旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[熊野古道]6・・・牛馬童子と近露の里

 牛馬童子の事

 

 およそ四半世紀前、私が熊野の地を訪れたということは、このブログのシリーズで、何回か触れてきたところです。その時に、実際に訪ねた熊野古道の史跡の一つが、牛馬童子(ぎゅうばどうじ)像だったのです。

 山の中の小高い場所の一角に神聖な場所があり、その脇にひっそりと、可愛らしい石像がありました。像そのものは、どこにでもありそうな、小さな石の彫像です。それでも、牛と馬に跨った王子の姿は珍しく、新鮮な驚きを覚えたものでした。

 この、牛馬童子像、2008年には、衝撃的なニュースが走ります。この像の童子の首が折れ落ちていたのです。私自身、そのニュースを聞いた時、大きな衝撃を受けました。後に頭部は複製され、今は、元の姿に戻っているとはいうものの、何とも悲しい事件だったと言うほかはありません。

 一人の人生の時間では、短くはない四半世紀の時を越え、再び、牛馬童子の地へと向かいます。

 

 

 牛馬童子

 前日の古道歩きの終着点は、牛馬童子口のバス停でした。このバス停のところには、道の駅熊野古道中辺路があり、駐車場も自由に利用できるのです。私たちは、この日の昼少し前、車で道の駅に戻った後、そこに車を駐車して、熊野古道歩きを再開です。

 

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※道の駅前の熊野古道入口。

 

 この日の予定は、前日の疲れがまだ癒されていないため、牛馬童子口から近露(ちかつゆ)の里までの間、距離にして、およそ1.5Kmを歩くのみ。その後は、近露から、バスで牛馬童子口へと戻ります。後は、車で中辺路の中央区間の傍を通って、熊野の趣を感じつつ、宿泊地である川湯温泉へと向かいます。

 

 古道歩きの再開

 牛馬童子口にある、熊野古道の入口は、道の駅から国道を挟んだ向かい側。いきなり、山の中へと分け入ります。再び森の道に入って行くと、右方向に階段状の坂道が。ここから先は、しばらくの間、上り道を進みます。

 

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牛馬童子に向かう古道の入口。

 

 牛馬童子

 階段状の坂道をしばらく登ると、舗装道路が現れます。この舗装道路は旧国道で、今では、林業関係の方以外、あまり利用されていないように思います。 

 

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※左、牛馬童子へ向かう古道。右、舗装道路との合流点。

 

 この辺りの熊野古道は、所々で、舗装道路を辿りながら、杉の植林地の中を進みます。しばらく、舗装道を進んだ後で、古道は、左方向の細い砂利道に入ります。山の中の道であっても、里に近いところです。昨日のような、深い森とは空気感が異なります。幾分、心に余裕を持って、安心して歩ける区間です。

 

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※舗装道路から旧道へと入ります。

 熊野古道は、山の斜面を取り巻くように、緩やかに弧を描きながら続きます。道は、それほど急な坂道ではありません。観光客が軽装でも歩けるような道筋です。

 途中には、昨日も幾つか確認した、一里塚跡の石標もありました。

 

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牛馬童子に向かう古道。

 箸折峠

 山道を進んで行くと、やがて、少し平坦なところに出てきます。その辺りには、「望郷の 箸折峠 ゆりかおる」と刻まれた、箸折峠(はしおりとうげ)の句碑があり、何となく、郷愁を感じたものでした。

 

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※箸折峠の句碑。

 

 牛馬童子

 箸折峠は、目前に近露の里を控えているため、かつての旅人にとっては、長旅の疲れを忘れられる、安息の場所だったのかも知れません。この先は下り坂。あと一息の行程と、足を休めたことでしょう。

 このような峠の平坦地。その一角に、こんもりとした、小高い塚が目に止まります。牛馬童子像は、その塚の片隅に、ひっそりと、その身を隠しているのです。

 

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牛馬童子像が佇む塚とその登り口。

 

 私たちは、塚につづく小さな階段を踏みしめて、牛馬童子に面会です。久しぶりの童子の像。首のところに修復の跡があり、少し痛々しくも感じます。

 

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牛馬童子像。(左の像)

 

 牛馬童子は、田辺市の指定史跡となっていますが、国の文化財ではないようです。ウイキペディアの解説には「高さ50cm程度の小さな石像。文字通り、牛と馬の2頭の背中の上に跨った像である。一説には、延喜22年(922年)に熊野行幸を行った花山法皇の旅姿を模して明治時代に作られたとされる。」と記されています。

 

 事件

 冒頭でも少し触れたように、この牛馬童子像は、2008年に頭部が壊され、無くなっているのが発見されました。その後、レプリカで頭部の複製が作られて、本体に取り付けられたようですが、2年後に、失われた頭部が、あるところから無事発見されたというのです。

 ミステリーのようなこの事件。人為的か自然の仕業か、その真相は不明とはいうものの、何とも悲しい出来事であったことは事実です。

 

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牛馬童子像下の解説。

 

 近露の里

 牛馬童子が置かれている塚の下には、箸折峠の牛馬童子と題された、説明板が置かれています。牛馬童子と、次に向かう近露のことが書かれているため、少し引用したいと思います。

 

 「箸折峠のこの丘は、花山法皇が御経を埋めた所と伝えられ、またお食事の際カヤの軸を折って箸にしたので、ここが箸折峠、カヤの軸の赤い部分に露がつたうのを見て、『これは血か露か』と尋ねられたので、この土地が近露になったという。・・・石仏の牛馬童子像は、花山法皇の旅姿だというようなことも言われ、その珍しいかたちと可憐な顔立ちで近年有名になった。傍の石仏は役ノ行者(えんのぎょうじゃ)像である。」

 

 「血か露か」との言い伝えは、大変興味深いものですが、洒落のような地名の由来が、連綿と今に伝わる事実には、微笑ましくも感じます。

 

 久し振りの牛馬童子像との面会を終え、この先の、近露の里へと向かいます。

 

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※近露の集落。

 峠から先の熊野古道は、一転して、急な下り坂。途中には、近露の里が一望できる、休憩所がありました。熊野の峰に囲まれて、農地や民家が佇む様子は、のどかでもありながら、人々の力強い息吹なども感じられるような風景です。

 道は、さらに急勾配の斜面を下り、一気に里へと近づきます。

 

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※近露までの下り道。

 里に下りると、熊野古道は、舗装道に入ります。真っすぐに進む道には、日置川(ひきがわ)の橋が架けられ、集落の中心地へと近づきます。

 橋の向こうは、街道の宿場町のような光景が広がって、熊野古道の道筋の重要な中継地だったことが分かります。

 

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※日置川の橋を渡って、集落の中心部へ。