旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]10・・・鈴鹿の峠越え

 峠越え

 

 いよいよ、街道は鈴鹿峠に入ります。東海道随一の難所と言われるこの峠、既に中山道を歩いた私は、美濃の国の13峠や信州の和田峠などを思い出し、さぞ厳しい道が待ち構えていると、気持ちを引き締めたものでした。

 神秘的な鈴鹿の峠。峠を越えれば近江路とはお別れです。

 

 

 国道歩き

 猪鼻の集落を過ぎるとしばらく国道伝いに歩きます。道は大きく弧を描き、右に左にカーブしながら、ゆったりとした坂道となって鈴鹿の山並みへと向かいます。

 ところどころに集落や民家も見受けられ、この辺りは奥深い山の中の感覚はありません。

 やがて国道は、鈴鹿トンネルに差し掛かる直前で上下の車線が分かれます。トンネルは上下別々となっていて、それぞれが間隔を開けて設置されている状況です。

 このトンネルの手前から、東海道は右側の側道に移ります。そして、集落が尽きた前方で、側道から少し右側にそれて山道へと向かいます。

 

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※左の国道から離れて、右の側道を進みます。

 山道へ

  国道1号線を左下に見ながら山道を進みます。いよいよ峠の難所に差し掛かるという辺りでも、坂の勾配はそんなにきつくは感じません。

  

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※国道から離れて山道へ。

 この坂をしばらく上ると、左には鈴鹿トンネルの入口が見下ろせます。街道はトンネルの上部を越すように山の中へと向かいます。

 その後左手に、整備された小さな緑地。そして緑地の奥に、石造りの神秘的な灯籠が見えました。この灯籠、万人講常夜灯(まんにんこう・じょうやとう)と呼ぶそうで、鈴鹿の山を越す旅人を見守るために設置されたということです。

 

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※万人講常夜灯。

 

 鈴鹿峠

 常夜灯を越えてしばらく進むと、街道は勾配を緩めて平坦な道に変わります。辺りは、片流れの斜面となった茶畑の丘陵地。そして、その先には、木々が鬱蒼と茂る森が広がります。

 茶畑を通り抜けて森に差し掛かったところには、石柱が立っていて、よく見ると、県境を示す標石です。「右 滋賀県 近江の国 、 左 三重県 伊勢の国」と刻まれた標石は、余りにも突然に近江路の終わりを告げることになりました。

 箱根の峠と並び称される鈴鹿の峠。相当な覚悟で臨んだものの、呆気なく辿り着いたような気がします。近江の国から東に向かう場合には、険しい道はそれほど多くありません。土山の宿場から6Kmほど。全体として緩やかな坂道を経て峠にやってきたという印象です。

 

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※左、茶畑の中の街道。右、滋賀と三重との県境。

 

 伊勢路
 県境を越えて伊勢路に入ると、そこは深い森の中。雨も降り出し、心細くなるような山道です。道は依然平坦で、ガスがかかった森の道を進みます。

 ほどなく、鈴鹿峠を示す案内板が見えました。この案内板、亀山市教育委員会により設置されているもので、峠に関して次のような記載がありました。

 

 「伊勢と近江の国境をなす標高378mの峠で、東海道は三子山と高畑山の鞍部を通っている。‥‥‥仁和2年(886)近江から鈴鹿峠を越え伊勢へ入る阿須波(あすは)道と称する新道が開かれ、同年斎王群行*1がこの新道を通って伊勢神宮へ向かうよう定められたことからこの鈴鹿峠越えが東海道の本筋となった。」

 

 この道を斎王の一行が通ったと思うと、ロマンチックな情景を想い浮かべてしまいます。しかし、斎王たちは、再び都に戻る日が来るのかどうか、きっと不安に駆られた群行だったことでしょう。

 斎王の峠越えは、また、中山道を江戸へと向かった、皇女和宮を彷彿とさせる光景です。歴史の中で翻弄された皇室の女性たちの運命を思わずにはいられません。

 

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鈴鹿峠の街道と亀山市教育委員会の案内板。

 

 下り道

 街道は、下り道に差し掛かります。この後しばらくの間、細くて急な坂道が崖地に沿って続きます。この辺り、近江路側とは随分様子が異なって、鈴鹿の山の深さを思い知らされるような光景です。

 

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※峠越えの後の下り坂。

 下り坂を下りていくと、途中には石畳なども現れます。また、小さくはあるものの、旅情を感じる石碑なども置かれていて、街道の空気が味わえるところです。

 その石碑、よく見ると芭蕉の銘も刻まれていて、彼の人の作品だと分かります。

 

    ほっしんの 初にこゆる 鈴鹿

 

 いつ詠まれた俳句なのかは分かりませんが、伊賀の国の人である松尾芭蕉が、修行を思い立って旅をされたのでしょうか。きっと、伊賀から鈴鹿を越えて近江の地へと旅をされた最初の峠越えの時の一句だったのだと思います。

 

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※峠の下り坂。右は芭蕉の句碑。

 下り坂を一旦下りきったところには、伊勢の国側からの、峠の上り口を案内する標識がありました。その先には、国道1号線が走っていて、街道は国道の高架の下をくぐります。

 今では、ここは地道ではなく、階段が整備されていて、この階段を伝いながら国道下をすり抜けます。

 

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※国道1号線の下をくぐり抜ける所。

 片山神社

 国道を潜り抜けたその先には、右前方に片山神社が現れます。森の中に姿を見せた鳥居の姿は厳かですが、この神社、世間から隠れるようにひっそりと佇んでいるように見えました。

 東海道は、鳥居に向かって下った後、鋭角に左手の坂道へと折り返します。鳥居前を真っ直ぐ進む道もありますが、その道は誤りです。この辺り、地図の確認が重要なところです。

 

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※左、片山神社。写真の左下の隅に見える細い坂道が東海道です。右、坂を下りて国道と合流する地点。

 坂下宿へ

 国道1号線と合流した後、少しだけ国道沿いの歩道を歩きます。その後、500mほど下ったところで、国道から離れて左手の旧道へ。この旧道、舗装されているうえ、そこそこ幅の広い道路です。

 そして、その先に集落が現れて、ようやく坂下の宿場に到着です。

*1:斎王群行については、「歩き旅のスケッチ[東海道]8」で少し触れました。