憩もそこそこに、先の行程を急ぎます。