旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]62・・・府中宿へ

 安倍川越え

 

 丸子宿から府中宿に向かうには、途中で安倍川の川越しが待ち受けます。安倍川は、天竜川や大井川と比べると、その規模は、僅かに劣りはするものの、日本では有数の大河川のひとつです。

 街道が通る辺りの河川敷には、小石の河原が広がりますが、この川を越えるには、川越し人足を頼ることも必要だったと思います。その上に、ひとたび増水した時は、何日も、足止めを食らうこともあったでしょう。

 川の水の状態は、日程に大きな影響を与えます。昔の人は、宿場などで、川の情報を手に入れながら、行程の調整などを行っていたのかも知れません。

 

 

 静鉄丸子営業所

 前回の街道歩きは、静鉄丸子営業でその行程を終えました。丸子の宿場を後にして、数百メートル進んだところの右側です。

 今回、同じ場所にやって来たのは、それから2か月後のことでした。JRの静岡駅前からバスに乗り、静鉄の丸子営業所で降車です。真夏から季節は移り、心地よい空気が流れます。

 

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静鉄丸子営業所のバス停前。

 

 安倍川へ

 バスを降りたところから、早速、街道歩きを続けます。今回は、季節も良いため、2日半の行程で、富士市へと近づくのが目標です。先ずは、安倍川、そして、駿府の城下を目指します。

 バス停からは、しばらく東に進みます。その後、街道は、左方向の旧道へ。ただ、この道も、道路整備が進んでいるため、一目では、街道とは分かりません。道筋を眺めながら歩いていると、途中には、松並木の名残の松や、小さな祠などが目に止まり、歴史の道の面影を、僅かながらも感じることができました。

 

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※安倍川に向かう旧道。

 

 やがて、街道は、国道1号線(おそらく旧の1号線だと思います)と合流し、その先の手越原交差点で、もう一度、左方向の旧道に入ります。

 この旧道にも、松の木は見られます。丸子の宿場の丁子屋で見たように、かつては、この辺りの道筋は、延々と続く、松の並木の道でした。*1今では、住居やお店が連なる中に、郊外型の娯楽施設や事業所などが混在する街並みが続きます。

 

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※旧道となる県道。この先が安倍川になります。

 安倍川

 旧道を真っすぐ進むと、やがて、少し上り坂の道になり、安倍川の堤防に近づきます。その先は、安倍川橋。薄緑色のアーチが連なる橋の姿は、優しささえ感じます。

 

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※左、安倍川へのアクセス。右、安倍川橋。

 安倍川は、静岡平野を形づくる、かなり大きな河川です。それでも、この川の流域は、大半が山間部となっていて、下流地域も、それほど大きな工場などはありません。従って、清冽な水の流れが保たれて、静岡の人々に計り知れない恩恵をもたらします。

 稲作で栄えたとされている、登呂遺跡の集落も、安倍川の恵みを受けて発展した集落だったのかも知れません。

 

 堤防からは、広々と延びる河原の向こうに、静岡の市街地が見渡せます。そして、市街地のさらに奥には、日本平の丘陵地。徳川家康の霊を祀る、久能山東照宮もその丘の中に佇みます。

 

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※安倍川。

 

 川越し

 安倍川は、今は、県道の安倍川橋で越えますが、かつては、川越人足の助けが必要だったみたいです。安藤広重の浮世絵や、東海道中膝栗では、川越しの情景が描かれていて、その様子が伝わります。

 ちなみに、”やじさん、きたさん”の川越しは、次のような状況でした。

 

 二人が安倍川のそばまで来た時に、川越人夫に声を掛けられます。人夫は、水嵩が増しているので、一人64文払えば肩ぐるまをして渡してあげる、とのこと。高いとは感じながらも、川の流れを見てみると、仕方がないと納得します。人夫の肩に乗ったやじさんときたさんは、深い川の流れの中を人夫頼りに渡ります。何とか渡り切った後、一人64文に酒代の16文を追加して、支払いを済ませることになるのです。

 ところが、80文を手にした人夫は、少し上流に向かって行って、そこの浅瀬を軽々歩き、向こう岸に戻ります。

 してやられたと、地団駄踏んでも後の祭り。二人は、雨模様の天気の中を、急ぎ丸子宿へと向かうのです。

 

 余談ながら、この後、丸子の宿場でも、二人は、夫婦喧嘩のとろろ汁の騒動に出くわします。(このお話については、前回の「歩き旅のスケッチ」をご覧下さい。)すったもんだの道中記。魅力満載のお話は、何故か心が和みます。*2

 

 安倍川餅

 安倍川橋を渡った後は、少し緩やかな下り坂。そして、前方は、広々とした空間が広がります。坂道の右側には、何軒かのお店があって、かつての街道の喧騒がよみがえってくるような情景です。

 坂道を下っていくと、安倍川餅の老舗のお店、石部屋(せきべや)がありました。静岡と言えば、安倍川餅。せっかくの機会と思い、立ち寄って、しばしの休息をとりました。

 

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※安倍川を渡った後の下り坂と石部屋。

 

 実は、この界隈には、かつては数件の安倍川餅のお店がありました。4〜50年も昔のことで、はっきりと覚えてはいませんが、何か独特の街並みだったような気がします。

 石部屋さんのお店の中に入ると、更に時代はさかのぼり、明治40年の写真が掲げられていたのです。歴史の証が見て取れる、貴重な写真を、興味深く拝見させて頂きました。

 

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※左、安倍川餅。右、明治40年に写されたこの付近の写真。

 府中へ

 街道は、石部屋の前あたりから、真っすぐ続く旧道へ。安倍川橋の県道は、ここで僅かに左にそれて、その後、街道と並ぶように、やや北側を市街地方向に向かいます。

 県道と旧道との別れ際には、小さな緑地がありますが、実は、ここが安倍川の川越しの川会所があった場所。実際には、この辺りから府中の宿場になるようです。

 この先の街道沿いの街並みは、再開発されたような、しっかりとした区画の地域です。従って、この先は、かつての街道の姿はありません。コンクリートアスファルトで整備された街中を進んでいくと、駿府の城下と府中の宿場の中心地は、もうすぐそこに迫ります。

 

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※石部屋から府中へと続く街道。

 

*1:前回の「歩き旅のスケッチ」に、この写真を載せています。

*2:実は、やじさんは、駿河の府中、今の静岡市の出身です。また、東海道中膝栗毛の作者、十返舎一九も静岡の人。この辺り、次回のブログで、もう少しだけ触れてみたいと思います。