旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]61・・・丸子宿から駿府の城下へ

 峠と川の狭間

 

 丸子(まりこ)の宿場は、都に向かう場合には、峠を控える宿場町。一方で、江戸を目指す人にとっては、峠越えの苦労の後で、ようやく辿り着けた宿場です。

 ここからは、あと少しで駿府の城下。府中の宿場は、もう目と鼻の先のところです。丸子宿で一休みした後で、一気に、府中へと向かう旅人もたくさんいたと思います。

 ただ、丸子と府中の間には、安倍川という大きな川が行く手を阻み、往来を容易にはさせません。特に増水時には、川止めを食らうこともあったでしょう。

 丸子の宿場は、安倍川と宇津ノ谷峠(うつのやようげ)の狭間の宿場。天候に翻弄され、先に行けない旅人の、ひと時の、安息の場所だったのかも知れません。

 

 

 丸子宿へ

 街道は、国道から距離を開けるようにして、右方向の集落へと向かいます。山際の先端で、さらに右へと、急角度の曲線を描いた後は、住宅などが軒を連ねる直線道路。道幅はそこそこあっても、車はあまり通らない、生活道路のような道筋です。

 道は真っすぐに伸びていき、やがて、丸子川に架けられた、丸子橋に行き着きます。

 

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※丸子橋と丁子屋の建物。

 

 丸子の宿場は、橋を越えた辺りから。そこから右に続く道筋が、宿場町になるようです。丸子宿は、「鞠子宿」と呼ばれた時代もあったとのことですが、今は、「丸子」が主流です。

 

 丁子屋

 私たちの今回の街道歩きは、丸子宿で”とろろ汁”を頂くことが、ひとつの大きな目的でした。

 丸子と言えば”とろろ汁”。”とろろ汁”と麦飯は、丸子の代名詞でもあるのです。自然薯(じねんじょ)と呼ばれる芋を擦り、ダシで合わせた”とろろ汁”。江戸時代から引き継いで、今に伝える老舗の店が、丸子宿の「丁子屋」です。

 

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※丁子屋の建物。

 

 丁子屋は、宿場町の西の境に位置しています。丸子橋の正面にあり、茅葺屋根の立派な姿は、威厳さえも感じます。道の駅で手にした資料は、「駿府の隠れ里丸子宿と宇津ノ谷峠」と題するもの。そこには、丁子屋について、次のように記しています。

 

 「慶長元年(1596)創業で、広重が描いた丸子宿の名物とろろ汁の店です。芭蕉は、『梅若菜 丸子の宿の とろろ汁』と詠み、東海道中膝栗毛では、喜多さんが『けんかする夫婦は口をとがらせて、鳶(とんび)とろろに、すべりこそすれ』と一首ひねっています」

 

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※丁子屋前にある、喜多さんの一首が刻まれた、十返舎一九の碑。

 

 とろろ汁

 このように、古くから旅人に親しまれていた丁子屋の”とろろ汁”。最近では、テレビの食番組でも再三紹介されている、超有名なお店です。私たちも、この機会に、ぜひとも食してみたい、と思った次第です。

 

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※とろろ汁と麦飯のセットメニュー。

 

 丁子屋の店の前に近づくと、頻繁に人の出入りが見られます。これはもう、満席のため、希望は叶わぬものなのか、と、半分諦めの境地の中で、店の暖簾をくぐります。

 忙しそうな店内ですが、入ったところは、料亭のような雰囲気です。そこから、食事の場所は見えません。ほどなく、店員さんが近づいて、

 「予約待ちをして下さい。すぐにご案内いたします」

 とのこと。

 よく見ると、そこにはタッチパネルが置かれていて、人数などを入力するシステムです。入力後、番号が書かれたシートを手にして、案内どおり、右奥の待合椅子に向かいます。

 

 ここまでくれば、とろろ汁はもう目前。心配も吹き飛んで、待合席から、大広間の様子を眺めます。

 私たちが食事をしたのは、大広間のさらに奥。ちょっとした庭に面した小部屋です。この日は、大勢の人が訪れて、大部屋から小部屋まで、超満員の状態でした。

 

 丸子の宿場で頂いた”とろろ汁”。麦飯が大量過ぎて、食べきれないほどのボリュームです。何とも、優しい舌触と、ほどよい旨味の感覚が、忘れられない逸品でした。

 

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※店内に掲げられた写真など。左は、広重の丸子宿。右は昭和初期の静岡市。松並木がよく分かります。

 

 やじさんときたさん

 ここで少し、先に紹介した資料の中の、喜多さんの一首、「けんかする夫婦は口をとがらせて、鳶(とんび)とろろに、すべりこそすれ」という狂歌について、補足しておかなければなりません。

 

 東海道中膝栗毛の、丸子の宿場の出来事は、まず、”やじさん、きたさん”が、茶屋で”とろろ汁”を注文します。店の亭主と赤子を背負ったかみさんが、急いで準備を始めますが、慌てていて、失敗ばかり。やがて夫婦の会話は口論に発展し、遂には、つかみ合いの喧嘩になってしまうのです。挙句の果てに、飛び散った”とろろ”を踏んで、夫婦ともども転げてしまうという始末。

 

 この様子を見た”きたさん”が、詠んだ一首が先の歌。余りにも、可笑しさがこみ上げてくるようなお話は、膝栗毛の大きな魅力のひとつです。

 結局、そうこうしているうちに、2人は茶店を離れます。せっかくの”とろろ汁”を食することなく、宇津ノ谷峠に向かうのです。

 

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※丸子宿の様子。

 

 丸子宿

 丁子屋を後にして、丸子の宿場を歩きます。街並みは、往時の姿はないものの、何となく、良い雰囲気を感じます。ただ、暑さは半端ではありません。真夏の日差しが一層厳しく、私たちを襲います。

 そんな中、宿場の名残の標識などを目にとめながら、街道歩きを続けます。

 

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※本陣跡の石標。

 

 予定変更

 この日の最終目的は、JR静岡駅。岡部宿から府中までを歩くのが、当初立てた計画でした。ところが、真夏の暑さと峠越えは、失われた体力を、”とろろ汁”で取り戻すことはできません。

 当初の予定を変更し、バスで静岡駅へと向かうことにしたのです。

 

 丸子の宿場を後にして、街道を歩いていると、丁度、道沿いに静鉄バスの丸子営業所が見えました。ここで、街道歩きを終了です。

 この日は、岡部宿を起点として、9Kmほどの行程でしたが、真夏の暑さと峠の道は、想像以上の厳しさでした。所用のついでに組み入れた、わずか1日の街道歩き。次回は、2か月後に、再び挑戦することになるのです。