旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]53・・・菊川から金谷宿へ

 石畳の峠越え

 

 菊川の集落から、24番金谷宿(かなやじゅく)に向かう街道は、再び、厳しい峠道。この山道は、石畳が敷き詰められて、往時の様子が偲ばれる道筋です。

 先の宿場の日坂宿と、金谷宿の間の距離は、僅か6.5Kmほどの道のりですが、2つの峠を越えなければならない難所です。

 

 

 菊川の里

 菊川は、日坂宿(にっさかじゅく)と金谷宿の間に位置し、2つの峠に挟まれた、谷あいに佇む集落です。2つの宿場の間にあって、休憩所の役割を有するところは、間の宿(あいのしゅく)と呼ばれていますが、ここ菊川も、間の宿のひとつです。

 集落には、同じ名前の、菊川という小さな川が谷を掘り、その川に沿うように、細長く町並みが続きます。かつては、宿場のような町だったはずですが、今は、往時の面影はありません。

 それでも、東海道の案内や間の宿を紹介する説明板を設置するなど、街道筋をアピールする、数々の工夫が見られます。”街道の町”に誇りを持った集落、という印象を受けました。

 

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※集落の案内地図が、建物の壁に描かれています。

 

 町の中には、公衆トイレも整備され、小休止することも可能です。峠越えの疲れた体を、少し休めて、もうひとつの峠に向かいます。

 緩やかに弧を描く街道を歩みながら、この先の峠の道が、厳しくは無いように、と祈ります。

 

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※菊川の集落の道。

 

 菊川坂石畳

 集落内を少し歩いて、菊川に架かる橋を越えると、丘陵地に向かう坂道へと変わります。道沿いには、まだ少し民家なども張り付きますが、その先で道は二手に分かれます。

 道なりに進むと、自動車が通行できる坂道で、左側に踏み入れる、細い道が街道です。街道の入り口には、人が一人通れるだけの、2つの小さな門柱が置かれていて、「東海道菊川坂」と「上り口」の表示がありました。

 そこから先の街道は、石畳の坂道です。

 

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※左、石畳の街道との分岐。右、石畳の入り口。

 石畳の入り口に設置された案内板には、平成12年に石畳の発掘調査が行われ、江戸時代後期のものと確認された、と書かれています。元は、約690mあった石畳も、発掘時には161mが残るのみ。その後保存整備され、今に至っているのです。保存するにも、大変な労力が必要だったことでしょう。

 

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※石畳の様子。

 

 二つ目の峠

 石畳の坂道は、再び、牧之原の丘陵地に向かいます。どれほどの時間を要する道なのか、疲れた体に鞭を打ちつつ、一歩一歩進みます。

 やがて、道がなだらかになったところで、県道との交差点に出てきます。

 交差点の辺りには、休憩所が置かれている他、付近には、飲食店の看板なども見られます。地形としては、この先が下り坂となるために、峠とも言えるのですが、余りにもなだらかな形状で、少し開けた感じの場所は、峠という名に似つかわしくはありません。

 それでも、ようやく2つ目の峠の場所に到達し、この先は、県道を横断した後、舗装された下り坂に向かいます。

 

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※菊川の峠辺り。

 

 金谷坂の石畳

 しばらくの間、緩やかな下り坂の舗装道を進みます。その後、左手に再び石畳の旧道が現れて、森の中の坂道に入ります。

 石畳の入り口には、菊川と同様に、「金谷坂の石畳」と記された、案内板がありました。そこには、近年、わずか30メートルを残す以外は、コンクリートなどで舗装されていたものを、平成3年に、町民の参加によって、延長430メートルの石畳が復元されたと書かれています。

 地域の人々の尽力で復元された石畳。ありがたく踏みしめて、坂道を下ります。

 

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※金谷坂の石畳

 

 下り坂

 石畳の下り坂を、踏みしめるように下っていくと、やがて左手に、色鮮やかな、幾本もの幟旗が見えました。赤色の派手な旗の揺らめきは、この情景の中では異様です。それでも、そこに地蔵尊が祀られているのなら、しかもその名は、「すべらず地蔵尊」と呼ばれるのなら、なおさらありがたい幟旗という他ありません。

 六角のお堂の前で手を合わせ、「滑らずに」ここまで辿り着けたことに、感謝の意をお伝えした次第です。

 なお、余談ながら、「すべらない」にあやかって、受験や商売など、何事にも願いが叶うとのことです。金谷の町に近いことから、たくさんの参拝者もお越しになる様子です。

 

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※すべらず地蔵尊

 

 金谷へ

 地蔵尊から少し下ると、左には、石畳茶屋と言う喫茶店、或いは、レストランのような建物が。そして、その先で自動車道路と合流です。

 ここからは、金谷の町が見通せて、宿場町に近づいてきたことが分かります。

 

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※金谷の町へ。

 

 金谷宿へ

 自動車道を横切ると、今度は、旧集落の道筋に入ります。家並みは、新しく建て替えられてはいるものの、道の流れは、街道の雰囲気です。

 

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※金谷宿直前の集落。

 

 なだらかな下りの道を進んでいって、小さな川を横切ります。この川には、金谷大橋という、土橋が架かっていたようで、この先が、金谷の宿場の入り口です。今は、そっけないコンクリートの橋が架けられ、そこを渡ると、左には、JR金谷駅のホームです。 

 この先、左手にJRの軌道を見ながら、緩やかな坂道を下ります。そして、JRの軌道下を通り抜けると、金谷宿のメイン通りに到着です。

 

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※金谷大橋跡。

 

 私たちの街道歩きは、一旦ここで区切りをつけて、宿場町とは反対の左手に向かいます。少しだけ坂道を上ったところが、先ほども確認した、JRの金谷駅。ここから、JRと新幹線を乗り継いで 今回の行程を終了です。

 

 この後、再び金谷駅に降り立ったのは、この日から4か月ほどが経過した頃でした。

 この間、初期の新型コロナウィルスが猛威をふるい、出かけることもままならない状況が続きます。思うように進めない、街道歩き。コロナの脅威が落ち着くのを待ちながら、次の機会を待ったのです。