旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]60・・・宇津ノ谷峠

 府中へ

 

 駿河湾に面した焼津市と、少し山手の藤枝市。両市から、東隣の静岡市向かうには、間を隔てる山並みを、通り抜けなければなりません。

 海岸沿いは、大崩(おおくずれ)と称されて、崖地の端が海まで達し、厳しい地形を作ります。ひと山奥へと向かったところは、日本坂峠と呼ばれている、古くからの峠道。今では、高速道路や新幹線は、日本坂のトンネルが、峠の下の岩盤を貫通し、東西の交通をスムーズにつなぎます。

 この山中を、東海道の街道は、やや北側にある、宇津ノ谷峠(うつのやとうげ)を辿ります。この道は、岡部の宿場と府中を繋ぐ、最短距離でもあるルート。厳しいながらも、理にかなった道筋です。

 

 

 山越えの道

 山道に入った街道は、急な坂道が続きます。右に左に蛇行しながら、奥深い山の中に分け入るような道筋です。

 東海道の峠越えは、箱根と鈴鹿が最難関。その次に、小夜の中山峠が続きます。この宇津ノ谷峠の山道は、その次のランクに匹敵する厳しさです。

 私たちが、この峠を越えたのは、昨年(2020)の真夏の時期のことでした。厳しい道は、酷暑も加わ、なお一層、体力を奪います。

 

f:id:soranokaori:20210919154616j:plain

※峠に向かう山道。

 

 山道は、途中で、舗装された道路に出会います。その道をしばらく進むと、舗装道路の延長を、道なりに右に進む坂道と、左手の階段状の山道に分かれます。舗装道路は、「明治のトンネル」と言われている、レンガ造りの古いトンネル方向に向かう道。

 東海道は、左側。手すりが設置されている、石段と坂道の、細い道の方向です。

 

f:id:soranokaori:20210919154655j:plain

※左手の細い坂道方向が東海道

 宇津ノ谷峠

 坂道は、再び厳しい勾配で続きます。道幅も限られて、けもの道のような状態です。おそらくは、東海道が街道として機能をしていた時代には、もっと余裕を持った広さだったと思います。

 僅かな幅で峠を目指す街道は、横から延びる枝葉などが、さらにその幅を狭めます。

 このような山道を、上へ上へと進んでいくと、やがて、「宇津ノ谷峠」と表示された、尾根の辺りに行き着きます。

 この辺りが宇津ノ谷峠。ようやく、藤枝市から、静岡市の市域に入ります。

 

f:id:soranokaori:20210919154723j:plain

※宇津ノ谷峠。

 街道の峠には、幾つかの表情がありますが、宇津ノ谷峠は、山の中のひっそりとした峠です。箱根峠や中山道碓氷峠など、茶屋が建つ、賑やかそうな峠と比べ、まさに、自然のままのところです。

 

 伊勢物語

 在原業平(ありわらのなりひら)作と言われている「伊勢物語」。かきつばたの歌のくだりは、余りにも有名ですが*1、その場面に続く、舞台となるのが、宇津ノ谷峠の情景です。

 

 「行きいきて、駿河の国にいたりぬ。宇津の山にいたりて、わが入らむとする道は、いと暗ろう細きに、つたかへでは茂り、もの心ぼそく・・・」

 

 というように、まさに、私たちが体験した、不安の道中とよく似ていることに驚きます。

 ただ、実際は、在原業平が辿った峠越えの山道は、私たちが歩いている、東海道とは、やや異なったルートです。前回のブログの中で触れたように、峠への登り口を、左側に向かうと東海道。そこを、右に進むと「蔦(つた)の細道」と呼ばれる古道です。(下の地図を参照ください。赤く印した点線が江戸期の東海道。青が、「蔦の細道」です。なお、この地図は、道の駅で頂いたものです。)

 

 在原業平は、後者の道を往かれた様子。今も、「蔦の細道」の峠には、業平の歌碑が置かれているということです。

 

f:id:soranokaori:20210921113053j:plain

※宇津ノ谷峠の地図。近代の交通路は、海岸線にJR東海道本線日本坂峠下に東名高速と新幹線。そして、宇津ノ谷峠下は、国道1号線という状況です。

 

 下り道

 街道は、峠を過ぎて、下り道に入ります。相変わらず、細くて急な道ですが、そこそこ整備の跡も見られます。

 やがて、木々の隙間から、集落の屋根が見えてくると、山道は、もう少しで終わりです。急坂を慎重に下っていくと、静岡側の出口に到着します。そこには、峠越えの道を示す、大きな木製の案内表示がありました。

 

f:id:soranokaori:20210919154751j:plain
f:id:soranokaori:20210919154820j:plain

※左、峠からの下り道。右、静岡側の出入り口。

 宇津ノ谷の集落

 山道を抜け出ると、小さな集落が現れます。ここが、宇津ノ谷というところ。数十軒ほどの集落ですが、峠道の沿線に位置しているために、旅人の休憩所として、重要な役を果たしていた様子です。

 家並みは、往時の町を、彷彿とさせるような姿です。路上には、近代風ではありますが、石畳の意匠が施され、心地よい空間を作ります。

 この集落も、宿場間に立地する、間の宿(あいのしゅく)だったということで、制度に則り、休憩ができる施設などが配置されていたのでしょう。

 

f:id:soranokaori:20210919154919j:plain

※宇津ノ谷の町。

 

 丸子宿へ

 街道は、宇津ノ谷の集落を後にして、舗装道路を下ります。やがて、国道1号線に突き当たり、そのまま、国道の歩道伝いを歩きます。

 この区間を走る国道は、まさに、幹線道路の様相です。少し離れたところには、東名の、新旧2本の高速道路が東西をつないでいますが、この国道も、駿河を行き交う中心道路。多くの車が、先を急いでかけ抜けます。

 

f:id:soranokaori:20210919154950j:plain

※左、国道との合流直後。左端の建物はトイレ。

 

 この後の街道は、基本的には、国道の上り車線の歩道上を辿ります。少し迂回する道もありますが、それほど国道からは、距離を開けることはありません。

 しばらくして、赤目ケ谷中と書かれた交差点のところに来ると、国道を横断する歩道橋が架かります。街道は、その橋を利用して、国道を横切った後、今度は下り車線の右手に延びる旧道へと移ります。

 

f:id:soranokaori:20210919155103j:plain

※歩道橋を下り側にわたります。その後ここに写る歩道を北東に向かいます。

 

 旧道は、雑然とした道筋で、倉庫などの建物が並びます。国道を左に見ながら、その脇道を歩いていくと、2つの道は、次第に距離を開ける状態に。

 街道は、国道から逃れるように、山際の静かな道へと進みます。その先は、丸子(まりこ)の宿場。東海道、20番目の宿場町が近づきます。

 

*1:かきつばたの歌については、「歩き旅のスケッチ[東海道]28」において、池鯉鮒宿を記した中で紹介しています。